グレッグ・エリコ
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| グレッグ・エリコ Greg Errico | |
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| 基本情報 | |
| 生誕 | 1948年9月1日(76歳) |
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| ジャンル | ソウル、ファンク、R&B |
| 職業 | ミュージシャン、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ドラム、パーカッション |
| 活動期間 | 1965年 - |
| 共同作業者 | スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ウェザー・リポート |
グレッグ・エリコ(Greg Errico、1948年9月1日 - [1])は、アメリカのミュージシャンにして音楽プロデューサーであり、人気と影響力のあるサイケデリック・ソウル/ ファンク・バンドのスライ&ザ・ファミリー・ストーンにおいてドラマーを務めたことで最もよく知られている[2]。
エリコはカリフォルニア州サンフランシスコで生まれ育った。1966年12月、エリコはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの創設メンバーであり、オリジナル・ドラマーであり、1971年にバンド内で混乱が続いていることを理由としてグループを辞めた最初のメンバーとなった[3]。
エリコは1973年から1974年にかけてフュージョン・グループのウェザー・リポートでツアーを行ったが、このグループでスタジオ・レコーディングは行わなかった。彼のパフォーマンスは、ウェブサイト「Wolfgang's Vault」にてホストされているライブ・レコーディングで聴くことができる。ジョー・ザヴィヌルは、エリコ以上にザヴィヌルの曲「Boogie Woogie Waltz」を上手に演奏できる人はいないと語った。
エリコは1974年9月、『ダイアモンドの犬』1974年アメリカ・ツアーのためにデヴィッド・ボウイ・バンドに加わった[4]。
エリコはその後、1972年6月7日にリリースされることとなるサンタナのカルロス・サンタナとバディ・マイルスとのライブで、またグレイトフル・デッドとコラボレーションを行った。1974年、ジェリー・ガルシア・バンドのドラムを務めるようになり、出入りはあったが1984年まで続いた。また、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グラハムに加えて、タワー・オブ・パワー・ホーンズや、ジャーニー、ポインター・シスターズのメンバーたちと、エリコがドラムとプロデュースを担当したベティ・デイヴィスのファースト・アルバムで共演している。彼はアイク・ホワイトの唯一のアルバム『チェンジン・タイムズ』をプロデュースしてドラムを叩いた。
エリコはいまだにサンフランシスコ・ベイエリアに住んでおり、演奏とプロデュースを続けている。彼の最近のプロジェクトの1つは、ジェイミー・デイヴィスのビッグバンドによるアルバムのプロデュースであった。また、2006年のグラミー賞で、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのトリビュートとして、かつてのバンド・メイトのほとんどと一緒に演奏を行った。近年、彼は改編されたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのためにドラムを演奏した。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのメンバーとして、エリコはウッドストックで演奏し、1993年にロックの殿堂入りを果たした。彼はスライ&ザ・ファミリー・ストーンの創設メンバー仲間であるジェリー・マルティーニ(サックス)と一緒に、ザ・ファミリー・ストーンと共にツアーを続けた。このバンドには、2015年に亡くなる前までスライ&ザ・ファミリー・ストーンの元メンバーであるシンシア・ロビンソン(トランペット)も含まれていた[5]。
エリコはそのキャリアを通じて、スリンガーランド、ラディック、DWなどのさまざまなドラムセットを演奏してきた。彼は現在、DWドラムとパイステ・シンバルを演奏している。
2014年の科学論文によると、エリコはこれまでのすべてのミュージシャンの中で、最高クラスなページランクの中心性、具体的には2番目に高い固有ベクトル中心性を持つミュージシャンである[6]。