ソーロンバイ・ジェーンベコフ

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ソーロンバイ・ジェーンベコフ
Сооронбай Жээнбеков
キルギス共和国
第5代大統領
任期
2017年11月24日  2020年10月16日
首相サパル・イサコフ英語版
ムハンメトカルイ・アブルガジエフ英語版
クバトベク・ボロノフ英語版
アルマズベク・バトゥルベコフフランス語版(代行)
前任者アルマズベク・アタンバエフ
後任者サディル・ジャパロフ(代行)
キルギス共和国
第18代首相
任期
2016年4月13日  2017年8月22日
大統領アルマズベク・アタンバイエフ (Almazbek Atambayev)
代理官チョルポン・スルタンベコヴァ英語版
前任者テミール・サリエフ
後任者ムハンメトカルイ・アブルガジエフ英語版(代行)
オシ特別市長
任期
2012年8月16日  2015年12月11日
首相オムルベク・ババノフ英語版
ジョーマルト・オトルバエフ英語版
前任者アイトマト・コディルバイエフ (Aytmat Kadyrbayev)
後任者ターライベク・サリュバシェフ (Taalaybek Sarybashev)
個人情報
生誕ソーロンバイ・シャリポヴィッチ・ジェーンベコフ
(1958-11-16) 1958年11月16日(66歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
キルギス・ソビエト社会主義共和国(後のキルギスの旗 キルギス
ビイ=ミルザ
政党キルギス社会民主党
配偶者アイグル・ジェーンべコフ英語版
子供3
住居Ordo House,
出身校キルギス国立農業大学

ソーロンバイ・シャリポヴィッチ・ジェーンベコフ(Sooronbay Sharipovich Jeenbekov、キルギス語: Сооронбай Шарипович (Шарип уулу) Жээнбеков, Sooronbay Şaripoviç (Şarip uulu) Jéénbekov; [soːrɔnˈbɑj ʃɑˈripɐvit͡ʃ d͡ʒeːnˈbɛkəf]1958年11月16日 - )は、キルギス政治家。2017年より同国大統領を務めた(第5代)[1]が、2020年議会選挙の不正に端を発する反政府デモで退陣を余儀なくされた。それ以前の2016年4月から2017年8月にかけては、キルギスの首相を務めた[2][3]。氏名はソオロンバイ・ジェエンベコフとも表記される[4]

ズスプベク・シャリポフ

ジェーンベコフは、オシ州ビイ=ミルザ英語版で、集団農場の管理者と主婦の間に生まれた[5]。弟アシルベク・ジェーンベコフ英語版も政治家であり、別の弟ズスプベク・シャリポフ (Zhusupbek Sharipov) は、駐ウクライナ大使である[6]。ジェーンベコフには、9人のきょうだいがいた。ジェーンベコフはキルギス農業アカデミー (Kyrgyz Academy of Agriculture) に学び、動物工学 (zoological engineering) の学位を得て卒業した。その後さらに会計学を学び、2003年キルギス国立農業大学英語版を卒業した[7]

経歴

2017年3月7日ビシュケクで開催されたユーラシア政府間協議会における、当時首相だったジェーンベコフと、ドミートリー・メドヴェージェフロシア連邦首相)、チグラン・サルキシャンユーラシア経済連合委員長)。

ジェーンベコフは、18歳でウズゲン地区英語版のレーニン学校の教員となり、ロシア語と文学を教えた。1983年には、オシ州ソビエト地区にあったソビエト農場で畜産担当の主任となり、5年間ほど働いた。1988年11月、オシ州ソビエト地区のキルギスタン共産党英語版の地区委員会に入り、指導員としての地位を得た。数年後、彼は党委員会の役員になった[8]

政界入りした後、ジェーンベコフは1993年カラ・クルジャ地区英語版のカシュカ=ゾル (Kashka-Zhol) 集団農場の委員長に選出された[9]1995年には、人民代表者会議の議員代理となった。2007年、ジェーンベコフは農業・水資源・食品加工担当大臣となった。2010年にはオシ州知事となり、2015年には国家人事院長官に任命された。2016年3月、大統領府副長官に任命され、次いで首相に任命された[10][11]

2017年キルギス大統領選挙

ジェーンベコフは、2017年キルギス大統領選挙英語版の正式な候補者として指名され、2017年8月21日に首相を辞任した。このとき彼は、「自分は他の大統領候補者と対等な立場でありたい」と述べた"[3]

選挙は、2017年10月15日に実施された。キルギスの中央選挙管理委員会は、総計170万票近くが投じられ、ジェーンベコフが 54.74%を獲得したと発表した[12]。ジェーンベコフの選出は、キルギスの大統領選挙において、初めて民主主義的に権限の移譲が行われたことを意味していた。アザイ・グリエフ英語版は、この選挙が、キルギスの歴史上数少ない平和のうちに実施された選挙であったと述べた[13]

大統領

脚注

外部リンク

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