リッジウッドパール
From Wikipedia, the free encyclopedia
デビューは1994年9月のスプリント戦タワーステークスで、デビュー戦では3着と敗れたが、距離を伸ばした2戦目のウェルドパークステークスで初勝利を挙げた。初勝利後はアサシステークスを7馬身差で圧勝、G1の舞台でもアイリッシュ1000ギニー1着、コロネーションステークス1着と連勝して同世代の牝馬を圧倒し、更には古馬や牡馬に混じってムーラン・ド・ロンシャン賞にも勝利した。しかし5連勝で臨んだクイーンエリザベス2世ステークスでは1番人気を裏切り、バーリに6馬身差をつけられる完敗でマイルカテゴリにおける生涯唯一の敗戦を経験した。その後は渡米してベルモントパーク競馬場のブリーダーズカップ・マイルに出走、1番人気に応えて2馬身差で快勝した。
1995年は6戦5勝2着1回G1競走4勝という成績で、カルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれるとともに、年度代表馬にも選出された。しかし1995年にはリッジウッドパールの他にも年間無敗でダービーステークスとキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞を勝利したラムタラがおり、リッジウッドパールの年度代表馬選出は物議を醸した。(詳細はラムタラを参照)
引退後は繁殖入りし、母として1997年、98年、02年に仔を産んだ。2003年、バーリの仔を死産した際の出血が原因で死亡した。