バットマン: デス・イン・ザ・ファミリー
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| "A Death in the Family" | |
|---|---|
| 出版社 | DCコミックス |
| 出版日 | 1988年8月 – 11月 |
| タイトル | Batman #426–429 |
| 主要キャラ | |
| 製作者 | |
| ライター | ジム・スターリン |
| ペンシラー | ジム・アパロ |
| インカー | マイク・デカーロ |
| レタラー | ジョン・コスタンザ |
| 着色 | アドリアン・ロイ |
| 編集者 | デニス・オニール |
『バットマン:デス・イン・ザ・ファミリー』(原題: "A Death in the Family")はDCコミックスが発行するコミックブック『バットマン』で1988年に展開されたストーリーライン。原作はジム・スターリン、作画はジム・アパロ、表紙はマイク・ミニョーラが手掛けた。同年8月から11月にかけて『バットマン』第426-429号に掲載された。バットマンの助手であるロビンが宿敵ジョーカーの手にかかって命を落としたことで、バットマンシリーズの中でも重要な作品の一つとみなされている。
本作の中心人物であるジェイソン・トッドは、1983年に初代ロビンのディック・グレイソンが『バットマン』誌から離れた際に2代目を継いだ。1986年に設定のリブートが行われ、反抗的で向こう見ずな性格として描かれるようになると、ジェイソンは読者の人気を失った。同誌の原作者ジム・スターリンはジェイソンを死なせるよう提案した。担当編集者デニス・オニールはジェイソンの性格設定を見直すか、『バットマン』誌から退場させるかのどちらかを検討していた。しかしオニールは、テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』の1982年放映回で、生きたロブスターを茹でて殺すかどうかを生放送中に電話投票で決める企画があったのに注目した。同様の話題作りを狙ったDC社は、有料の電話番号を用いてジェイソンの生死を賭けた読者投票を行うことにした。
「デス・イン・ザ・ファミリー」はジェイソンがバットマンの指示を無視して無謀な行動をとるシーンから始まる。家族の死がジェイソンの心理に影響を与えていると考えたバットマンはジェイソンを自警活動から解任する。ジェイソンは生き別れた母親を探して中東に向かうが、そこで陰謀を企んでいたジョーカーによって拘束される。『バットマン』第427号の最終シーンにおいて、ジョーカーはジェイソンが監禁された倉庫を爆弾で吹き飛ばす。ここで電話投票が行われた。結果は僅差で死が多数を占め、続く第428号でバットマンは瓦礫の中にジェイソンの死体を見つけることになった。それに続くストーリーでは、バットマンとスーパーマンが国連総会を皆殺しにしようとするジョーカーを阻止した。この作品は論争を招き、大きく注目された。ジェイソンに人気がなかったにもかかわらず、代表的なキャラクターの一人を死なせるというDCコミックスの決定は反発を受けた。
後年の評者はジェイソンを死なせるという編集上の決定を評価し、「デス・イン・ザ・ファミリー」をバットマン作品の中でも上位に位置付けている。ただし、プロットが非現実的であり、作中で描写される中東がイスラムフォビア的だという批判もある。バットマンがジェイソンを救えなかったという事実はその後のシリーズをダークな方向に傾けることになり、その意味でも本作の影響は長く残った。作品の中ではロビンの名前は1989年にティム・ドレイクによって受け継がれた。ジェイソン自身は「バットマン: アンダー・ザ・レッドフード」(2004–2006) のストーリーラインにおいて死から蘇り、レッドフードを名乗った。「デス・イン・ザ・ファミリー」はファンの間で長期にわたって人気を保っており、コミックブック版の直後に刊行された単行本は何度も重版されている。バットマンの映画作品、テレビシリーズ、ビデオゲームでも本作のプロットが部分的に取り入れられている。直接的な翻案としては、2020年に発売されたアニメーションのインタラクティブ映画『バットマン: デス・イン・ザ・ファミリー』がある。
