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ビル・ダンディー

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ビル・ダンディー(Bill Dundee、本名:William Cruickshanks、1943年10月24日 - 2026年9月6日)は、スコットランド出身の元プロレスラー。

リングネーム スーパースター・ビル・ダンディー
ウィリアム・ダンディー
サー・ウィリアム
スクワイア・ウィリアム
本名 ウィリアム・クルックシャンクス
ニックネーム 小型炸裂弾
スーパースター
身長 170cm[1] - 175cm[2]
概要 ビル・ダンディー, プロフィール ...
ビル・ダンディー
ビル・ダンディーの画像
2018年
プロフィール
リングネーム スーパースター・ビル・ダンディー
ウィリアム・ダンディー
サー・ウィリアム
スクワイア・ウィリアム
本名 ウィリアム・クルックシャンクス
ニックネーム 小型炸裂弾
スーパースター
身長 170cm[1] - 175cm[2]
体重 97kg(全盛時)[1]
誕生日 (1943-10-24) 1943年10月24日
死亡日 (2026-09-06) 2026年9月6日(82歳没)
出身地 イギリスの旗 イギリス
スコットランドの旗 スコットランド
ダンディー
トレーナー ジャッキー・ファーゴ
デビュー 1967年
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全盛時はアメリカ合衆国のテネシー地区を主戦場に、ジェリー・ローラーの宿敵および盟友として活躍した[1][2]。息子のJ・C・アイスことジェイミー・ダンディーもプロレスラーである。

来歴

幼少時にスコットランドのダンディーからオーストラリアのメルボルンに移住。サーカスのアクロバットを経て、1967年にジム・バーネット(後のGCWプロモーター)が当時オーストラリアで主宰していた団体にてデビュー[1]。出身地をリングネームに用い、ウィリアム・ダンディー(William Dundee)の名義で1970年代前半までオーストラリアで活動した[1]。

1974年にアメリカへ渡り、テネシーのNWAミッドアメリカ地区に定着。ベビーフェイスのスーパースター・ビル・ダンディー("Superstar" Bill Dundee)を名乗り、ヒール時代のジェリー・ローラーをはじめ、モンゴリアン・ストンパー、トージョー・ヤマモト、ジプシー・ジョー、ロジャー・カービー、デビッド・シュルツ、デニス・コンドリー、フィル・ヒッカーソンらと激闘を展開[3][4][5]、1977年にはローラーを相手にNWA南部ヘビー級王座を巡る抗争を繰り広げた[6]。なお、ダンディーはホンキー・トンク・マンに先駆け、自身と同じくケルト系の出自を持つメンフィス出身のエルヴィス・プレスリーへのオマージュとして、ジャンプスーツをリングコスチュームにしていた[2]。

1970年代末にローラーとジェリー・ジャレットがテネシー州メンフィスにCWAを発足させると、ブッカー兼任の主力ベビーフェイスとして同団体に参戦。以降1980年代全般に渡ってCWAを主戦場に、フェイスターンしたローラーやトミー・リッチと組んでタッグ王座を再三獲得。シングルではロン・バス、ポール・エラリング、テリー・テイラー、ダッチ・マンテルらを破り、NWAからAWAの認定タイトルとなった南部ヘビー級王座を(NWA認定時代を含め)通算13回獲得した[6]。新設されたCWA世界ヘビー級王座にも、1980年8月4日にビル・ロビンソンを破って戴冠している[7]。軽量級戦線でも活躍し、1981年6月1日にスタン・レーンを下してCWA認定のUSジュニアヘビー級王座を獲得[8]。他地区ではビル・ワットが主宰していたMSWAにて、1984年11月7日にエイドリアン・ストリートからTV王座を奪取した[9]。

また、状況に応じてヒールターンを行い、1980年代半ばにはローラーとの抗争劇を(フェイスとヒールのポジションを入れ替えた形で)再現した[10]。その後はベビーフェイスに戻り、再びローラーと組んでリッチ&オースチン・アイドルと抗争を展開[11]。1987年7月6日にはロッキー・ジョンソンをパートナーに、ポール・ダイヤモンド&パット・タナカのバッド・カンパニーからCWAインターナショナル・タッグ王座を奪取[12]。10月にはローラーとのコンビでAWA世界タッグ王座を2回獲得した[13]。

1989年からはCWAの後継団体であるUSWAに参戦し、トム・プリチャード、ダニー・デービス、エリック・エンブリーなどを相手に主にジュニアヘビー級戦線で活動。1992年6月には、当時USWAと接点を持っていたW★INGプロモーションの招聘で初来日が実現[2]。W★ING認定世界ジュニアヘビー級王座の初代王者決定リーグ戦に出場して、ジミー・バックランドと決勝を争った[14]。

1993年にUSWAはWWFとの提携を開始するが、ダンディーはUSWAを離脱してヒールのマネージャーとしてWCWに登場。英国紳士ギミックのサー・ウィリアム(Sir William)に変身し、ロード・スティーブン・リーガルのセコンド役を担当した[15]。また、当時のWCWではリック・フレアー、ケビン・サリバン、グレッグ・ガニア、マイク・グラハムらと共に、ブッキング・コミッティの常任メンバーとなってプロデュース業務にも携わっていた[16]。

その後はUSWAに復帰して、1995年2月25日にフラッグシップ・タイトルの統一世界ヘビー級王座をローラーから奪取したが、4月3日にレイザー・ラモンに敗れ短命王者に終わっている[17]。タッグでもローラーとのコンビを復活させ、息子のJ・C・アイスとウルフィー・Dの "PG-13" やバート・ソイヤー&フレックス・カバーナなどのチームを破り、USWA世界タッグ王座にも就いた[18]。また、PG-13が1996年にWWF入りした経緯もあり(ファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーションの初期のエスコート役を担当)、自身も当時のWWFの下部団体OVWに出場。1997年11月、バトルロイヤルに優勝してOVWヘビー級王者に認定された[1]。

2000年代にセミリタイアし、テネシー州ジャクソンでバーを経営する一方、メンフィス周辺のインディー団体にレジェンドとしてスポット参戦している[1]。

2026年9月6日未明、82歳で亡くなった[19]。

得意技

獲得タイトル

NWAミッドアメリカ / CWA / USWA
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA USジュニア・ヘビー級王座(サウスイースト版) : 1回[29]
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座 : 1回(w / トミー・リッチ)[30]
アメリカン・レスリング・アソシエーション
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウスTV王座 : 1回[9]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座 : 1回[31]
オハイオ・ヴァレイ・レスリング
  • OVWヘビー級王座 : 1回[1]

脚注

外部リンク

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