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デニス・コンドリー

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リングネーム ラヴァーボーイ・デニス・コンドリー
本名 デニス・コンドリー
ニックネーム ドル箱男爵
身長 183cm - 185cm
デニス・コンドリー
デニス・コンドリーの画像
1979年
プロフィール
リングネーム ラヴァーボーイ・デニス・コンドリー
本名 デニス・コンドリー
ニックネーム ドル箱男爵
身長 183cm - 185cm
体重 114kg - 120kg
誕生日 (1952-02-01) 1952年2月1日
死亡日 (2026-03-20) 2026年3月20日(74歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アラバマ州の旗 アラバマ州
ローダーデール郡フローレンス
トレーナー ジン・アンダーソン
オレイ・アンダーソン
デビュー 1973年
引退 1990年
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"ラヴァーボーイ" デニス・コンドリー("Loverboy" Dennis Condrey、1952年2月1日 - 2026年3月20日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アラバマ州フローレンス出身。

1980年代に一世を風靡したヒールのタッグチーム・ユニット、ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)のオリジナル・メンバー。在籍期間もメンバー中で最長だった[1]。

ジンとオレイのアンダーソン兄弟にスカウトされ[2]、1973年にNWAミッドアトランティック地区にてデビュー[3]。地元アラバマのSECWおよびテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)を主戦場に、1975年から1979年にかけてはフィル・ヒッカーソンとの悪党タッグチーム、バイセンテニアル・キングス(The Bicentennial Kings)で活動[4]。ファビュラス・カンガルーズのアル・コステロがマネージャーを務めていたこともあった。

ヒッカーソンとのコンビ解消後はデビッド・シュルツを新パートナーに、SECWでは1979年11月22日にポール・オーンドーフ&ディック・スレーターからNWAサウスイースタン・タッグ王座を[5]、CWAでは1980年4月7日にビリー・ロビンソン&ケン・ルーカスからAWA南部タッグ王座を奪取している[6]。

シングルでは1979年8月15日、CWAにてジプシー・ジョーを破りNWA世界ブラスナックル王座を獲得[7]。1980年6月14日にはSECWにてテリー・テイラーからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取している[8]。ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにも出場し、1980年9月8日にスティーブ・カーンを破りNWAジョージア・ヘビー級王座にも戴冠した[9]。

1980年11月からはランディ・ローズと新チームを組み、翌1981年にノーベル・オースチンを仲間に加え、トリオのユニットとしてミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)を結成。以降、アラバマのSECWとテネシーのCWAを股にかけ、両プロモーション認定のタッグ王座を再三獲得した[5][6]。シングルにおいても、SECWでは1981年8月31日にレイ・キャンディ、10月26日にボブ・アームストロングをそれぞれ破り、NWAアラバマ・ヘビー級王座を2回獲得している[10]。

1983年の末にミッドナイト・エクスプレスは一旦解散し、コンドリーはCWAからのトレードでボビー・イートンやジム・コルネットと共にビル・ワット主宰のMSWAに移籍[11]。1984年より、イートンを新パートナー、コルネットをマネージャーに迎え、MSWAにて第2期のミッドナイト・エクスプレスを編成する。1985年からはNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに参戦。ロックンロール・エクスプレスやロード・ウォリアーズを相手に抗争を繰り広げ、当時の米マット界のタッグ戦線を牽引した[11]。

1987年初頭にNWAを突如脱退、旧メンバーのローズと再合体し、"オリジナル" ミッドナイト・エクスプレス(The Original Midnight Express)を名乗ってAWAに登場。ポール・E・デンジャラスリーを新マネージャーに、同年10月30日、CWA時代から因縁のあるジェリー・ローラー&ビル・ダンディーからAWA世界タッグ王座を奪取[12]。以降もマーティ・ジャネッティとショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズとタイトルを争った[13]。

1988年11月からは、オリジナル・ミッドナイト・エクスプレスとしてローズ&デンジャラスリーを帯同しNWAに復帰[14]。コンドリーの離脱後に再編されていたイートンとスタン・レーンの第3期ミッドナイト・エクスプレスとの、同名チームによる骨肉の遺恨試合を繰り広げた[15]。

テッド・ターナーのNWAクロケット・プロ買収後は新会社のWCWに残留せず、古巣のアラバマに復帰。SECWから名称を変更したコンチネンタル・レスリング・フェデレーション(CWF)に参戦し、1989年7月にトム・プリチャードからCWFヘビー級王座を奪取した[16]。以降、エディ・ギルバートの実弟ダグ・ギルバートとのリーサル・ウェポンズなどで活動後、1990年に引退した[2]。

2000年代も時折、各地のインディー団体やリユニオン・イベントにゲスト出場して、イートンらとミッドナイト・エクスプレスを再結成[1]。2008年6月7日にジョージア州アトランタで行われた "NWA Anniversary Show" では、コンドリー&イートン(w / コルネット)対ロックンロール・エクスプレスという1980年代の黄金カードが再現された[17]。

2010年3月、デベロップメント・トレーナーとしてWWEと契約、ファーム団体FCWにおいてNXTの新人選手育成を担当した[18][19]。

2026年3月20日、74歳で死去[20][21]。

獲得タイトル

NWAミッドアメリカ / コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング / コンチネンタル・レスリング・フェデレーション
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:2回[10]
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回[8]
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:15回(w / フィル・ヒッカーソン×4、デビッド・シュルツ、ドン・カーソン、ランディ・ローズ×10)[5]
  • CWFヘビー級王座:1回[16]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回[9]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / ボビー・イートン)[27]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
アメリカン・レスリング・アソシエーション
インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
ナショナル・レスリング・アライアンス

脚注

関連項目

外部リンク

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