トミー・ブライドウェル

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トミー・ブライドウェル
ブランズ・ハッチにて(2014年)
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1988-08-09) 1988年8月9日(37歳)
イングランドの旗 イングランド
ウィルトシャーエチルハンプトン英語版
現在のチーム ホンダ・レーシング UK
ゼッケン 46
レースでの経歴
スーパーバイク世界選手権
活動期間2019年, 2024年
マニファクチャラードゥカティ, ホンダ
チャンピオン0
2025年 順位33位 (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
13 0 0 0 0 12
ブリティッシュスーパーバイク選手権
活動期間2007, 2009
マニファクチャラースズキ, ホンダ, ヤマハ, BMW, カワサキ, ドゥカティ
チャンピオン1 (2023)
2024年 順位2位 (486 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
448 19 109 30 42 6928
スネッタートン・サーキットでのブライドウェル(2009年)

トーマス・ジョージ・ブライドウェル(Thomas George Bridewell、1988年8月8日 - )は、イギリスイングランド)のオートバイレーサー。

兄・オリーの死

2007年、兄のオリー・ブライドウェル英語版とともにチームNBからブリティッシュスーパーバイク選手権に参戦。オリーは第9戦(マロリー・パーク英語版)での練習走行中に事故に遭い、現場で死亡が確認された[1]。ブライドウェルはそのラウンドで選手権から撤退した。

FIM スーパー・ストック1000

ブライドウェルは2008年にイタリアでレース活動を再開し、2009年にヤマハ・ロレンツィーニからFIM スーパー・ストック1000クラスに参戦[2]。開幕戦(バレンシア)で13位でフィニッシュするが、第3戦終了後にチームから離脱した。

ブリティッシュスーパーバイク選手権への復帰

2009年

ヨーロッパの舞台を離れた後、2009年にブリティッシュスーパーバイク選手権に復帰し、チームNBからプライベーターズ・カップに参戦し、26レース中7レースで優勝を飾り、2010年にクエイ・ガレージ・ホンダと契約し、メインシリーズに参戦[3]

2010年

ブライドウェルはシーズン序盤、開幕戦(ブランズ・ハッチ)で2度のクラッシュを喫し、続く第2戦(スラクストン)でも出走を逃すなど、波乱万丈のスタートを切ったが、第4戦(キャドウェル・パーク英語版)では4位入賞を果たし[4]、最終的に105ポイントで総合11位に終わった。

2011年

2011年もクエイ・ガレージ・ホンダに留まり、エントラント名をタイコ・レーシングへと変更した。開幕戦(ブランズ・ハッチ)で3位表彰台を獲得したが、第4戦(スラクストン)の練習中に大クラッシュを起こし、小指を切断した[5]。第6戦(スネッタートン)開催前の水曜日にタイコ・レーシングから離脱[6]。第9戦(キャドウェル・パーク)よりジェームス・ウェストモアランド英語版に代わってモーターポイント・ヤマハと契約した[7]

ブリティッシュスーパーバイク選手権

ブランズ・ハッチにて(2023年)

ブライドウェルは2013年の一部期間、ショーン・ミューア・レーシング英語版の代役ライダーとして出場し、2014年にはフル参戦し、2015年にはタイコ・BMW英語版に加入した。

2024年

2023年のBSBでチャンピオンを獲得した後の2023年12月下旬、ブライドウェルはPBM・レーシングを離れ、ホンダ・レーシング UKに加入[8]

耐久レース

2018年、S-PULSE DREAM RACING・IAIから生形秀之、渡辺一樹とともに鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦し、4位フィニッシュでスズキ勢最上位となった[9]

スーパーバイク世界選手権

2019年

2019年ユージーン・ラバティの代役としてチーム・ゴーイレブンからスーパーバイク世界選手権第5戦(イモラ)に参戦。レース1で12位初入賞を記録したが、スーパーポールレースでは11位完走、レース2は大雨のためレース中止となった[10]。続く第5戦(ヘレス)にも出場し[11]、レース1・2で入賞を果たした。

2024年

2024年の最終戦(ヘレス)にチーム・HRC UKからワイルドカード参戦したが[12]、レース1・2でクラッシュし[13][14]、スーパーポールレース20位完走に終わった[15]

レース戦績

脚注

外部リンク

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