バディ・コルト

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リングネーム バディ・コルト
ロン・リード
カウボーイ・ロン・リード
ハンサム・ロン・リード
本名 ロナルド・クリスチャン・リード[1]
身長 185cm - 186cm
体重 107kg - 112kg
バディ・コルト
バディ・コルトの画像
1973年
プロフィール
リングネーム バディ・コルト
ロン・リード
カウボーイ・ロン・リード
ハンサム・ロン・リード
本名 ロナルド・クリスチャン・リード[1]
身長 185cm - 186cm
体重 107kg - 112kg
誕生日 (1936-01-13) 1936年1月13日[1][2]
死亡日 (2021-03-05) 2021年3月5日(85歳没) [3][4]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メリーランド州の旗 メリーランド州
プリンスジョージズ郡ブレイデンズバーグ[4]
トレーナー オットー・フォン・クラップ[4]
デビュー 1962年[4]
引退 1975年[4]
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バディ・コルトBuddy Colt、本名:Ronald Christian Read1936年1月13日 - 2021年3月5日[1][2])は、アメリカ合衆国プロレスラーメリーランド州ブレイデンズバーグ出身[2]

バディ・ロジャースの影響下にある金髪の伊達男系ヒールとしてアメリカ各地の主要テリトリーで活躍したが、1975年軽飛行機の墜落事故で重傷を負い、引退を余儀なくされた[5][6]

デビュー翌年の1963年より、ロン・リードRon Reed)の名義でWWWFに出場。ベビーフェイスのポジションで売り出され、バディ・ロジャースWWWF世界ヘビー級王座にも度々挑戦[7]ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンではキラー・コワルスキーゴリラ・モンスーンの対戦相手を務め[8]ティム・ウッズアーノルド・スコーランと組んでスカル・マーフィー&ブルート・バーナードのUSタッグ王座にも挑戦した[9]

WWWFを離れるとNWA圏を転戦し、中西部地区では1965年1月22日、マイク・デビアスを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得、以降もザ・ストンパーボブ・ガイゲルと王座を争った[10]ハワイではキング・カーティスミスター・フジワラリッパー・コリンズらと対戦し、1966年1月5日にルーサー・リンゼイからNWAハワイ・ヘビー級王座を奪取している[11]

1969年バディ・コルトBuddy Colt)のリングネームテキサス西部のアマリロ地区に登場。ヒールに転向してファンク・ファミリーのドリー・ファンク・シニアテリー・ファンクと抗争を展開し、ドリー・ファンク・ジュニアが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦した[12]。同地区ではゴージャス・ジョージ・ジュニアをパートナーに、シャチ横内&ミスター・イトーを破りNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得している[13]

同年9月、横内のブッキングによりジョージ・ジュニアと共に国際プロレスに来日。ワイルド・アンガスとの2大外国人エースとして、横内、豊登グレート草津サンダー杉山ストロング小林らと対戦した[14]。10月開幕の『IWAワールドタッグ挑戦シリーズ』にもジョージ・ジュニアとの金髪コンビで残留参戦、ブルーノ・アーリントン&イアン・キャンベルやシーク&エミールのエルマンソー・ブラザーズなどのチームとIWA世界タッグ王座への挑戦権を争った[15]。また、来日時は「USAヘビー級王者」を名乗り、9月13日に北九州にて横内を相手に防衛戦を行ったが[14]、10月14日に東京の葛飾区体育館にて小林に敗れ、タイトルを明け渡している[15]

1970年代南部ジョージアおよびフロリダを主戦場に活動。ジョージアでは1970年9月4日、ニック・ボックウィンクルを破りNWAジョージア・ヘビー級王座を獲得[16]。フロリダでは1972年9月5日にミスター・レスリングからフロリダ版のNWA南部ヘビー級王座を[17]1973年2月20日にはジャック・ブリスコからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取[18]フレッド・ブラッシーボブ・アームストロングミスター・レスリング2号ロッキー・ジョンソンマーク・ルーインポール・ジョーンズエディ・グラハムビル・ワットともタイトルを争った。

1975年2月20日、ボビー・シェーンマイク・マッコードゲーリー・ハートらと軽飛行機で移動中に墜落事故に遭い、選手生命を断たれた(コルトは自家用操縦士のライセンスを取得しており、当日もセスナ182を自ら操縦していた)[5][19]。引退後はフロリダにて、アブドーラ・ザ・ブッチャーなどヒールのマネージャーカラー・コメンテーターを務めた[6]

2021年3月5日、85歳で死去[3][4]

追記

若手時代のスタン・ハンセンは、フロリダ地区のTVテーピングでコルトのジョブ・ボーイを務めたことがある。試合はコルトが一方的な勝利を収めたが、臆することなく叩きのめされたハンセンに対し、コルトは試合終了後に「サンキュー」と囁いたという[20]。自分がプロフェッショナルとして「いい仕事」をしたことをコルトに認められたと解釈したハンセンは、その日のことを一生忘れないと述懐している[20]。以来ハンセンは、自身が格下のジョバーを相手にする立場になってからも、一生懸命に戦ってくれた相手に対しては、プロフェッショナルの礼儀として「サンキュー」と声をかけるよう心掛けていたという[20]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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