2012年に小学館集英社プロダクションから高木亮の翻訳による日本語版(ISBN 978-4796871310)が刊行された。
背景
ロビンはDCコミックスのスーパーヒーローキャラクターであるバットマンの少年サイドキックで、1940年4月に『ディテクティヴ・コミックス』第38号で最初に登場した。同号の作者ボブ・ケイン、ビル・フィンガー、ジェリー・ロビンソンらには、バットマンに相棒を作ることで子どもの読者を喜ばせる意図があった[2]。初代ロビンとなったディック・グレイソンは長きにわたってバットマン関連誌でレギュラーを務めた。1980年代初め、マーヴ・ウルフマンとジョージ・ペレスらはディックを『ニュー・ティーン・タイタンズ』誌で使い始めた[3]。ロビン不在となった『バットマン』誌の原作者ジェリー・コンウェイと作画家ドン・ニュートンは、同誌第357号(1983年3月)でジェイソン・トッドを作り出した[4]。ウルフマンとペレスは『ティーン・タイタンズ』でディックにロビンを卒業させ、新ヒーローのナイトウィングを名乗らせた。バットマン関連誌ではジェイソンがロビンを襲名した[4][5]。
初登場時の設定では、ジェイソンはサーカスの軽業師だった両親が殺害されたことからバットマンの弟子になる。このオリジンストーリーはディックのものと実質的に同一だった[5]。1970年代を通して『バットマン』『ディテクティヴ・コミックス』両誌の原作を務め、1986年にバットマン関連誌の編集者となったデニス・オニールは[制作者のコンウェイとニュートンは] 新しいキャラクターを作る必要を感じていなかった。「とにかくロビンを出さなければいけない。それならいつものやり方でいこう。このロビンでずっとうまくいってきたんだから、またこいつを出そう」と考えていたんだろう
と述べている[1]。
1985年から翌年にかけて、DC社の作中世界は大型クロスオーバー作品『クライシス・オン・インフィニット・アース』を通じて一から再創造されることになった[注 1]。ジェイソンの新しい設定は『バットマン』誌の原作者マックス・アラン・コリンズが請け負った[4]。同誌第408号(1987年6月)に始まる全4号のストーリーで、コリンズと作画家クリス・ワーナーは、バットマンに引き取られる素行の悪いストリートキッドとしてジェイソンを新登場させた[6]。
新しいジェイソンは反抗的・衝動的な性格が読者に好まれず、人気は出なかった[7]。『バットマン』第424号(1988年6月)でジェイソンがバットマンの「不殺」の教えを破り、嘘をついて言い逃れた場面は特に批判を受けた[8]。やがてコリンズは制作方針の不一致のため『バットマン』誌を辞し、原作者ジム・スターリンと作画家ジム・アパロが後を引き継いだ[4]。スターリンは犯罪と戦うヒーローが未成年者を助手にするのが理に合わないと考えており、ロビンに否定的だった[9]。当初はロビンを作品に出すこと自体を避けていたスターリンだったが、オニールに登場を要求されると、ジェイソンへの嫌悪を煽る形で使い始めた[10]。1988年になると、『バットマン』制作チームの間でジェイソンの問題を解決する必要があるという認識が固まった[1]。
制作

オニールはジェイソンの性格を変更するか、『バットマン』誌から退場させるかのいずれかで考えていた[11]。一方でスターリンは『バットマン』誌就任時すでにロビンを殺すことを提案していた。このころDC社の中でAIDS教育のコミックを出版する企画が起こり、AIDSで死なせるキャラクターの人選を原作者たちに募った[9]。この機にスターリンはジェイソンの名を書いた紙を大量に提案箱に投稿したが、筆跡に気づかれて却下された[12]。
オニールは当時のDC社長ジェネット・カーンと編集会議を行っていたときに、1982年に放映された『サタデー・ナイト・ライブ』の企画に思い至った。生放送中のエディ・マーフィが視聴者に有料の番号二つのどちらかに電話するよう求め、その結果によって生きたロブスターを茹でて殺すかどうか決めるというものだった。この企画は大きく注目され、50万人近い視聴者が電話投票を行った[13]。オニールはDCキャラクターの一人を同じ趣向の投票にかけることを提案し、カーンも興味を示した[1][14]。オニールの考えでは、ジェイソンは読者に好かれていない上に、その生死が物語内で大きな波及効果を生むうってつけ
