トマス・ヴィジー (第3代ド・ヴェシー子爵)
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第2代ド・ヴェシー子爵ジョン・ヴィジーと妻フランシス・レティシア(Frances Letitia、1840年6月6日没、ウィリアム・ブラウンローの娘)の息子として、1803年9月21日にダブリンのメリオン・スクエアで生まれた[1]。1822年10月22日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1825年にB.A.の学位を修得した[2]。
1835年イギリス総選挙で保守党候補としてクイーンズ・カウンティ選挙区から出馬、787票(得票数1位)を得て庶民院議員に当選した[3]。1837年イギリス総選挙では894票(得票数3位)で落選したが、1841年と1847年の総選挙では無投票で当選した[3]。1852年イギリス総選挙をもって議員を退任した[3]。庶民院ではおおむね党議にしたがって投票した[1]。
1855年10月19日に父が死去すると、ド・ヴェシー子爵位を継承した[1]。1857年1月10日にアイルランド貴族代表議員に当選、1875年に死去するまで務めた[4]。
1875年12月23日にロンドンのカールトン・ハウス・テラスで死去、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)のアビーリークスで埋葬された[1]。長男ジョン・ロバート・ウィリアムが爵位を継承した[1]。
