ツルマルガール
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| ツルマルガール | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 欧字表記 | Tsurumaru Girl[1] | |||||
| 品種 | サラブレッド[1] | |||||
| 性別 | 牝[1] | |||||
| 毛色 | 栃栗毛[1] | |||||
| 生誕 | 1991年2月11日[1] | |||||
| 死没 | 2004年10月12日(13歳没)[2] | |||||
| 父 | サッカーボーイ[1] | |||||
| 母 | エプソムガール[1] | |||||
| 母の父 | アローエクスプレス[1] | |||||
| 生国 |
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| 生産者 | 浜本牧場[1] | |||||
| 馬主 | 鶴田任男[1] | |||||
| 調教師 | 橋口弘次郎(栗東)[1] | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 14戦5勝[1] | |||||
| 獲得賞金 | 1億2963万9000円[1] | |||||
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ツルマルガール(欧字名:Tsurumaru Girl、1991年2月11日 - 2004年10月12日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1994年の朝日チャレンジカップ。
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
1993年7月18日、小倉競馬場での3歳新馬戦でデビューし、7着[4]。3戦目で2着ペガサスセイバーに1秒9差つける大差勝ちで初勝利を挙げる[4]。東上して芙蓉ステークスに出走し、5位に入線したが進路妨害のため13着に降着となる[4]。関西に戻って黄菊賞も6着と振るわなかったが、続く白菊賞で2勝目を挙げ、12月の阪神3歳牝馬ステークスでもヒシアマゾンの4着に入った[4]。
4歳となり、初戦はクイーンカップを予定も東上後にトモ[注釈 1]を負傷して仕切り直しとなり[4]、初戦のフラワーカップは7着。続く優駿牝馬(オークス)トライアルのスイートピーステークスを小島太騎乗で勝利するも、本番のオークスはチョウカイキャロルの6着に終わった[5]。当初はオークス後に放牧の予定だったところを変更して夏競馬も走り、中日スポーツ賞4歳ステークスでイナズマタカオーの3着としたのち、8月小倉競馬場での小倉日経オープンでは古馬と対戦して2着タマモロードに3馬身半差つけて制した[5]。9月に入って朝日チャレンジカップではエプソムカップ、道新杯、函館記念と連勝を続けていたワコーチカコを下して重賞初制覇を果たした。その後は長期休養に入って翌1995年夏に復帰し、テレビ愛知オープンに出走するもナカミアンデスの9着に終わり、これが最後の競馬となった。
競走成績
引退後
引退後は生まれ故郷の浜本牧場で繁殖牝馬となった。繁殖牝馬としては、初仔のツルマルボーイが安田記念など重賞競走で3勝を挙げ、2番仔ツルマルファイターがすばるステークスを勝って重賞競走でも2着に入る走りを見せた[7]。3番仔ツルマルシスターは野路菊ステークスを勝ったものの[8]、現役中に死亡した[9]。その他、末仔ツルマルオジョウが2018年に産んだウェルドーンが2021年の関東オークスを制し[10][11]、直仔と孫の世代から重賞勝ち馬を送り出した形となった。
2004年10月12日、腸炎と肺炎の合併症により死亡した[12]。13歳没。墓は浜本牧場にある[2]。
産駒一覧
| 生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 馬主 | 管理調教師 | 戦績 | 主な勝利競走 | 供用 | 出典 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初仔 | 1998年 | ツルマルボーイ | 牡 | 鹿毛 | ダンスインザダーク | 鶴田任男 | 栗東・橋口弘次郎 | 32戦7勝 | 2004年安田記念 2002年金鯱賞 2002年中京記念 | (種牡馬) | [13] |
| 2番仔 | 1999年 | ツルマルファイター | 栗毛 | フォーティナイナー | 44戦5勝 | [7] | |||||
| 3番仔 | 2001年 | ツルマルシスター | 牝 | ダンスインザダーク | 4戦2勝 | [8] | |||||
| 4番仔 | 2002年 | ツルマルフェロー | 牡 | 鹿毛 | バブルガムフェロー | 栗東・橋口弘次郎 →美浦・大竹正博 | 36戦3勝 | [14] | |||
| 5番仔 | 2004年 | ツルマルオジョウ | 牝 | 黒鹿毛 | ダンスインザダーク | 栗東・橋口弘次郎 | 13戦1勝 | (繁殖牝馬) | [15] | ||