のキャラクターだった[1]。オニールはこの機会を些細なことに浪費したくなかった。ファイアーストームのブーツを赤にするか黄色にするかというような … 重要なこと、生きるか死ぬかの問題でなければ
と語っている[14]。カーンの側もジェイソンの不人気を解決する方策を求めており[4]、なおかつ、編集部の強権で後釜と挿げ替えるのではなく読者の意見を取り入れたいと考えていた[4]。ファンの電話投票によってコミックの内容を決めるというアイディアは前例がなく、DCのセールス・マーケティング担当副社長ブルース・ブリストウは、投票用の番号を手配するのが最大の難関だったと述べている。セールスマネージャーのジョン・ポープは番号を確保するためAT&Tとの交渉に1987年10月から翌年の3月までを費やした[15]。
オニールはスターリンにストーリーの案を立て始めるよう指示した。スターリンが最初にジェイソンを死なせることを提案してから6か月後のことだった[12]。スターリンは『バットマン: ダークナイト・リターンズ』(1986) を参考にしてジョーカーがジェイソンを殺すことにした。同作はフランク・ミラーによる外伝作品で、ロビンがジョーカーに殺されたためにヒーロー活動を引退したバットマンが主人公だった[10]。スターリンは全6話の原作を書いたが[4]、ファンがストーリーに関与するため展開を早める必要があると判断され、前半が2話ずつまとめられて全4号での刊行となった[15]。作画を担当したのはアパロ(ペンシラー)、マイク・デカーロ(インカー)、エイドリアン・ロイ(カラーリスト)である。各号の表紙画はアシスタント・エディターだったダン・ラスプラーの提案によりマイク・ミニョーラが手掛けた[4]。『バットマン』第427号では、ジェイソンが閉じ込められている倉庫がバットマンの目前で爆破される。裏表紙の広告ページにはバットマンが重傷のジェイソンを抱きかかえる絵が載せられ、さらにジェイソンを死なせたくなければ電話をかけるように呼びかける読者へのコピーと電話番号が二つ掲載された。一つの番号がロビンを生き延びさせる選択肢、もう一つが死なせる選択肢であった。通話は米国とカナダにおいて東部標準時1988年9月15日午前9時から35時間にわたって受け付けられていた[4][14]。通話料は50セントだった[16]。
スターリンと作画チームは『バットマン』第428号の原稿を投票の選択肢に応じて2通り制作した[12]。オニールは結果はどちらに転んでもおかしくなかった。そこでふきだしは二通りのどちらかを当てはめるようにした。差し替え用のコマもあった。どちらの結果にも最小限の変更で対応できるようにお膳立てしたんだ
と回想している[15]。ラスプラーによるとアパロが描いた差し替え用のコマは3枚で、それ以外にも並べ替えが容易になるように動きのない構図にされたコマがあった[4]。オニールはジェイソンが死ぬと編集者としての仕事が増えると考え、自身では生存に投票した[15]。スターリンは投票日にメキシコに滞在していたため票を投じられなかった[12]。オニールとラスプラーは90分おきに投票結果を確認した[15]。DCの上級編集者で副編集長のディック・ジョルダーノは読者が生存を選ぶと予想していたが、オニールの方は、DCが本当に投票結果に従うか確かめるために死亡を選ぶ読者が多いと考えていた[11]。
総投票数10,614のうち死亡は5,343票であり、わずか72票差で生存の5,271票を上回った[4][15]。DCがジェイソンを死なせるため結果を操作したという説が存在するが、カーンは否定している[4]。一方でオニールは、一人の人物が死を支持する投票を大量に行った可能性について発言している。「ある弁護士がマッキントッシュのパソコンで数分おきに死の番号に自動通話するようプログラムした」という風聞があるというが、裏付けとなる事実はない[11]。
