ネマニャ・ヴチチェヴィッチ

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本名 ネマニャ・ヴチチェヴィッチ
愛称 ネマ、サイコ[1][2][3]
ラテン文字 Nemanja Vučićević
セルビア語 Немања Вучићевић
ネマニャ・ヴチチェヴィッチ
TSV1860ミュンヘン所属時
名前
本名 ネマニャ・ヴチチェヴィッチ
愛称 ネマ、サイコ[1][2][3]
ラテン文字 Nemanja Vučićević
セルビア語 Немања Вучићевић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1979-08-11) 1979年8月11日(46歳)
出身地 ベオグラード[4]
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF[1]FW[5]
利き足 右足[2][3]
ユース
0000-1996 ユーゴスラビアの旗 ラド・ベオグラード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 ユーゴスラビアの旗 グラフィチャル 44 (18)
2000-2001 ユーゴスラビアの旗 OFKベオグラード 28 (7)
2001-2003 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 16 (0)
2003-2004 ユーゴスラビアの旗 OFKベオグラード 25 (3)
2004-2007 ドイツの旗 1860ミュンヘン 48 (12)
2007-2009 ドイツの旗 1.FCケルン 53 (2)
2009-2010 イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 9 (3)
2010-2011 ギリシャの旗 カヴァラ 23 (2)
2011-2012 キプロスの旗 アノルトシス・ファマグスタ 9 (0)
2012 トルコの旗 マニサスポル 9 (2)
2012-2013 日本の旗 FC東京 29 (9)
2015 インドネシアの旗 PSMマカッサル 1 (1)
通算 294 (59)
代表歴
2000-2001  セルビア U-21 6 (0)
2016-  セルビア ビーチサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネマニャ・ヴチチェヴィッチ(Nemanja Vučićević, セルビア語: Немања Вучићевић, 1979年8月11日 - )は、セルビアベオグラード出身のサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダーを主とする[1]

7歳の時にサッカーを始め[3][2]、地元FKラド・ベオグラードの下部組織へ入団。

1996年にラドを離れプロサッカークラブを模索するが、中々契約に至らず、1998年になってセルビア・スルプスカ・リーガRFKグラフィチャルに加入。プロキャリアをスタートさせた。グラフィチャルで実績を積み、2000年よりプルヴァ・リーガ(1部)のOFKベオグラードに加入。U-21セルビア代表にも選出された[6]

2001年にはロシア・ヴィシーディヴィビジョン(1部・現プレミアリーグ)のFCロコモティフ・モスクワに移籍し、リーグ優勝とUEFAチャンピオンズリーグの出場を経験した。

2003年に再びOFKベオグラードに戻り、2004年、ドイツ・ツヴァイテリーガ(2部)のTSV1860ミュンヘンへ移籍。2006-07シーズンにはベルカント・ギョクタン (en) に次ぐチーム2位の9得点を挙げ[7]ブンデスリーガ(1部)のVfBシュトゥットガルトを始めとする複数のクラブからオファーを受けたが[4]、ヴチチェヴィッチと彼の代理人は、好調を維持し更に得点を重ねればドイツ国内のトップクラブへも移籍できると考え、これらのオファーを拒否[4]。しかしその直後に負傷し[4]、結局2部の1.FCケルンへ移籍することになった。ケルンではクリストフ・ダウム監督の下、1部への昇格に貢献。2008-09シーズン第27節ボルシア・ドルトムント戦でファブリス・エレのアシストからブンデスリーガでの初得点を挙げた[8][9]

2009年セバスティアン・フライス (en) の加入に伴い[10][11] ケルンを退団し、イスラエル・プレミアリーグ(1部)のハポエル・テルアビブFCへ移籍。エリ・グットマン (en) 監督からリーダー格として大きな信頼を寄せられ[4]先発出場を続けていたが[12]、打撲による内出血から[4]深部静脈血栓症を発症したことで長期離脱を強いられた[13]。翌2010年ギリシャ・スーパーリーグ(1部)のAOカヴァラで症状の回復を図りながら[4]プレーを続けた。

2011年、2年契約で[4]キプロス・ファーストディビジョン(1部)のアノルトシス・ファマグスタへ移籍したが、ロニー・レヴィ (en) 監督に疎まれ[注 1]、半年で退団。2011-12シーズンの途中で加入したトルコ・シュペルリガ(1部)のマニサスポルは財政面などクラブ状況が悪く[4]、2部降格を喫した。

2012年7月より、同郷のランコ・ポポヴィッチが監督を務めるJリーグ1部FC東京の練習にテスト参加し[14]、翌8月に加入が発表された[1]。同月18日のJ1第22節大宮戦で初出場[15]。早々とチームにフィットし[16]、J1第25節清水戦で初得点を挙げると[15]、その後全て途中出場ながら6得点を挙げ[15]得点率でリーグ1位となるなど[17]、スーパーサブとして活躍した[18]2013年靭帯損傷による離脱[19] などによる出遅れにより[20] 得点ペースを落としたが、ポポヴィッチからは相手ゴール前での冷静さとミスを恐れない姿勢を高く評価されていた[21]。同年限りで退団[22]

その後1年強の間無所属でいたが、2015年にインドネシア・スーパーリーグ(1部)・PSMマカッサルにおいて外国籍選手のセレクションに参加[23]。ストライカーとして認められ[24] 同クラブに加入。しかしFIFAによる制裁でリーグ戦が休止となったため、帰国。

2016年、EUROビーチサッカーカップ (2016 Euro Beach Soccer Cup) に臨むビーチサッカーセルビア代表に選出[25]。また、同年のEUROビーチサッカーリーグ (2016 Euro Beach Soccer League) ではモルドバ戦及びカザフスタン戦でハットトリックを挙げるなど得点源としてチームを牽引した[26]

所属クラブ

マニサスポル所属時
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1998-99グラフィチャルスルプスカ175
1999-002713
2000-01 (en) OFKベオグラードプルヴァ28710
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2001 (en) Lモスクワ19[5]ヴィシー30
2002 (en) プレミア9010
2003 (en) 401020
セルビア・モンテネグロ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2003-04 (en) OFKベオグラードプルヴァ25332
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2004-05 (en) 1860ミュンヘン23[5]ツヴァイテ101
2005-06 (en) 10221
2006-07 (en) 7[5]28910
2007-08 (en) 1.FCケルン21[5]24111
2008-097[5]ブンデス29110
イスラエル リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10 (en) Hテルアビブ7[5]プレミア9310
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
2010-11 (en) カヴァラ10[5]スーパー23220
キプロス リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011-12 (en) Aファマグスタ10[5]ファースト90
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2011-12 (en) マニサスポル77[5]シュペルリガ92
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012FC東京32J11362010166
20131635030243
インドネシア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015 (en) マカッサル9ISL11
通算ユーゴスラビアプルヴァ 287
ユーゴスラビアスルプスカ 4418
セルビア・モンテネグロプルヴァ 25332
ロシアヴィシー/プレミア 160
ドイツブンデス 291
ドイツツヴァイテ 7213
イスラエルプレミア 9310
ギリシャスーパー 23220
キプロスファースト 90
トルコシュペルリガ 92
日本J1 2997040409
インドネシアISL 11
総通算 29459
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFA ELCL予選UEFA CL
2001-02/CLLモスクワ191[6]0[6]
2002-03-
2003-04-
2009-10Hテルアビブ75[6]1[6]--
2011-12Aファマグスタ104[6]1[6]--
通算UEFA 102
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴

タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

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