トミー・ブライドウェル
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ブランズ・ハッチにて(2014年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 生年月日 |
1988年8月9日(37歳) ウィルトシャーエチルハンプトン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 現在のチーム | ホンダ・レーシング UK | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ゼッケン | 46 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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トーマス・ジョージ・ブライドウェル(Thomas George Bridewell、1988年8月8日 - )は、イギリス(イングランド)のオートバイレーサー。
兄・オリーの死
2007年、兄のオリー・ブライドウェルとともにチームNBからブリティッシュスーパーバイク選手権に参戦。オリーは第9戦(マロリー・パーク)での練習走行中に事故に遭い、現場で死亡が確認された[1]。ブライドウェルはそのラウンドで選手権から撤退した。
FIM スーパー・ストック1000
ブライドウェルは2008年にイタリアでレース活動を再開し、2009年にヤマハ・ロレンツィーニからFIM スーパー・ストック1000クラスに参戦[2]。開幕戦(バレンシア)で13位でフィニッシュするが、第3戦終了後にチームから離脱した。
ブリティッシュスーパーバイク選手権への復帰
2009年
ヨーロッパの舞台を離れた後、2009年にブリティッシュスーパーバイク選手権に復帰し、チームNBからプライベーターズ・カップに参戦し、26レース中7レースで優勝を飾り、2010年にクエイ・ガレージ・ホンダと契約し、メインシリーズに参戦[3]。
2010年
ブライドウェルはシーズン序盤、開幕戦(ブランズ・ハッチ)で2度のクラッシュを喫し、続く第2戦(スラクストン)でも出走を逃すなど、波乱万丈のスタートを切ったが、第4戦(キャドウェル・パーク)では4位入賞を果たし[4]、最終的に105ポイントで総合11位に終わった。
2011年
2011年もクエイ・ガレージ・ホンダに留まり、エントラント名をタイコ・レーシングへと変更した。開幕戦(ブランズ・ハッチ)で3位表彰台を獲得したが、第4戦(スラクストン)の練習中に大クラッシュを起こし、小指を切断した[5]。第6戦(スネッタートン)開催前の水曜日にタイコ・レーシングから離脱[6]。第9戦(キャドウェル・パーク)よりジェームス・ウェストモアランドに代わってモーターポイント・ヤマハと契約した[7]。
ブリティッシュスーパーバイク選手権

ブライドウェルは2013年の一部期間、ショーン・ミューア・レーシングの代役ライダーとして出場し、2014年にはフル参戦し、2015年にはタイコ・BMWに加入した。
2024年
2023年のBSBでチャンピオンを獲得した後の2023年12月下旬、ブライドウェルはPBM・レーシングを離れ、ホンダ・レーシング UKに加入[8]。
耐久レース
2018年、S-PULSE DREAM RACING・IAIから生形秀之、渡辺一樹とともに鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦し、4位フィニッシュでスズキ勢最上位となった[9]。
スーパーバイク世界選手権
2019年
2019年、ユージーン・ラバティの代役としてチーム・ゴーイレブンからスーパーバイク世界選手権第5戦(イモラ)に参戦。レース1で12位初入賞を記録したが、スーパーポールレースでは11位完走、レース2は大雨のためレース中止となった[10]。続く第5戦(ヘレス)にも出場し[11]、レース1・2で入賞を果たした。
2024年
2024年の最終戦(ヘレス)にチーム・HRC UKからワイルドカード参戦したが[12]、レース1・2でクラッシュし[13][14]、スーパーポールレース20位完走に終わった[15]。