オニールは票が決した時点で開く予定だったパーティを中止し、『バットマン』第428号を配送するまで結果を秘密に保つことにした。オニールは自分の妻やスターリン、アパロにさえ結果を明かさなかった[15]。スターリンはジェイソンが死ぬことになると予想していたが、後に結果を知って僅差であったことに驚いた[12]。制作責任者のボブ・ロザキスはエイドリアン・ロイの彩色作業が終わるまで監視し、「本物」の『バットマン』第428号の原稿をスティーヴ・ボーヴに渡して自宅で秘密裏に仕上げさせた[15]。
刊行
「デス・イン・ザ・ファミリー」の刊行時、バットマンの人気は急騰していた。『ダークナイト・リターンズ』や「イヤーワン」(1987) のストーリーラインのヒットを経て『バットマン』誌の月間発行数は1970年代初頭以来の最高記録に達しており、ティム・バートンによる映画『バットマン』(1989) も製作中だった[4]。批評家に高く評価されたグラフィックノベル『バットマン: キリングジョーク』(1988) の直後に、本作が「電話投票次第でロビンが殺される」作品として告知された。ライターのクリス・シムズによると、告知を受けて『バットマン』誌の読者欄でジェイソンの生死を巡る論争が勃発した[8]。
「デス・イン・ザ・ファミリー」の第1話である『バットマン』第426号は1988年8月23日に、続く第427号は2週間後の9月6日に発行された[4]。読者投票は9月15日から16日にかけて行われ、10月18日に発売された第428号でジェイソンの死が描かれた[4]。物語は11月29日の第429号で完結した[4]。後半の2号にはスーパーマンがゲスト出演した[4]。
DC社は「デス・イン・ザ・ファミリー」の最初の3号が完売したことを受けて1988年のクリスマスシーズンに同作を単行本化した。同書 Batman: A Death in the Family は最終話となる『バットマン』第429号から1週間も経たない12月5日に発売された[4]。2009年にはハードカバー版が出版された。同時に収録された "A Lonely Place of Dying" はウルフマン、ペレス、アパロによる1989年の続編ストーリーで、ジェイソンの後継者ティム・ドレイクが登場した[17]。2021年4月にはハードカバーのデラックス版が刊行された[18]。
ジェイソンが生き残るパターンの『バットマン』第428号の原稿は、長年にわたって日の目を見ないままカリフォルニア州バーバンクにあるDCの書庫に保管されていた[19]。2006年3月、アパロが制作した差し替え用ページの一部が『バットマン・アニュアル』第25号に収録された[18]。一部のコマはコミック史研究者レス・ダニエルズの著書『バットマン: ザ・コンプリート・ヒストリー』(1999) や、ジャーナリストのスサナ・ポロによるPolygonの記事で紹介されている[19]。2020年3月、DC社のストリーミングサービスで配信された番組DCデイリーで初めて全ページが公開され[20]、アートワークが2021年のデラックス版に収録された[18]。2023年12月12日には広告や読者欄を再現した生存パターンの紙版コミックが復刻された[21]。
あらすじ
ゴッサム・シティの犯罪拠点を捜査中のロビン(ジェイソン・トッド)は、警察の応援が到着するまで待てというバットマン(ブルース・ウェイン)の命令に背いて無謀な突入を行う。事件の解決後、バットマンはジェイソンが両親の死を引きずっており精神的に不安定だと判断し、ロビンとしての任を解く。ジェイソンは怒ってウェイン邸を飛び出す。おりしもアーカム・アサイラムから脱走したジョーカーが核兵器をテロリストに密輸しようと企んでいることを知ったバットマンは、足取りを追って内戦中のレバノンに向かう。
