ランコ・ポポヴィッチ

From Wikipedia, the free encyclopedia

愛称 ポポ[1]
ラテン文字 Ranko POPOVIĆ
キリル文字 Ранко Поповић
ランコ・ポポヴィッチ
名前
愛称 ポポ[1]
ラテン文字 Ranko POPOVIĆ
キリル文字 Ранко Поповић
基本情報
国籍  オーストリア
セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1967-06-26) 1967年6月26日(58歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアペチ
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF(CB)
ユース
1987-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ブドゥチノスト・ペチ[注 1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 パルチザン・ベオグラード 2 (0)
1989-1990 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 FKレオタル・トレビニェ(loan) 13 (0)
1992-1994 ユーゴスラビアの旗 FKスパルタク・スボティツァ
1994-1995 ギリシャの旗 エスニコスOFPF 10 (0)
1995-1997 スペインの旗 アルメリアFC[注 2] 16 (0)
1997-2001 オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ 74 (10)
2001-2002 オーストリアの旗 TuS FCアルヌ・フェリスドイツ語版
通算 115 (10)
監督歴
2002-2004 オーストリアの旗 TuS FCアルヌ・フェリス
2004-2006 オーストリアの旗 パクヘリフ
2007-2009 セルビアの旗 スパルタク・ズラティボル・ヴォダ[注 3]
2009 日本の旗 大分トリニータ
2011 日本の旗 FC町田ゼルビア
2012-2013 日本の旗 FC東京
2014 日本の旗 セレッソ大阪
2014-2015 スペインの旗 レアル・サラゴサ
2016-2017 タイ王国の旗 ブリーラム・ユナイテッドFC
2017-2018 インドの旗 FCプネー・シティ
2018-2019 オーストリアの旗 SKNザンクト・ペルテン
2020-2022 日本の旗 FC町田ゼルビア
2023 セルビアの旗 ヴォイヴォディナ
2024 日本の旗 鹿島アントラーズ
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ランコ・ポポヴィッチセルビア語: Ранко Поповић[注 4]1967年6月26日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)・ペチ(資料によってはボスニア・ヘルツェゴビナ)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。4カ国語に堪能である。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。

選手時代

ユーゴスラビアコソボ・メトヒヤ自治州ペチ出身。

1980年に生家の土地を接収され、1981年に父を亡くすという環境の中[1]、肉体労働で家計を助けながら学校へ通い[2] サッカーを続けた。FKブドゥチノスト・ペチ[注 1] でユース年代を過ごし、ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ(1部リーグ)のパルチザン・ベオグラード[注 5] でリーグ戦デビューを果たす[3]

その後はユーゴスラビアのFKレオタル・トレビニェFKスパルタク・スボティツァに在籍したが、紛争の影響から海外にプレーの場を求め[4]ギリシャ・アルファ・エスニキ(1部)のエスニコスOFPFスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部リーグ)のアルメリアCF[注 2] とチームを転々とした。

1997年からオーストリア・ブンデスリーガ(1部リーグ)のSKシュトゥルム・グラーツ[注 5]に移籍。フランコ・フォーダダルコ・ミラニッチ (Darko Milanič) と3バックを組み[5]フォアリベロとして攻撃の起点を担った[6]。1997/98、1998/99シーズンにリーグ連覇、3大会連続でUEFAチャンピオンズリーグに出場[3]。グラーツでは「30歳から一番力が伸び、34歳でベストゲームを戦えた」と充実した時を過ごすも、坐骨神経痛を抱えながらのプレーを強いられていた[7]

指導者時代

2001年からライプニッツ郡にあるオーストリア・ランデスリーガ(4部リーグ)のTuS FCアルヌ・フェリスドイツ語版プレーイングマネージャー、2002年から監督に専念し、同シーズンには優勝[3]

2004年からパクヘリフで指導経験を積む[注 6]。2006年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチJリーグサンフレッチェ広島監督就任に伴いコーチとして訪日[9]

翌2007年10月に退団し[10]FKスパルタク・ズラティボル・ヴォダ[注 3] 監督に就任。同シーズンにはヴォイヴォディナ地域リーグ(セルビア3部)優勝、プルヴァ・リーガ(同2部)への昇格を果たした。翌2009年にはスーペルリーガ(同1部)昇格を達成。

2009年7月、大分トリニータを解任されたペリクレス・シャムスカ監督の後任として同クラブの指揮を執ることが発表された[11][12]。就任当初は戦術が浸透せず4連敗し、シャムスカ時代の成績もあってJ1で最初に降格決定してしまうが、後半戦に入って持ち直し、終盤10試合を負けなしで終えた[13][9]

J1残留こそ果たせなかったものの、劇的にチームを立て直した功績から[9]留任が内定していたが、同年末、大分に10億円以上の債務超過をはじめとする深刻な経営難が発覚。全ての資金運営にJリーグの監視が入る状況下で、通訳なども含めたポポヴィッチへの高い人件費が問題視された。ポポヴィッチ自身は自ら減俸を申し出てまで続投を望んだが、同年12月11日に契約非更新が発表された[14][15]

2011年シーズンから当時JFL所属のFC町田ゼルビア監督に就任した[16][9]。目標であるJ2昇格圏内入りを果たし、同年限りで退任[17]

