トニー・ワトソン

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生年月日 (1985-05-30) 1985年5月30日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
トニー・ワトソン
Tony Watson
サンフランシスコ・ジャイアンツでの現役時代
(2019年7月30日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州スーシティ
生年月日 (1985-05-30) 1985年5月30日(40歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 MLBドラフト9巡目
初出場 2011年6月8日
最終出場 2021年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アンソニー・マイケル・ワトソン(Anthony Michael Watson、1985年5月30日 - )は、アメリカ合衆国アイオワ州スーシティ出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。愛称はワッティー(Watty)[1]

プロ入り前

2003年MLBドラフト23巡目(全体683位)でフロリダ・マーリンズから指名されたが[2]、、この時は契約せずにネブラスカ大学リンカーン校へ進学した。

2006年MLBドラフト17巡目(全体505位)ではボルチモア・オリオールズから指名されたが[3]、この時も契約しなかった。

プロ入りとパイレーツ時代

ピッツバーグ・パイレーツでの現役時代
(2017年6月7日)

2007年MLBドラフト9巡目(全体278位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され[4]、プロ入り[5]

2011年6月8日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で4番手として登板し、メジャーデビューを果たした。以後、貴重な中継ぎとしてパイレーツのブルペンに定着し、主に敗戦処理として経験を積んだ。この年は43試合に登板し、10ホールド、防御率3.95を記録した。

2012年はチーム最多の68試合に登板し、16ホールド、防御率3.38を記録した。

2013年はチーム2位の67試合に登板し、初セーブを記録するなど、2セーブ、22ホールド、防御率2.39の好成績で、チームにとって21年ぶりのプレーオフ進出に大きく貢献した。シンシナティ・レッズとのワイルドカードゲームでポストシーズン初登板を果たした。ディビジョンシリーズでは3試合に登板して無失点と活躍したが、チームは敗退してしまった。

2014年にはオールスターに初選出された。ナショナルリーグ最多の78試合に登板して2セーブ、34ホールド、防御率1.63の好成績でチームの2年連続のプレーオフ進出に大きく貢献した。

2015年はクローザーのマーク・マランソンにつなぐセットアップマンの地位を確立し、ナ・リーグ3位の77試合に登板し、防御率は1.91、歴代最多タイ(ナショナルリーグ新記録)の41ホールドを挙げ、チームの3年連続のプレーオフ進出に大きく貢献した。10月7日のシカゴ・カブスとのワイルドカードゲームでは7回表に登板したが、相手先発のジェイク・アリエータが2死球を与えていたことが影響してか、そのアリエータが打席に入ったときに投球を付近に当ててしまい、警告試合を宣告された後、乱闘のきっかけを作った。この試合では1死球以外の打者3人を凡退に抑えたが、チームは敗退してしまった。

2016年は、7月末にマランソンが放出されるまでにセットアップマンとして45試合に登板し、23ホールド、防御率2.64を記録し、その後クローザーとして25試合に登板して15セーブ、防御率3.86を記録。通年では、チーム最多で3年連続70試合以上となる70試合に登板して通算400試合登板に到達した。ただし、過去3シーズン連続で2.50未満だった防御率は3.06まで悪化した。また、WHIP1.06もここ4年でワーストの数値だった。

2017年は初めてクローザーの立場として開幕したが、47試合で5勝3敗10セーブ、防御率3.66、セーブ失敗7回と不安定で、6月にはフェリペ・リベロにクローザーの座を奪われた。

ドジャース時代

2017年7月31日にオニール・クルーズアンヘル・ヘルマンとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[5][6]。移籍後はケンリー・ジャンセンがクローザーを務めていためセットアッパーに回り、24試合で2勝1敗、防御率2.70の成績を挙げた。2チーム合算では4年連続70試合登板を達成し、7勝4敗10セーブ、防御率3.38であった。オフの11月2日にFAとなった[7]

ジャイアンツ時代

2018年2月19日にサンフランシスコ・ジャイアンツと2年契約(3年目は選手側オプション)を結んだ[8]

2020年オフの10月28日にFAとなった[9]

エンゼルス時代

2021年2月17日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[10]が、3月26日に自ら選んで契約を途中で放棄する「オプトアウト」を行使してFAとなった[11]。3月29日にロサンゼルス・エンゼルスと単年100万ドルのメジャー契約を結んだ[12]

ジャイアンツ復帰

2021年7月30日にサム・セルマン英語版ホセ・マルテイバン・アームストロングとのトレードでジャイアンツへ移籍した[13]。オフの11月3日にFAとなった[5]

2022年4月18日に現役引退を表明した[14]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2011 PIT 43000022010.50017441.03462041370018183.951.32
2012 68000052016.71421553.13752311531021203.381.13
2013 67000031222.75028071.25151216542019192.390.88
2014 780000102234.83330577.16451506810016141.631.02
2015 77000041141.80029375.15531714621017161.910.96
2016 700000251523.28627267.252102013580026233.061.06
2017 47000053106.62520946.25771443350020193.661.52
LAD 2400002108.6678220.01526321800662.701.05
'17計 710000741014.63629166.27292075530026253.381.38
2018 SF 72000046032.40026166.05441431720019192.591.03
2019 60000022025.50023154.05691215411026254.171.26
2020 210000102101.0007318.01333011500852.500.89
2021 LAA 36000033012.50013533.02531410250018174.641.18
SF 2600004107.8009024.11514001900882.960.78
'21計 62000074019.63622557.14041810440026253.921.01
MLB:11年 6890000472932246.6182620648.1528631742033570502222092.901.08
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

年度別守備成績



投手(P)












2011 PIT 4338001.000
2012 681820.818
2013 67212001.000
2014 7871110.947
2015 77512011.000
2016 705610.917
2017 47110031.000
LAD 2414011.000
'17計 71214041.000
2018 SF 72611021.000
2019 6039001.000
2020 212210.800
2021 LAA 363521.800
SF 2611011.000
'21計 624622.833
MLB 689409979.952

記録

背番号

  • 65(2011年)
  • 44(2012年 - 2017年7月30日)
  • 33(2017年8月1日 - 同年終了)
  • 56(2018年 - 2020年、2021年8月2日 - 同年終了)
  • 35(2021年 - 同年7月29日)

脚注

関連項目

外部リンク

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