ハイメ・ロドリゲス
エルサルバドルのサッカー選手
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ハイメ・アルベルト・ロドリゲス・ヒメネス(Jaime Alberto Rodríguez Jiménez , 1959年1月17日 - 2025年9月14日[1])は、エルサルバドル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(リベロ)。愛称はチェローナ(Chelona)[2]で、日本ではそれが登録名にもなっていた。
Jaime Alberto Rodríguez Jiménez
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ハイメ・アルベルト・ロドリゲス・ヒメネス Jaime Alberto Rodríguez Jiménez | |||||
| 愛称 | ラ・チェローナ (La Chelona) | |||||
| ラテン文字 | Jaime Rodríguez | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1959年1月17日 | |||||
| 出身地 |
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| 没年月日 |
2025年9月14日(66歳没) | |||||
| 身長 | 181cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1975-1977 |
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| 1978-1979 |
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| 1980-1982 |
| |||||
| 1982-1987 |
| 139 | (6) | |||
| 1984-1985 |
→ | 9 | (2) | |||
| 1987-1990 |
| 67 | (11) | |||
| 1990 |
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| 1991-1992 |
| 15 | (4) | |||
| 1992-1993 |
| 2 | (0) | |||
| 1994 |
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| 通算 | 232 | (23) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1982-1990 |
| 50 | (2) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
来歴
16歳でアリアンサFCとプロ契約、以来ドイツ、メキシコ、フィンランドの海外のクラブを渡り歩いた。1982年にエルサルバドル代表に選出され、同年のワールドカップ・スペイン大会を始め1990年までに50試合に出場した。
1991年秋に日本でのプレーを希望し来日[3]。当初はJリーグに参加予定だった日産自動車の練習に参加[3]。当時監督だった清水秀彦は彼のリベロとしての能力に注目し、「オスカー(元ブラジル代表主将)以上かもしれない」と評した[3]。しかし日産には井原正巳・柱谷哲二らセンターバックの有望株が在籍していた上、翌年には小村徳男の加入も控えていたために獲得は見送られ、最終的に日本サッカーリーグ2部のNKKに入団した[3]。NKK入りが決まると、母国の国民的英雄ということもあり、エルサルバドルの国営放送のクルーが送り込まれた[3]。活躍が認められ翌1992年にJリーグの横浜フリューゲルスへ移籍[3]。加茂周監督の下でゾーンプレスを志向するチームの中心選手として期待されたが[3]、1年目は怪我、2年目は外国人枠の関係で出場機会は少なかった。
帰国後は引退試合がサンサルバドル・ロサンゼルスで開催され、後者の試合は現地のエルサルバドル人出稼ぎ労働者が集まり4万人ものファンが来場した[3]。
アリアンサFCの監督[2]、エルサルバドル代表のアシスタントコーチを経て、2009年6月にエルサルバドル国立スポーツ研究所(INDES) の会長に就任した[4]。