ファビオ・ペッキア

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愛称 アッヴォカート(弁護士)
ラテン文字 Fabio Pecchia
生年月日 (1973-08-24) 1973年8月24日(52歳)
ファビオ・ペッキア
2011年のペッキア
名前
愛称 アッヴォカート(弁護士)
ラテン文字 Fabio Pecchia
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-08-24) 1973年8月24日(52歳)
出身地 フォルミア
身長 171cm
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1985-1992 イタリアの旗 アヴェッリーノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1993 イタリアの旗 アヴェッリーノ 33 (1)
1993-1997 イタリアの旗 ナポリ 125 (15)
1997-1998 イタリアの旗 ユヴェントス 21 (1)
1998-1999 イタリアの旗 サンプドリア 26 (1)
1999-2001 イタリアの旗 トリノ 22 (1)
2000-2001 イタリアの旗 ナポリ (loan) 27 (6)
2001-2006 イタリアの旗 ボローニャ 92 (12)
2002-2003 イタリアの旗 コモ (loan) 27 (6)
2004-2005 イタリアの旗 シエーナ (loan) 23 (2)
2006-2007 イタリアの旗 アスコリ 6 (1)
2007 イタリアの旗 フォッジャ 18 (4)
2007-2008 イタリアの旗 フロジノーネ 26 (1)
2008-2009 イタリアの旗 フォッジャ 24 (1)
通算 470 (52)
代表歴
1993-1996 イタリアの旗 イタリア U-21 11 (0)
1996  イタリア オリンピック 3 (0)
監督歴
2009-2010 イタリアの旗 フォッジャ(アシスタント)
2011 イタリアの旗 グッビオ
2012-2013 イタリアの旗 ラティーナ
2013-2015 イタリアの旗 ナポリ(アシスタント)
2015-2016 スペインの旗 レアル・マドリード(アシスタント)
2016 イングランドの旗 ニューカッスル(アシスタント)
2016-2018 イタリアの旗 ヴェローナ
2019 日本の旗 アビスパ福岡
2019-2020 イタリアの旗 ユヴェントス U-23
2021-2022 イタリアの旗 クレモネーゼ
2022-2025 イタリアの旗 パルマ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ファビオ・ペッキアFabio Pecchia, 1973年8月24日 - )は、イタリアラツィオ州フォルミア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

ナポリ大学で法学の学位を取得しており、「l'avvocato(アッヴォカート)」(イタリア語で弁護士の意)と称される[1]

右利きであるが中盤の両サイドでもプレーでき、縦への突破力が評価されている[2]

アヴェッリーノ

1985年にUSアヴェッリーノ下部組織でキャリアをスタートする。1991年にトップチームでデビュー[3]。1992-93シーズンにセリエC1で24試合に出場し1得点を記録した。

ナポリ

ナポリ時代(1996年)

1993年夏に当時マルチェロ・リッピ率いるSSCナポリへ移籍。8月28日のUCサンプドリア戦でセリエAデビューとなった。リッピの求める縦への動きや高度な戦術に合致し、ゲームビジョンや柔軟性を武器に地位を確立[4]。加入初年度で33試合4得点を記録し、クラブのUEFAカップ出場権獲得に貢献した。1996-97シーズンからは長期離脱したロベルト・ボルディン英語版に代わり、23歳でキャプテンを務める。ルイジ・シモーニ監督の下でリーグ前半戦を2位で折り返し、コッパ・イタリアでも決勝に進出。ヴィチェンツァ・カルチョとの1stレグではこの試合唯一となるゴールを挙げ勝利に貢献するが、2ndレグでは0-3で逆転負けを喫し戴冠を逃した。クラブはここ数年間で財政難に陥っており、1997年夏にユヴェントスFCへ100億リラで売却された。

ユヴェントス

ユヴェントスではリッピと再会し、1997-98シーズンはリーグ戦21試合1得点を記録。スーペルコッパ・イタリアーナやリーグ制覇、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし当時クラブの中盤にはジネディーヌ・ジダンがおり、シーズン途中にはエドガー・ダーヴィッツが加入したため、翌シーズンからUCサンプドリアへ移籍。以降はトリノFC、古巣のナポリと毎年移籍を繰り返したが、いずれもクラブのセリエB降格に伴うものであった。

