チャーリー・スパイクス
From Wikipedia, the free encyclopedia
![]() クリーブランド・インディアンス時代 (1975年) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 | 1951年1月23日(75歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 215 lb =約97.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1969年 MLBドラフト1巡目 |
| 初出場 |
MLB / 1972年9月1日 NPB / 1981年4月4日 |
| 最終出場 |
MLB / 1980年10月5日 NPB / 1981年6月28日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
レスリー・チャールズ・スパイクス(Leslie Charles "Charlie" Spikes、1951年1月23日 - )はアメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。
1969年にニューヨーク・ヤンキースにドラフト1位指名され入団。1972年にメジャー初昇格。翌1973年にクリーブランド・インディアンスに移籍するとレギュラーを獲得し中心選手となった。以後デトロイト・タイガース、アトランタ・ブレーブスを経て1981年、中日ドラゴンズのテストに合格し入団した。
入団当時は「ドラゴンズ最強の助っ人」という触れ込みでファンの期待も大きく、テストの際にキャンプ先を訪問した当時評論家の広岡達朗も「私なら即合格を出す」と太鼓判を押した程だった。
迎えた巨人との開幕戦で西本聖のシュートを打った際自打球を足に受け(西本曰く落ちるシュートを投げたという)、病院でレントゲン撮影を受けることになったがスパイクスはこれを拒否しようとした。それはアメリカでのプレー中に骨折した際に足の骨にボルトを入れたままにしていたことを隠していた為であった。結局日本で活躍らしい活躍はできず、同年途中に中日が郭源治を獲得したこともあり1年限りで退団した。
彼はルイジアナ出身ということで訛りがひどく、当時在籍していたコーチのジム・マーシャルですら彼の訛りを理解することが困難だったと言われている。