ジェイソンは父親が遺した文書を偶然入手し、自身の出生証明書から、亡くなった母親とは血がつながっていなかったことを知る。ジェイソンはバットケイブのコンピュータを用いて生みの母を探す。3人まで絞り込んだ候補の女性はいずれも中東やアフリカに滞在していた。ジェイソンはレバノンに向かい、偶然バットマンと出会って合流する。二人は核ミサイルでテルアビブを攻撃しようとしていたテロリストを打倒する。そこに居合わせたモサドの諜報員シャーミン・ローゼンはジェイソンが探していた女性の一人であったが、母親ではなかった。次の候補者はバットマンの旧敵レディ・シヴァだった。二人はシヴァが指導していたレバノンのテロリスト訓練所を襲撃して壊滅させ、シヴァを尋問するがやはり母親ではなかった。
バットマンとともにエチオピアに飛んだジェイソンは、最後の候補者である人道支援員のシーラ・ヘイウッドを訪ね、母子の再会を果たす。しかしジェイソンはシーラがジョーカーとともに医薬品倉庫に入っていくのを目撃する。バットマンは倉庫から毒薬を積んだトラックが発車するのを見て、自分が追跡する間倉庫の監視を続けるようジェイソンに指示する。ジェイソンは指示を無視して母親を救おうとする。過去に手を染めた違法医療行為のことでジョーカーに脅され、ひそかに医薬品を横流ししていたシーラは、ジェイソンを騙してジョーカーに引き渡す。ジョーカーはジェイソンをバールで打ちのめし、シーラともども拘束すると、倉庫に爆薬を仕掛けて去る。バットマンが戻ったのは爆発の直前だった。ジェイソンは爆薬の前に身を投げて母親を救おうとするが、シーラとともに爆死する。
バットマンはジョーカーのアジトを突き止めるが、そこに生者の姿はなく、ニューヨークの国際連合本部ビルで会おうというメッセージが残されているのみだった。帰国して二人の葬儀を執り行い、国連ビル前でジョーカーを待ち受けるバットマンの前にスーパーマンが姿を現す。スーパーマンによると、ジョーカーはイランの指導者ホメイニによって駐米イラン大使に任じられた。外交特権に守られたジョーカーは公然と車で乗り付け、バットマンらを嘲弄するが、政府の意を受けていたスーパーマンはバットマンを制止する。
国連総会で演説を始めたジョーカーは、イランと自身がともに国際社会から侮辱されてきたと主張し、報復を宣言すると、密かに持ち込んだ毒ガスを撒き散らす。しかし警備員に紛れていたスーパーマンが毒ガスをホールから排出する。バットマンはジョーカーを乗せて飛び立ったヘリコプターに飛び込むが、護衛が機内で機関銃を乱射したことでヘリコプターは墜落する。バットマンはスーパーマンによって救助されるが、ジョーカーは消息不明となる。バットマンはジョーカーとの因縁が解決されないまま終わったことを嘆く。
受容・影響
発表当時

「デス・イン・ザ・ファミリー」全4話のうちの最初の3号は短期間で完売した[4]。スターリンの証言によれば本作は1988年のDC社最大のベストセラーとなった[22]。ロビンの死は『USAトゥデイ』、ロイター、『デゼレット・ニューズ』のような一般マスコミで報じられた[23][24]。ただし、それらの多くは死んだのがオリジナルのロビンではないことに言及しなかった[23]。オニールはマーベル・コミックスで編集者を務めていたころフェニックスやエレクトラのようなキャラクターを殺したことでファンから怒りの手紙を受けた経験があり、ジェイソンの死への反発を予期していた。しかし、フェニックスらの死はコミック自体の人気が低迷していた時期だったことと、ロビンがDCの象徴的なキャラクターの一人であったことから、「デス・イン・ザ・ファミリー」が受けた批判は予想をはるかに超えていた[23]。
オニールは『バットマン』第428号の刊行直後にはラジオで喋る以外何の仕事もできなかった
と語っている。新聞・雑誌やラジオからの取材は予想していたが、実際の反応はオニールと周囲の予想以上だった[1]。3日後にDCの広報担当重役ペギー・メイはオニールにメディアでの発言を禁じた。また関係者すべてに対してテレビでこの作品について論じることを禁じた。オニールは当初この措置を理不尽に感じたが、後に「ロビンを殺した男」という悪名が広がらずに済んだことを感謝している[1]。アシスタント・エディターのダン・ラスプラーは、インタビューで本作を「(企画上の)仕掛け」と呼んだことで当時のDC副社長ポール・レヴィッツから叱責を受けた[4]。
当時のファンはジェイソンの死への反応で二つに割れた[8]。多くの読者はこの展開を歓迎し、一部はディックがロビンに復帰することを期待した。ほかの読者はコミックブックファンの残酷さを嘆いた[8][25]。オニールと『バットマン』制作チームは抗議の手紙や怒りの電話を受けた。オニールによると、電話の内容は単なる罵倒から涙ながらに「孫はロビンが大好きだったのに何と言ってあげればいいのか」と訴える高齢女性まで幅広かった[1]。フランク・ミラーは本作に批判的で、「[DC社の] これまでで最もシニカルな行為だ … このロビン殺しの一部始終は、私がコミックで見てきた中で何よりも醜いかもしれない」と語っている[26]。NPRに出演した文化批評家グレン・ウェルドンはミラーの評価が皮肉だと述べ、ミラーが先に『ダークナイト・リターンズ』においてジョーカーにジェイソンを殺させたことを指摘した[27]。
後年の評価
後年の批評家はいずれもジェイソンを死なせる編集判断を支持している[8][27][28]。クリス・シムズはそれが「間違いなく正しい選択」であり、作品にポジティブに作用したと述べた[8]。シムズによると、バットマンがジョーカーに敗北したことで両者のキャラクターが強められた。ジョーカーは一過性ではない被害を与えうる危険な存在となり、バットマンは新規読者の参入期にふさわしく物語上の動機を強化する機会を得た[8]。IGNのレビュアーであるヒラリー・ゴールドスタインと、同じくデン・オブ・ギークのジェイミー・ヘイルストーンは、本作におけるジェイソンの死の描写を、感情的効果と、ヒーロー活動の危険性を表現している点で評価した[28][29]。
本作についてはプロット上の欠点も指摘されている[28][29][30]。ヘイルストーンは本作を「究極の80年代大作」と呼び、『トップガン』より派手派手しく、ハルク・ホーガンより騒々しく、『特攻野郎Aチーム』より荒唐無稽
と評した[29]。ヘイルストーンとゴールドスタインはいずれもプロットに現実感がないと評し[28][29]、ジョーカーが一国の大使に任命される展開はナンセンスだとした[29]。チャールズ・プリフォアはスクリーン・ラントへの寄稿で、バットマン作品の中でもっとも暗い作品の一つとして記憶されている本作だが、実際には娯楽にしたいのか、ダークにしたいのかを決められていない
作品だと書いた。プリフォアによると、ジェイソンがジョーカーによって拷問を受けて死に至る展開は陰惨だが、世界各国を股にかける物語の性格
や、ジョーカーがイラン大使になる点は、能天気なシルバーエイジ(1950年代から1970年代前後)のコミックを思わせる[30]。
「デス・イン・ザ・ファミリー」は継続的に人気を保っており[25]、プロットの問題を批判する批評家も一読の価値があると評価している[28][29][30]。ヘイルストーンは本作を「ギルティ・プレジャー(恥ずかしさを感じながら楽しむ作品)」と呼び、同時期の「イヤーワン」や「サン・オブ・デーモン」(1987) のような革新性はないものの楽しめる作品だとした[29]。プリフォアは奇妙な部分に目をつぶれば良い読み物になるだろう
と結論づけた[30]。2010年代のIGN[31]とComplelx[32]、ならびに2020年代のGamesRadar+[33]とScreen Rant[34]は本作をバットマン作品のベストリストにランクインさせた。ショーン・T・コリンズはローリング・ストーンにおいて、バットマンを理解するために不可欠な作品ベスト15作の中に本作を挙げ、アパロのアートと、スターリンによるジョーカーのキャラクター描写を称賛した[35]。
作品分析
ロビンはコミックブックの歴史を通じて最も有名なサイドキックの一人であるが、「デス・イン・ザ・ファミリー」はあまり文学的分析の対象とされていない[36]。文学批評家クワス・テンボによると、数少ない文学研究の例も広くバットマンの倫理感に関する議論、もしくはDCの編集判断や読者との関係構築のケーススタディの一つとして
取り上げられるに過ぎない[37]。本作にはバットマンもすべての人を救うことはできないというメッセージがあり[8]、ジェイソンは同情しうる経緯の末に死に至る悲劇の人物とされている[38]。テンボは、本作での死によってジェイソンがバットマン最大の失敗、裏切られた孤児。あるいはまた、軽率で気負い過ぎ、衝動的で思慮不足な行いの報いを受けることになった、道を見失った少年
として読者の心に残ると論じている[39]。
テンボは投票によるジェイソンの死が、公開処刑というよりも複雑な形式の身代わりの山羊として完全に解釈できる
と論じている[40]。テンボによると、ジェイソンが不人気だったのは前任者のディックが打ち立てた基準に届かず、「出来の悪い」ロビンとみなされたためである[41]。読者はそれによりジェラシーを抱き、ジェイソンがロビンに不適格だと考えた[42]。テンボはルネ・ジラールの模倣の欲望理論を引用して、ファンにジェイソンの運命を決めさせるというオニールの決断は「模倣的危機」を生み出したと論じる。読者は今や [読者は] 作中世界における [ジェイソンの] 存在に影響を与えられるだけでなく、その権力を持つことによって彼と競合しうる
ためである[43]。テンボによると、読者はジェイソンではなく自分たちこそがバットマンのパートナーにふさわしいとみなし、ジェイソンの死に投票することでバットマンの助けになっていると感じる[44]。
中東とイスラムの描写
イラン・コントラ事件の直後に制作された本作は1980年代アメリカの中東観を反映しており、現地の描写が不正確かつ人種差別的な戯画化だという批判を受けてきた[45]。ベイルートを訪れたバットマンはファールシー語(ペルシア語)で現地人と会話するが、実際には一般的な会話に用いられる言語はアラビア語である。イラン大使となったジョーカーは伝統的なアラブの頭巾(クーフィーヤ)とローブを着用するが、イランはアラブ国家ではない[46]。クリショーン・ベイカーはインヴァースにおいて、ホメイニとジョーカーが手を組む展開を複雑な中東情勢を人種的ステレオタイプによる画一的な戯画へと平板化してしまう、目を覆うほどひどい失敗続きのストーリーのクライマックス
と書いた[45]。
本作におけるアラブ人テロリストの描写はイスラムフォビアとして論じられることがある。それらの登場人物は西洋世界を暴力で奪取しようとする反米・反イスラエルの狂信者として描かれる[47][48]。作中ではシーツを被った山賊ども
と呼ばれ、ひげは伸び放題で、必ず銃器とともに描かれる。テロリストの首領ジャマルは肥満した人物で絶え間なく毒舌を吐いている。ジャック・シャヒーンは1991年に発表した米国コミックのアラブ人描写に関する研究で、「デス・イン・ザ・ファミリー」がアラブ人・ムスリム・テロリストの区別をつけておらず、さらに狂人のヴィランであるジョーカーと同一視していると書いた。ジェハンゼブ・ダールとシャヒーンは、国連総会におけるジョーカーの演説が特にイスラムフォビア的だと述べている[49]。演説の全文は以下の通りで、ジョーカーはこの直後に総会ホールに毒ガスを散布する。
偉大なるイラン・イスラム共和国を代表して発言できることを光栄に思います。現在のイランの指導者と私には、多くの共通点があります。狂気、それとシーフードに目がないことです。しかしまことに遺憾ながら、我々は共通の問題も抱えております。まったく敬意を払われないのです。誰もがイランを、狂信的なテロリストの巣窟だと思い込んでいる。私個人に向けられる言葉はもっとひどい。こんな扱いが許されるのか? 我々はともに、心無い中傷と侮蔑に耐えてきたのです! だが、もうここまでだ! もうお前らに好き勝手な真似はさせない。いいや、今後は誰にもなめた態度を取れないようにしてやるぜ!—The Joker, Batman #429
ダールはジョーカーのスピーチがユーモアの皮を被った露骨なイスラムフォビアだと述べた[46]。シャヒーンとダールは本作が、アラブ世界と西洋世界を価値観が正反対の存在として対立させることで、「奴らか我々か」の考え方を強化すると論じている[46][49]。ダールによると[スターリンとDCは] 文化的・宗教的・政治的な正確さを顧慮せず、ただアラブ・イラン人・ムスリムはすべて「同一」であり西洋を「憎悪」しているという粗雑で人種差別的な一般化に陥っている
。[46]