2001-02シーズンよりボローニャFCに移籍し33試合5得点を記録。翌シーズンは昇格組のカルチョ・コモシーズンローンとなった。2004年にボローニャへ加入した中田英寿とは同僚であった。その後はセリエC1フォッジャ・カルチョやセリエBのフロジノーネ・カルチョなど下部リーグの複数クラブを経て、2009年に現役を引退した。セリエAでは通算337試合に出場し41得点を記録した。

代表歴

チェーザレ・マルディーニ率いるU-21イタリア代表に招集され、1996年のUEFA U-21欧州選手権優勝メンバーの一人となった。同年に開催されたアトランタ・オリンピックにも出場している。

指導歴

引退後はすぐにフォッジャ・カルチョのアシスタントコーチに就任。

2011年6月にセリエBASグッビオ1910の監督に招聘される[5]コッパ・イタリアではアタランタBCを破ったが、リーグ戦では苦戦し同年10月に解任された[6]

2012年6月、セリエC1USラティーナ・カルチョで指揮を執ることが発表される[7]コッパ・イタリア・セリエCではクラブを決勝に進出に導き、FCエスペリア・ヴィアレッジョとの1stレグで先勝するが、その5日後となる2013年4月8日に解任された[8]。クラブは最終的に同大会で優勝すると共に、1年でのセリエB昇格を果たした。

2013-14シーズンからはラファエル・ベニテスの下、SSCナポリのアシスタントコーチに就任[9]。2015年にはベニテスと共にレアル・マドリード[10]、翌年にはニューカッスル・ユナイテッドFCのアシスタントコーチを歴任[11]

2016-17シーズンよりエラス・ヴェローナFCの監督に就任する[12]。セリエBで自動昇格圏内の2位に導き、1年でのセリエA復帰を達成。翌シーズンはセリエAで19位となり再び降格となり[13]、同シーズン限りで退任した。

2018年12月14日、J2アビスパ福岡の監督に就任することが発表された[14]。しかし、2019年6月3日(第16節終了後)をもって自身の家庭事情で監督を退任した。

2019年6月29日、選手時代に所属していたユヴェントスFCU-23チームで指揮を執ることが発表された[15]。 12月には福岡時代に公私ともに信頼関係があった三國ケネディエブスを練習生として日本から呼び出した[16]。2020年6月27日に行われたコッパ・イタリア・セリエC決勝・テルナーナ・カルチョとの一戦では、2-1での勝利に導きトロフィーを掲げた[17]。しかしリーグ戦においてはセリエB昇格を逃し、7月17日に退任することが発表された[18]

2021年1月7日、USクレモネーゼの監督に就任した[19]

2022年6月2日、パルマ・カルチョ1913の監督に就任[20]。2023-24シーズンにてセリエB優勝を果たし、4シーズンぶりのセリエA復帰に導いた[21]。しかし、昇格した翌シーズンは苦戦が続き降格圏に低迷。成績不振によりシーズン途中の2025年2月に解任された[22]

監督成績

2025年2月17日現在[23]
クラブ 就任 退任 記録
勝率
グッビオ イタリアの旗 2011年6月18日 2011年10月16日 122551626−10016.67
ラティーナ イタリアの旗 2012年6月17日 2013年4月8日 3518984632+14051.43
エラス・ヴェローナ イタリアの旗 2016年6月2日 2018年6月13日 86301937102129−27034.88
アビスパ福岡 日本の旗 2018年12月14日 2019年6月3日 164481321−8025.00
ユヴェントスU-23 イタリアの旗 2019年6月29日 2020年7月17日 37151485043+7040.54
クレモネーゼ イタリアの旗 2021年1月7日 2022年5月21日 602916158860+28048.33
パルマ イタリアの旗 2022年6月2日 2025年2月17日 110463331159129+30041.82
合計 356144100112474440+34040.45

タイトル

脚注

外部リンク

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