テュークスベリーの戦い

From Wikipedia, the free encyclopedia

テュークスベリーの戦い

ゲント写本によるテュークスベリーの戦い
戦争薔薇戦争
年月日1471年5月4日
場所イングランド王国グロスターシャーテュークスベリー
北緯51度59分11秒 西経2度9分41秒 / 北緯51.98639度 西経2.16139度 / 51.98639; -2.16139
結果:ヨーク派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
エドワード4世
クラレンス公
グロスター公
ノーフォーク公
ケント伯
ヘイスティングス男爵
フェラーズ男爵
ハワード男爵
マーガレット王妃(捕虜)
エドワード王太子 
アン王太子妃(捕虜)
サマセット公 処刑
ドーセット侯 
デヴォン伯 
オーモンド伯
ウェンロック男爵 処刑
戦力
5,000人 6,000
損害
不明 2,000
薔薇戦争
テュークスベリーの戦いの位置(イギリス内)
テュークスベリーの戦い
テュークスベリーの戦いの場所

テュークスベリーの戦い(Battle of Tewkesbury)は、1471年5月4日にグロスターシャーテュークスベリーで行なわれた戦いである。この戦いで、薔薇戦争は大きな節目を迎える。

この戦闘の時点で、精神的に不安定なランカスター家の王ヘンリー6世は、ライバルで戦闘では無敗を誇るヨーク家のエドワード4世によって、2回目の退位をさせられたところであった。即位・退位を繰り返すこの状況の変化は、「キングメーカー」と称されるウォリック伯の干渉によるものだった。ウォリック伯はまずエドワード4世を支援し、後にヘンリー6世を支援した。だが、そのウォリック伯も既に亡く(この3週間前のバーネットの戦いで殺されている)、残ったランカスター派の軍隊は、ヘンリー6世の王妃マーガレットとその息子で17歳になる王太子エドワードによって指揮されていた。もしマーガレットがウォリック伯の敗戦の時にイングランドに戻って来ていて、彼女と同盟を結んでいたペンブルック伯ジャスパー・テューダー(ヘンリー・テューダーの叔父)と組んでバーネットの戦いに参陣していたら、エドワード4世のヨーク派軍に対抗できる可能性も残っていただろう。

彼女の唯一の希望はグロスターセヴァーン川を渡ることであったが、これはグロスターの町と城を治めるヨーク派のリチャード・ボーシャン卿(Sir Richard Beauchamp)に拒否されて失敗した。

戦闘

ランカスター朝の終焉

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI