フェリックス・クロフ
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- 1966年-1967年 - フルンゼ市内務局独立自動車化作戦連隊作戦小隊の民警官。
- 1967年-1971年 - 内務省オムスク高等学校の聴講生。
- 1971年-1975年 - キルギス・ソビエト社会主義共和国内務省刑事捜索局の麻薬対策課、A課の捜査官。
- 1975年-1978年 - 内務省アカデミーの聴講生。
- 1978年-1980年 - 共和国内務省刑事捜索局の課長。
- 1980年-1984年 - タラス州執行委員会内務局副局長。
- 1984年-1987年 - タラス州執行委員会内務局長。
- 1987年-1991年 - 共和国内務第一次官。
- 1990年 - フルンゼ市警備司令官。
- 1990年-1991年 - キルギス共和国大統領会議のメンバー。
1990年12月11日、キルギス共和国最高会議議長に立候補したが敗北。1991年7月1日、キルギス共和国内務相に任命され、8月のクーデターを迎える。
8月クーデター時
1991年8月19日朝、アスカル・アカエフ大統領は、メデトカン・シェリムクロフ最高会議議長、ジュマベク・アサンクロフKGB議長、クロフ内務相等、共和国の全指導者を緊急召集した。状況が不透明で、アカエフは共産党員が90%を構成する最高会議で選出されていたため、非常に狼狽していた。
シェリムクロフ最高会議議長やアサンクロフKGB議長は、事態を静観するか、国家非常事態委員会を支持することを主張した。ここで、クロフ内務相が発言し、国家非常事態委員会の行動が違憲であり、僭称者を支持することはできないと表明した。彼の立場は、決定的となった。当時、キルギス内務省は、人数に関してKGB機関及び軍部隊に優勢だった。
会議後直後、中央アジア軍管区司令官フジェンコ大将は、クロフに電話を掛け、軍法会議で脅しつつ、国家非常事態委員会の命令を遂行するように要求した。これに対して、クロフは、共和国内の全ての重要施設、政府庁舎を警備下に置き、軍の動きを牽制した。
