テピン
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| テピン | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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2016年ブリーダーズカップ・マイル出走時 (2016年11月5日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 欧字表記 | Tepin | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 性別 | 牝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生誕 | 2011年3月14日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 死没 | 2023年(12歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 父 | Bernstein | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 母 | Life Happened | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 母の父 | Stravinsky | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | Machmer Hall | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 馬主 | Robert E Masterson | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 調教師 | Mark Casse(アメリカ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 競走成績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生涯成績 | 23戦13勝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 獲得賞金 | 4,017,918ドル | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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テピン(Tepin, 2011年3月14日 - 2023年)は、アメリカ合衆国の競走馬である。主な勝ち鞍は2015年ブリーダーズカップマイル、2016年クイーンアンステークス、2016年ウッドバインマイルステークスである。
2歳時(2013年)
2013年にチャーチルダウンズ競馬場の未勝利戦でデビューし4着に敗れた。2戦目の未勝利戦で勝ちあがると、4戦目のプリンセスステークスで重賞初挑戦となり、そこで重賞初制覇を果たした。
3歳時(2014年)
3歳初戦を8着に敗れると、続く重賞も2連敗し、G1初挑戦となったデルマーオークスでは勝ち馬から10馬身半差の8着に敗れ、この年を4戦未勝利で終えた。
4歳時(2015年)
4歳初戦はジュリアン・ルパルー騎手と初のコンビを組んで2歳時以来の勝利をあげた。次走のG2も制すと、2度目のG1挑戦となるジャストアゲームステークスでG1初制覇を果たした。続く2戦はともに2着だったが、ファーストレディステークス(G1)を7馬身差で圧勝すると、次走のブリーダーズカップ・マイルも制した。
5歳時(2016年)
1月、テピンは前年のBCマイルなどの活躍により、2015年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選出された[1]。
5歳になると、サウスエンデヴァーステークス(G3)、ヒルズボローステークス(G2)、ジェニーワイリーステークス(G1)、ディスタフターフマイルステークス(G2)と4連勝し、初の欧州遠征となったクイーンアンステークス(G1)でもベラルドやエルヴェディヤなどの人気馬を退けて勝利した。 3ヶ月の休み明けで挑んだウッドバインマイルステークス(G1)も勝利し、前年秋から続く連勝を8に伸ばし、G1は6勝目となったが、次走のファーストレディステークス(G1)は大逃げを打ったフォトコールを捉えきれず2着に敗れ、連勝はストップした。次走は連覇を狙うブリーダーズカップ・マイル(G1)に出走したが、再び2着に敗れた。
6歳時(2017年)
ドバイターフ(G1)を目標にしていたが、前哨戦を疝痛を理由に回避した[2]。そのままドバイターフも回避となり、レースに出走することなく競走意欲の喪失を理由に引退した[3]。初年度は種付けを行わない予定であったが、後にカーリンとの交配が発表された[4]。