ナビス
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紀元前207年、マンティネアの戦いでスパルタ王ペロプスの後見人マカニダスが敗死し、ナビスはその後任に就いた。しかし、ナビスはエウリュポン朝の王デマラトスの子孫を自称してペロプスを廃位し、紀元前206年に処刑した。こうしてナビスはスパルタの支配者の地位に着き、王を称した。しかし、リヴィウスやポリュビオスは彼を王とは呼ばず、僭主と呼んでいる。
権力を掌握したナビスは、紀元前3世紀末の改革者クレオメネス3世の路線を取った。彼は裕福者を追放して彼らの土地の再分配を行い、多くの奴隷を解放して市民階級に上げた。こうした市民の増大は兵力の増大を意味しており、彼のスパルタ再興のための布石であった。他方、ナビスについてリヴィウスとポリュビオスは軍事力と残虐さによって権力を掌握した血に飢えた暴君として言及しており、例えばポリュビオスはナビスの支持者を「殺人者の集団、夜盗、すりと追いはぎ」であるとか(ポリュビオス、『世界史』、13、6)、追放された裕福者の妻を山賊や元奴隷と結婚させた(ibid、13、6-7)と述べている。
対外政策
ナビスは対外政策においてはアイトリア、エリス、メッセネと同盟してアカイア同盟とマケドニア王国と対立した。第一次マケドニア戦争の後、ナビスは勢力拡大を目論み、ラコニアとメッセネの大部分を征服したが、紀元前204年にはメガロポリス攻略に失敗した。その一方で同盟国のクレタの助力を受けて海軍力の増強も行い、城壁を築いてスパルタの市の守りを固めた。紀元前201年、彼は再びメッセネに侵攻し、一時はメッセネを手中に収めたが、フィロポイメン率いるアカイア同盟軍にテゲアにて決定的な敗北を喫し、退却を強いられた。ペロポネソス半島の北半分を支配するアカイア同盟、特にその将軍フィロポイメンは今後もナビスの領土的野心の前に立ち塞がることになる。幾度もナビスは彼に敗れたが、他の将軍を相手にしたときは勝利を収めた。第二次マケドニア戦争では、彼はマケドニアと同盟し(紀元前199年)、その対価としてアルゴスを得た。しかし、戦況がマケドニアに不利になり始めると彼はローマに亡命した。