2012年シーズンからFC東京監督に就任[18]。クラブ初となるAFCチャンピオンズリーグでの戦いに臨み、ベスト16に入った。攻撃的サッカーを徹底して貫く姿勢はクラブ首脳陣から高く評価され[19] 2013年には同クラブでのJ1における過去最多得点を挙げたが、勝ち点の取りこぼしから[20] 優勝争いに加われず、同年限りで退任[21]

2014年、セレッソ大阪の監督に就任[22]。代表選手を揃え大きな注目を集める中、従来採用されてきたカウンターからポゼッションへと攻撃の転換を図ったが[23] 次第に勝利から遠ざかり、AFCチャンピオンズリーグではベスト16、リーグ戦では第14節終了時点で13位と低迷。クラブ首脳から「ポゼッション率が上がったのに面白くない」と批判を受け[23]、期待する選手の個人名を出しメディアの前で厳しく叱責するというC大阪以前から用いてきた手法[24] についても問題視されたために[注 7]6月のリーグ中断期間に入って解任された[25]

同年11月、レアル・サラゴサの監督に就任[28][29]。財政難のため保有選手数を制限され[30]カンテラ所属の選手を登用せざるを得ない状況下ながらボルハ・ゴンサレスの得点量産もあって上位進出に成功。昇格プレーオフに持ち込むも、アウェーゴール差で決勝戦に敗れ1部復帰を逃した[31]。翌2015-16シーズンも留任しFC東京及びC大阪で指導した長谷川アーリアジャスールを呼び寄せる。第12節終了時には2位にまで順位を上げたが、2015年12月の同18節に昇格圏を外れ、即座に契約解除となった[32](事実上の解任[33])。

2016年8月、ブリーラム・ユナイテッドFC監督に就任[34]

2017年9月25日、FCプネー・シティの監督に就任した[35]

2020年より町田の監督に就任すると発表された[36]。2022年7月2日のベガルタ仙台戦の前半36分に大坪博和主審からイエローカードを提示されて累積警告4枚目となり、Jリーグの監督では珍しい累積警告による1試合のベンチ入り禁止という珍事が起きた[37]

2024年より鹿島アントラーズの監督に就任した[38]。 町田時代と同様、通訳は塚田貴志が担当する。10月6日、「今シーズンのマネジメントとパフォーマンスを総合的に判断した結果」として監督を解任された[39]。この解任はアルビレックス新潟戦で4対0という勝利を挙げた翌日であった[40]

エピソード

  • 日本語通訳を務めた塚田貴志によれば、ポポヴィッチは母国語、ドイツ語、スペイン語はネイティブで、英語も堪能、日本語もだいぶ判っているレベルにあるという[41]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1988-89 (en) パルチザンプルヴァ0
1989-90 (en) レオタルドルガ (en) 130
1990-91 (en) パルチザンプルヴァ0
1991-92 (en) 0
1992-93 (en) スパルタク
1993-94 (en) 
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯エラーダス杯 期間通算
1994-95 (en) エスニコスアルファ
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1995-96 (en) アルメリアセグンダ0
1996-97 (en) 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
1997-98 (en) グラーツ24ブンデス32320
1998-99 (en) 25320
1999-00 (en) 62
2000-01 (en) 111
2001-02アルヌ・フェリスランデス (en) 10
通算ユーゴスラビアプルヴァ ||||||||||||||
ユーゴスラビアドルガ 130||||||||||||
ギリシャアルファ ||||||||||||||
スペインセグンダ 0||||||||||||
オーストリアブンデス 749||||||||||||
オーストリアランデス ||||||||1||0||||
総通算 ||||||||||||||
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFAカップUEFA CLUEFA CWC
1988-89パルチザン--
1990-91--
1991-92--
1997-98グラーツ24--30
1998-99-70-
1999-00/CL20-
2000-01-60-
通算UEFA 15030

指導歴

監督成績

年度クラブ所属リーグ戦カップ戦
オーストリア順位勝点試合リーグ杯オーストリア杯
2002アルヌ・フェリスランデス
2002-03
2003-04
2004-05パクヘリフ
2005-06
セルビア順位勝点試合リーグ杯セルビア杯 (en) 
2007-08 (en) スパルタクヴォイヴォディナ (en) 優勝79302541
2008-09 (en) プルヴァ4位60341798
日本順位勝点試合ナビスコ杯天皇杯
2009大分J117位2316655-3回戦
2011町田JFL3位61331878-2回戦
2012FC東京J110位483414614ベスト42回戦
20138位543416612グループリーグベスト4
2014C大阪13位1613445--
2020町田J219位4942121317--
20215位7242201210-2回戦
2022 15位514214919-2回戦
2024鹿島J14位533215893回戦ベスト8
スペイン順位勝点試合コパ・デル・レイ
2014-15 (en) サラゴサセグンダ6位412810117--
2015-16 (en) 8位27187653回戦-
タイ順位勝点試合リーグ杯FA杯
2016ブリーラムTPL-
通算オーストリアランデス -- --
セルビアプルヴァ --341798--
セルビアヴォイヴォディナ --302541--
日本J1 --97402136--
日本JFL --331878--
スペインセグンダ --46171712--
タイTPL -- --
総通算 --2401175865--
  • 2009:途中就任 (順位は最終順位)
  • 2014、2015-16、2024:途中解任 (順位は解任時順位)

タイトル

選手時代

SKシュトゥルム・グラーツ

監督時代

FKスパルタク・スボティツァ
  • セルビアリーグヴォイヴォディナ:1回(2007-2008)
ブリーラム・ユナイテッドFC

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI