ヒトの脳の性分化
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胎生期:組織化作用
基本的な考え方としして、胎生期に「男性型」または「女性型」に形成された脳が思春期以降、性ホルモンの働き掛けにより性行動や生殖機能を発現させるという仮説が1959年に提唱された[1]。2011年にも、出生前に高濃度アンドロゲンに曝露されることで、行動・職業的関心・性的指向・一部の空間認知能力が男性化することが確認されている[2]。
ヒトの脳は胎生12週目から24週目頃に分化するとされ、脳の性分化の基盤が作られる最も重要な時期と言われる[3]。この時、精巣から分泌されるホルモンが脳の構造を「男性化」および「脱女性化」させる。Y染色体上のSRY 遺伝子により精巣が形成されると、大量のテストステロンが分泌される。これが血流に乗って脳に到達し、神経回路を組み替える。性器の性分化が妊娠最初の2ヶ月に行われるのに対し、脳の性分化は妊娠後半に始まるため、両プロセスは独立して影響を受け得る[4]。
齧歯類(ラットなど)の研究では、精巣から分泌されたテストステロンが脳内に入り、アロマターゼによってエストラジオールに変換されることで脳の男性化が起こるとされている(アロマターゼ仮説)[5]。しかし、ヒトを含む霊長類では、テストステロンがそのままアンドロゲン受容体に結合することで男性化が進む経路が重要視されている[6]。ヒトの脳の男性化には機能するアンドロゲン受容体が不可欠であることが完全型アンドロゲン不応症の研究で示されている[7][注 1]。
ヒトの脳の性分化において、出生前のホルモン環境が重要であることが下記の疾患から示唆される[8]。
- 先天性副腎過形成症 :染色体がXXであるにも関わらず、副腎から過剰なアンドロゲンが分泌されて男性型となる。
- アンドロゲン不応症:染色体がXYであるにも関わらず、受容体の異常でアンドロゲンの作用が発現しない。
- 5α-還元酵素欠損症:染色体がXYであるがDHTの産生が不充分であり、出生時の外性器が女性型であるが思春期に男性化する。
出生直後:ミニ思春期
生後数ヶ月間、乳児の体内では一時的に性ホルモンの分泌が高まることが知られている[9][10]。この時期のホルモン曝露は、胎生期に作られた脳の性差をさらに補強・定着させる役割を持つと考えられ、特に言語発達や空間認知などの認知機能に関わる神経基盤に影響を与える可能性が示唆されている[11]。生後6ヶ月までのテストステロン曲線下面積(AUC)は男児で女児より高く、後の性別典型的な遊び行動と有意に相関している[12]。
思春期:活性化作用
第二次性徴に伴う大量の性ホルモン分泌により、胎生期に「組織化」された脳が「活性化」されると思われていた[1]。しかし1985年には、この様な単純な区別に当てはまらない研究結果が多く提出されており厳格な二分法はもはや維持できないと指摘された[13]。性ホルモンは思春期において神経回路を劇的に再構成する[14]。この第二の脳組織化は、神経発達早期に性分化した回路の上に構築され、それを精緻化する[15]。
- 男性:テストステロン上昇 → 神経回路の再編成
- 女性:エストロゲン周期 → 可塑性変化
性的二型核の発達
明確な性差が観察される脳の構造は幾つか知られており、性的二型核(sexually dimorphic nucleus: SDN)と呼ばれる。
視床下部前部間質核
ラットで発見された「視床下部内側前索野の性的二型核(SDN-POA)」に相当するヒトの構造は、視床下部前部間質核(Interstitial Nuclei of the Anterior Hypothalamus; INAH)と呼ばれ、ヒトでは男性の方が体積(2.2倍)・細胞数(2.1倍)ともに大きいことが示されている[16]。INAHは第1核から第4核が知られているが、性差は第3核(INAH3)にのみ認められる[17]。分娩時にはSDNの細胞数は成人の20%程度であり、2~4歳までは男女で同様に増加するが、その後女児のSDN細胞数は減少し始める[18]。
分界条床核の中心部
分界条床核の中心部(central subdivision of bed nucleus of the stria terminalis; BNSTc, BSTc)は男性において女性の約2倍の容積を持ち、ソマトスタチン陽性神経細胞の数も男性で有意に多いことが知られている[19]。この性差は乳幼児期から児童期にかけて徐々に形成され、成人で初めて有意になる[20]。
視交叉上核
ヒトの視交叉上核(suprachiasmatic nucleus; SCN)のバソプレシン(AVP)発現ニューロン数を妊娠27週から30歳まで追跡した研究では、満期出産時点でのニューロン数は成人の約13%であり、出生後数ヶ月で急速に増加する事が判明した[21][22]。
SCNの形状は女性では細長く、男性ではより球形に近いと報告されたが[23]、細胞数や体積については差は認められない[24]。しかしAVP発現ニューロン数は男性で女性の2倍程度多く[22]、ホルモンとの相互作用については性差が確認されている[25][26][27][28]。
モザイクモデル
2015年に発表された論文では、1,400人以上の脳のMRIデータを解析した結果、「完全な男性型」または「完全な女性型」に明確に分かれることは極めて稀であり、各部位が「モザイク」状に其々の程度で性差を持つことが明らかにされた[29]。これにより脳の性差は従来の「男脳」「女脳」に二分されるものではなく連続的であり、個体差の方が大きいという新たな視点が神経科学に齎された。