バディ・カーライル

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1977-12-21) 1977年12月21日(48歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
バディ・カーライル
Buddy Carlyle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ネブラスカ州オマハ
生年月日 (1977-12-21) 1977年12月21日(48歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 MLB / 1999年8月29日
NPB / 2001年4月6日
KBO / 2006年
最終出場 MLB / 2009年9月3日
NPB / 2010年8月25日
KBO / 2006年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • アトランタ・ブレーブス (2016)

アール・レスター・カーライルEarl Lester "Buddy" Carlyle , 1977年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身の元プロ野球選手投手)。野球指導者。右投左打。

プロ入りとパドレス時代

1996年MLBドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズに指名され、7月21日に契約。

1998年4月8日トレードサンディエゴ・パドレスに移籍し、翌1999年8月29日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。シーズン終盤にメジャー初白星を挙げる。

阪神時代

2000年11月3日阪神タイガースに入団。1年目の2001年は7勝10敗と負け越し、防御率3.87はリーグ14位だった。2年目の2002年は調子を落とし更にマーク・バルデストレイ・ムーアが活躍しシーズンの大半を二軍暮らしになってしまった。結局、シーズン未勝利に終わり(2敗)、防御率も7.53と大きく悪化し、同年オフに解雇。

LG時代まで

2002年12月18日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだが、メジャーでの出場はなく、2003年10月15日FAとなった。同年12月23日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2004年はマイナーリーグで12勝5敗・防御率3.19と好投したが、メジャー昇格はならず、FAとなった。11月18日ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。2005年中継ぎとしてメジャー昇格も果たすが結果が出ず、すぐにマイナー降格。5月4日に放出された。12月15日フロリダ・マーリンズと契約した。

2006年5月18日に放出され、翌日19日に、故障により退団したマニー・アイバーの代役として韓国プロ野球(KBO)LGツインズと契約。

ブレーブス時代

2006年12月4日アトランタ・ブレーブスと契約。2007年6月7日に先発として登板し、7年269日ぶりのメジャーでの勝ち星を挙げる。しかしチームの中継ぎの事情により、その日のうちにマイナー降格という憂き目に遭った。また、7月6日のパドレス戦の4回、メジャー史上39回目の「1イニング三者3球三振」を記録。[要出典]

2008年は45試合に登板してまずまずの成績を残すも、2009年は打ち込まれることが多く不本意な成績に終わる。10月9日にFAとなった。

日本ハム時代

2009年11月17日北海道日本ハムファイターズとの契約に合意した旨が日本ハム球団から発表された。

2010年は、開幕一軍、先発ローテーションを任されたが、間もなく二軍落ち。監督、コーチからも捕手のサインに首を横に振ることが多かったことから「ストレート、速球に頼りすぎ」の評価を受けた。[要出典]結局、7試合に登板(そのうち4試合は先発)し、開幕ローテーション入りも果たしたが1勝も挙げられずに9月30日に退団が決まった[1]

ヤンキース復帰

2010年12月2日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[2]

2011年4月23日にメジャー昇格。7月5日に傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに降格し、8月20日に自由契約になった。

ブレーブス復帰

2012年1月30日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。

ブルージェイズ傘下時代

2012年12月11日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。

2013年は、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えた。11月5日にFAとなった。

メッツ時代

2014年2月18日ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[3]。開幕後は傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで18試合に登板。1勝1敗1セーブ・防御率1.27と好投し、5月31日にメッツとメジャー契約を結んだ[4]。同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では同点の延長11回裏から3年ぶりのメジャー登板。3回を2安打無失点に抑え、直後の14回表にメッツが勝ち越したため、勝利投手となった[5]。2度目の登板となった6月4日シカゴ・カブス戦では、1.1回を無失点に抑えたが、6月5日DFAとなり、6月7日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月6日ジョン・ニースが故障で離脱したため、再びメッツとメジャー契約を結んだ[6]。昇格後は3試合に登板したが、7月20日にDFAとなり[7]7月23日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月26日松坂大輔故障者リスト入りしたため、メッツと再びメジャー契約を結んだ[8]。この年は27試合に登板し、1勝1敗、防御率1.45だった。オフの10月31日40人枠を外れ、AAA級ラスベガスへ降格し、11月4日にFAとなった。

2015年1月5日にメッツとマイナー契約で再契約した[9]4月5日にメジャー契約を結び昇格したが、5月14日に背中の痙攣で15日間の故障者入りし[10]7月7日に60日間の故障者リストに移行した[11]。同年は11試合に投げたが、防御率5.63と今一つだった。しかし1勝を挙げたほか、メジャー初セーブもマークした。11月10日にFAとなった[12]

2016年はメッツと再びマイナー契約したが、スプリングトレーニング終盤に解雇された。

現役引退後

2016年5月10日に古巣アトランタ・ブレーブスのコーチ補佐に就任したことが発表され、同時に現役引退を表明した[13]

2017年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下AA級モービル・ベイベアーズのコーチに就任し、翌2018年からはエンゼルス傘下マイナー巡回のピッチングコーディネーターを務めている[14]

2023年11月16日、タンパベイ・レイズ傘下マイナーのピッチングコーディネーターに就任すると発表された[15]

人物

2009年5月に1型糖尿病を発症したことを明らかにしている。2010年春季キャンプ中、本人の希望で阪神のキャンプ地・宜野座を訪問し、同じく1型糖尿病を発症している岩田稔との対談を行った。[要出典]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1999 SD 770001300.25016237.23671702291028255.971.41
2000 400000000----183.0603002007721.003.00
2001 阪神 28260007100--.412652153.11512264211112273663.871.40
2002 33000020--.0006514.1171501131012127.531.53
2005 LAD 1000000000----6214.0164401130013138.361.43
2006 LG 32300--26211.25021552.24531124480121193.251.06
2007 ATL 22200008700.533462107.0117193282743067625.211.39
2008 45000020001.00025962.25252661594126253.591.24
2009 1600000102.00010721.13551240122023218.862.20
2010 日本ハム 740000300.00012527.23521101141118154.881.67
2011 NYY 800000100.000347.251710920444.701.56
2014 NYM 2700001102.50011931.02325002800651.450.90
2015 11000010141.000328.080100610555.631.13
MLB:9年 15027000131308.5001255292.1298431071962321311791675.141.39
NPB:3年 383300071500.318842195.120325802313843103934.281.45
KBO:1年 32300--26211.25021552.24531124480121193.251.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 58 (1999年 - 2000年、2005年)
  • 26 (2001年 - 2002年)
  • 99 (2006年)
  • 38 (2007年 - 2009年)
  • 12 (2010年)
  • 41 (2011年)
  • 44 (2014年)
  • 43 (2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI