ドニエベル・アレシャンデル・マランゴン
ブラジルのサッカー選手
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ドニ(Doni)ことドニエベル・アレシャンデル・マランゴン(Donieber Alexander Marangon, 1979年10月22日 - )はブラジル・サンパウロ州ジュンジアイ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。イタリア・ロンバルディア州マントヴァ在住の祖母を持つため、イタリア国籍も有する[2]。
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
ドニエベル・アレシャンデル・マランゴン Donieber Alexander Marangon[1] | |||||
| ラテン文字 | DONI | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1979年10月22日(46歳) | |||||
| 出身地 | ジュンジアイ | |||||
| 身長 | 194cm | |||||
| 体重 | 91kg | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2001 |
| 0 | (0) | |||
| 2001-2003 |
| 59 | (-68) | |||
| 2004 |
| 0 | (0) | |||
| 2004-2005 |
| 6 | (-7) | |||
| 2005 |
| 22 | (-31) | |||
| 2005-2011 |
| 149 | (-155) | |||
| 2011-2013 |
| 4 | (-3) | |||
| 2013 |
| 0 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2007-2010 |
| 10 | (-8) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月13日現在。 2. 2008年6月19日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴

イタリアでは無名の選手であったが、アントニオ・カルロス・ザーゴの手引きでASローマに入団。セリエAのデビュー戦は2005年10月23日、SSラツィオとの「ローマ・ダービー」だった。
2005-06シーズンはジャンルカ・クルチから定位置を奪うと、ローマの11連勝に貢献した。ブラジル代表にも選出され、コパ・アメリカ2007では正GKとしてセレソンの優勝に貢献した。その後は同胞のジュリオ・セルジオ・ベルタニョーリと激しい定位置争いを繰り広げたが、毎年コンスタントに30試合以上出場した。しかし、2009-10シーズンは故障でその座を失い、2010-11シーズンもボグダン・ロボンツの加入で出場機会には恵まれなかった。
2011年7月15日、リヴァプールFCへ移籍[3]。移籍後はペペ・レイナの控えを務めた。2012年4月1日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦でレイナが退場処分を受けたため[4]、4月7日のアストン・ヴィラFC戦でプレミアデビューを飾った。しかし、4月10日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦で今度は自身が相手MFジュニア・ホイレットを倒して一発退場となった[5]。この年は4試合の出場に止まった。
2012-13シーズン開幕前の健康診断で、心臓に異常が見つかって心肺停止に陥り一時は意識を失った。その後、検査を受けるためローマに渡りチームを離脱。第2GKの座はブラッド・ジョーンズに譲った[6]。結局、一発退場になったブラックバーン戦がプレミアでの最後の出場となった。
2013年1月31日、フリートランスファーでボタフォゴFCへ移籍[7]。約8年ぶりの母国復帰となった。だが、定期検査で再び不整脈が見つかり、2013年8月13日に現役続行を断念し引退を発表した[8]。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 10試合 0得点(2007年-2008年)[9]
獲得タイトル
クラブ
- コリンチャンス
- カンピオナート・パウリスタ : 2001, 2003
- コパ・ド・ブラジル : 2002
- トルネイオ・リオ=サンパウロ : 2002
- ローマ
- コッパ・イタリア : 2006-07, 2007-08
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2007
代表
- ブラジル代表