川勝良一

From Wikipedia, the free encyclopedia

カタカナ カワカツ リョウイチ
ラテン文字 KAWAKATSU Ryoichi
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1958-04-05) 1958年4月5日(66歳)
川勝 良一
名前
カタカナ カワカツ リョウイチ
ラテン文字 KAWAKATSU Ryoichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1958-04-05) 1958年4月5日(66歳)
出身地 京都府京都市北区[1]
身長 179cm[2]
体重 73kg[2]
選手情報
ポジション MF
ユース
1974-1976 日本の旗 京都商業高校
1977-1980 日本の旗 法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1982 日本の旗 東芝 35 (4)
1983-1988 日本の旗 読売クラブ 61 (3)
1989-1990 日本の旗 京都紫光クラブ 22 (0)
1990-1991 日本の旗 東京ガス
通算 118 (7)
代表歴
1980-1982[3] 日本の旗 日本 13 (0)
監督歴
1997-1998 日本の旗 ヴェルディ川崎
1999-2002 日本の旗 ヴィッセル神戸
2006 日本の旗 アビスパ福岡
2010-2012 日本の旗 東京ヴェルディ
2014 日本の旗 京都サンガF.C.
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川勝 良一(かわかつ りょういち、1958年4月5日 - )は、京都府京都市北区出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者である。ニックネームは「ケツ」。エーピーエンタテインメント所属。

京都市立加茂川中学校、比叡少年蹴球団卒団、京都商業高校 (現:京都先端科学大学附属高校)を経て、法政大学に入学。大学時代はサッカー部に在籍し、在学中より日本代表に選出され、1980年1月のウイペシュティ・ドージャ戦で初出場した[4]

卒業後の1981年に東芝(現 コンサドーレ札幌)に入部。石崎信弘は1年先輩。抜群のテクニックを誇り木村和司と並ぶとまで言われたゲームメーカーであった。1982年にはJSL2部で年間9アシストを記録しアシスト王に輝く。その後、1983年に読売クラブ(現 東京ヴェルディ)へ、1990年に東京ガス(現 FC東京)へ移籍し、1991年のシーズン途中で現役を引退して、コーチに就任。

現役引退後は東京ガスやヴェルディ川崎で主に下部組織の指導に務め、1995年にS級ライセンスを所得。1997年にはV川崎で天皇杯のみだが初めてトップチームの監督を務めた。翌1998年にもV川崎でシーズン途中から終了まで監督を務めた後、1999年にヴィッセル神戸の監督に就任した。1999年2ndステージと2000年1stステージで7位に進出するなどの実績を残したが、2002年のシーズン途中で成績不振を理由に解任された。

2003年からは母校の法政大学でコーチを務めていたが、2006年6月3日よりアビスパ福岡監督に就任した。だが、チームは低迷し16位でシーズンを終了。J1・J2入れ替え戦ではくしくも2002年の神戸解任時の後任監督であり、前任の福岡監督である松田浩が監督を務める神戸と対戦し、アウェーゴールの差で敗れJ2降格が決定。勝ち残っている天皇杯を待たずに辞任する事が決まった。

2007年より法政大学のコーチを務め、2009年10月から東京Vの強化アドバイザーに就任。2010年からは東京Vの監督に就任した。当初は強化部長も兼任すると発表されていたが、2010年1月18日に昼田宗昭が強化部長に就任すると発表されたため、監督業に専念することになった。2012年で3年目に入ったが、同じ監督が2年以上続けて東京Vの指揮を執るのは川崎時代も含めて初めて[5]。2012年9月、辞任が発表された[6]

2014年6月29日、京都サンガF.C.の監督に就任[7]。昇格は果たせず、シーズン終了後に辞任した。

現在は、東京都調布市の小学生クラブチームDORO(ドゥーロ)のクラブアドバイサーを務めている[8]

エピソード

  • V川崎時代から熱血漢として有名で、神戸時代の2000年には試合途中に選手の頭を平手で叩いたことが物議をかもした。ただ、川勝が福岡監督に就任する際、福岡所属で神戸でも川勝と一緒だった薮田光教は「熱くなってやったのだろうが、普段はそんなことをする人ではない」と川勝を擁護する発言をしている。
  • 趣味はイラストを描くこと[1] で、現役時代にも練習後にイラストレーターのアシスタントをしていた。サッカー研究のため度々イタリアへ渡っているが、現地では同時に美術館などを訪れる。また、東京Vの40年誌の表紙やFC東京のエンブレムなどをデザインしたという[1]
  • 現役引退後は、指導者としてライバルだった木村和司を行く先々で臨時コーチに招き、フリーキックの極意を伝授させた。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯天皇杯期間通算
1981東芝21JSL2部17141-212
1982101832010213
1983読売JSL1部1212030171
19841422051213
19851603000190
1986-871240000040
1987-881501020180
1989-90京都紫光18JSL2部2200010230
1990東京ガス関東--
1991-9213JSL2部15010-160
通算日本JSL1部 61380101794
日本JSL2部 7247120815
日本関東 -00
総通算 151121
その他の公式戦
出場歴
  • JSL(1部)初出場:1983年

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 13試合 0得点 (1980-1982)[3]
日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1980002020
1981100130230
1982305080
通算 130200330

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1981年02月08日マレーシアの旗クアンタン マレーシア●0-1川淵三郎国際親善試合
2.1981年02月17日シンガポールの旗シンガポール シンガポール○1-0国際親善試合
3.1981年02月19日シンガポールの旗シンガポール シンガポール△0-0国際親善試合
4.1981年06月19日大韓民国の旗大邱 マレーシア○2-0森孝慈韓国大統領杯
5.1981年06月21日大韓民国の旗釜山 韓国●0-2韓国大統領杯
6.1981年08月30日マレーシアの旗クアラルンプール マレーシア○2-0ムルデカ大会
7.1981年09月03日マレーシアの旗クアラルンプール インド○3-2ムルデカ大会
8.1981年09月08日マレーシアの旗クアラルンプール アラブ首長国連邦○3-2ムルデカ大会
9.1981年09月14日マレーシアの旗クアラルンプール インドネシア○2-0ムルデカ大会
10.1981年09月18日マレーシアの旗クアラルンプール イラク●0-2ムルデカ大会
11.1982年03月21日大韓民国の旗ソウル 韓国●0-3日韓定期戦
12.1982年06月02日日本の旗広島県広島県総合グランドメインスタジアム シンガポール○2-0ジャパンカップ
13.1982年07月18日ルーマニアの旗ブカレスト ルーマニア●1-3国際親善試合

指導歴

監督成績

年度クラブ所属リーグ戦カップ戦
順位試合勝点ナビスコ杯天皇杯
1997V川崎J-------3回戦
1998-1493-11-ベスト8
1999神戸J110位3037124141回戦3回戦
200013位3033111182回戦ベスト4
200112位303397142回戦4回戦
2002-10217予選リーグ-
2006福岡-22194711--
2010東京VJ25位365817712-2回戦
20115位3859161111-3回戦
20127位325317213--
2014京都-3回戦

参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI