トニー・ロイ

アメリカ合衆国の野球選手 (1927-2010) From Wikipedia, the free encyclopedia

アントン・アンブローズ・ロイAnton Ambrose "Tony" Roig , 1927年12月23日 - 2010年10月20日[1])は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身のプロ野球選手内野手)。

生年月日 (1927-12-23) 1927年12月23日
没年月日 (2010-10-20) 2010年10月20日(82歳没)
概要 基本情報, 国籍 ...
トニー・ロイ
Tony Roig
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州ニューオーリンズ
生年月日 (1927-12-23) 1927年12月23日
没年月日 (2010-10-20) 2010年10月20日(82歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
183 lb =約83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手遊撃手一塁手
プロ入り 1948年
初出場 MLB / 1953年9月13日
NPB / 1963年4月6日
最終出場 MLB / 1956年9月26日
NPB / 1968年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

1948年フィラデルフィア・フィリーズと契約。1953年9月13日にワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)でメジャーデビュー。

1963年西鉄ライオンズ若林忠志ヘッドコーチに誘われて入団し、来日。同年から、移籍した豊田泰光の後継として遊撃手をつとめる。入団時36歳と全盛期は過ぎていたが、ジョージ・ウイルソンジム・バーマクリーンナップを形成し、シーズン後半は4番打者として西鉄のリーグ優勝に貢献した[2]1966年三塁手としてベストナインを獲得[2]。外国人選手が三塁手で受賞するのは両リーグ通じて初だった[2]。得票数は2位であったが、1位の国貞泰汎が二塁手でも1位となり、二塁手での得票が多かったため国貞は二塁で、ロイは繰り上げで受賞となった。

1968年高木喬菊川昭二郎との交換トレードで、清俊彦とともに近鉄バファローズに移籍。41歳のシーズンとなった近鉄でも18本塁打を打つなど活躍したが、同年限りで退団し、帰国した[2]

2010年ワシントン州リバティーレイクで82歳で死去。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
1953 WHS2 3880110020000--0--010.125.125.250.375
1955 2960573131101640010200152.228.254.281.535
1956 44141119112552034720112000296.210.321.286.607
1963 西鉄 1456035436313614321219816106643059710.250.308.403.712
1964 11245441748100231171766632332724939.240.290.422.713
1965 136537504731472702224077920132309816.292.333.476.810
1966 124496457521193002221556331628249110.260.305.470.776
1967 13552948746118201262188033043741999.242.295.448.743
1968 近鉄 12747442134101120181675851224762858.240.318.397.714
MLB:3年 762091841439730521120212200458.212.295.283.577
NPB:6年 779309328293167211265126123541829211222214171656362.255.309.437.745
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  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

NPB

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号

  • 29 (1953年)
  • 36 (1955年 - 1956年途中)
  • 4 (1956年途中 - 同年終了、1963年 - 1968年)

脚注

関連項目

外部リンク

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