ドン・ウン・ロマン

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生誕 (1925-08-03) 1925年8月3日
死没 (2005-07-27) 2005年7月27日(79歳没)
ドン・ウン・ロマン
Dom Um Romão
生誕 (1925-08-03) 1925年8月3日
出身地 ブラジルの旗 ブラジルリオデジャネイロ
死没 (2005-07-27) 2005年7月27日(79歳没)
ジャンル ジャズボサノヴァフュージョン
職業 ミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器 ドラムス、パーカッション
活動期間 1942年 - 2005年
レーベル ミューズパブロ、Vogue、Phillips、Waterlilly、JSR/Irma、JSR/Natasha、JSR/Irma、JSR/Cuadra
共同作業者 コパ・トリオ、セルジオ・メンデスキャノンボール・アダレイアントニオ・カルロス・ジョビンジョルジ・ベンジョールトニー・ベネットウェザー・リポート

ドン・ウン・ロマン[1](Dom Um Romão、1925年8月3日 - 2005年7月27日)は、ブラジルのドラマーおよびパーカッション奏者である[2][3]ボサノヴァのリズムをジャズに持ちこんだ、最初期のドラマーの一人として知られる[2]

1940年代後半よりプロのドラマーとして活動し、1955年には自身のグループ「コパ・トリオ」を結成[3]。1961年、セルジオ・メンデス率いる「ブラジリアン・ジャズ・セクステット」に加入し、1962年にはカーネギー・ホールで開催された「ボサノヴァ・フェスティヴァル」にメンデスの「ボサ・リオ・セクステット」の一員として出演、同年にはキャノンボール・アダレイのアルバム『キャノンボールズ・ボサ・ノヴァ』の録音に参加した[3]。1964年、初のリーダー・アルバム『Dom Um』を発表[3][2]。その他、1960年代前半にはジョルジ・ベンフローラ・プリムなどのアルバムにも参加している[4]

1965年に渡米してからは、メンデスとの活動を継続し[2]、その傍ら、フランク・シナトラアントニオ・カルロス・ジョビンの共演アルバム『シナトラ&ジョビン』(1967年)を含む多数の作品にセッション・ミュージシャンとして参加した[3]。1970年、セルジオメンデス&ブラジル'66大阪万博公演に参加した。1971年、アイアート・モレイラの後任としてフュージョン・バンドのウェザー・リポートに加入[2]。1972年、アメリカ・デビュー作に当たるリーダー・アルバム『ドン・ウン・ロマン』をミューズ・レコードから発表[2]

ロマンは2005年7月24日、レコーディング中に脳卒中を患い、27日にリオデジャネイロで死去した[5]

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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