菊川昭二郎

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1945-02-07) 1945年2月7日(80歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
菊川 昭二郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県菊池郡菊池町
生年月日 (1945-02-07) 1945年2月7日(80歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1963年
初出場 1963年
最終出場 1976年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

菊川 昭二郎(きくかわ しょうじろう、1945年2月7日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)。

鎮西高校では2年生の夏、1961年中九州大会へ進むが、準決勝で門岡信行がエースの大分・高田高校に敗れ、その後も甲子園には届かなかった。

1963年近鉄バファローズに入団[1]

1966年には9月に二塁手として6試合に先発出場するが実績を残せなかった。

1967年には内野のユーティリティプレイヤーとして一軍に定着、二塁手、三塁手として33試合に先発を果たす。

1968年清俊彦トニー・ロイとのトレードで、高木喬と共に西鉄ライオンズへ移籍[1]。ここでは1年目から俊足好守を買われ活躍する。同年は遊撃手として浜村健史と併用され73試合に先発出場、主に二番打者として起用される。

1970年には47試合に一番打者として出場した。

1971年黒い霧事件に連座して野球活動禁止処分を受けた船田和英が復帰し、遊撃手に回ったため出場機会が減少。

1972年には船田がヤクルトアトムズに放出され、同年はチャンスメーカーとして活躍、初めて規定打席(17位、打率.276)にも達した。翌年は梅田邦三が遊撃手に回ったため、主に三塁手として122試合に出場、リーグ19位の打率.264を記録する。14年間プレーしたが規定打席に到達したのはこの2年間だけだった。

1974年にはドン・ビュフォードが三塁手を兼ねたこともあり、出場機会が減る。

1975年吉岡悟とのトレードでロッテオリオンズに移籍[1]。ここでは指名打者や代打として起用されたが、1976年限りで引退した[1]。引退後は熊本市で建設機械会社を経営。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1963 近鉄 3002000000000000000----------------
1964 1116162210030010000051.125.125.188.313
1965 5650000000000010000.000.167.000.167
1966 2828272410051000010042.148.179.185.364
1967 73163153124261050124101900321.275.315.327.642
1968 西鉄
太平洋
95306275236890695271131711102294.247.281.345.627
1969 8021719973540039844421101264.176.223.196.419
1970 942912592763802771256332402401.243.312.297.610
1971 8012611510182133151140710144.157.205.270.474
1972 1164403814010513161382716719030010239.276.344.362.707
1973 1224764254311211221334311101233006346.264.321.313.634
1974 7923419918414025116311312011103.206.282.256.538
1975 ロッテ 561241127254002981030801162.223.281.259.540
1976 3650440710080001030281.159.245.182.427
通算:14年 87824772210193522645216591595634761115522524138.236.294.298.592
  • 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更

背番号

  • 43 (1963年 - 1967年)
  • 33 (1968年 - 1972年)
  • 6 (1973年 - 1974年)
  • 31 (1975年 - 1976年)

脚注

関連項目

外部リンク

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