フェリペ・ポーリーノ

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生年月日 (1983-10-05) 1983年10月5日(41歳)
身長
体重
191 cm
122 kg
フェリペ・ポーリーノ
Felipe Paulino
AAA級アイオワ時代
(2015年6月17日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
ベネズエラの旗 ベネズエラ
二重国籍
出身地 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
サントドミンゴ
生年月日 (1983-10-05) 1983年10月5日(41歳)
身長
体重
191 cm
122 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 MLB / 2007年9月5日 ミルウォーキー・ブルワーズ
NPB / 2016年6月18日 東京ヤクルトスワローズ
最終出場 MLB / 2014年4月18日
NPB / 2016年8月20日 千葉ロッテマリーンズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
プレミア12 2015年

フェリーペ・アドルフォ・アルベルティン・ポーリーノ・デル・ギディースFelipe Adolfo Albertin Paulino Del Guidice , 1983年10月5日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身、ベネズエラミランダ州育ちの元プロ野球選手投手)。右投右打。

プロ入り前

ドミニカ共和国サントドミンゴに生まれるが、生後数か月でベネズエラに渡り、2歳の頃に母親と共にベネズエラのミランダ州ロス・テケスに正式に移住。

アストロズ時代

2001年7月2日にヒューストン・アストロズと契約。

2003年に渡米し、ルーキー級マーティンズビル・アストロズで16試合に登板。2勝2敗1セーブ、防御率5.61だった。

2004年はルーキー級グリーンズビル・アストロズで10試合に登板し、1勝3敗、防御率7.59だった。

2005年はA-級トリシティ・バレーキャッツで13試合に登板し、2勝2敗1セーブ、防御率3.82だった。8月にA級レキシントン・レジェンズへ昇格。A級では7試合に登板し、1勝1敗、防御率1.85だった。オフの11月18日にアストロズとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りした。

2006年2月21日にアストロズと1年契約に合意。3月19日にAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ異動した[2]。この年はA+級セイラム・アバランチで27試合に登板し、9勝7敗、防御率4.35だった。

2007年3月1日にアストロズと38万ドルの1年契約に合意[3]。3月12日にAAA級ラウンドロックへ異動した[4]。開幕をAA級コーパスクリスティ・フックスで迎え、22試合に登板。6勝9敗、防御率3.62だった。9月4日にメジャーへ昇格し、9月5日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。7点ビハインドの4回裏から登板し、3回を投げ6安打(3本塁打)5失点2四球だった[5]。3度目の登板となった9月18日のブルワーズ戦では先発として初めて起用されたが、4回を5安打5失点と打ち込まれ、メジャー初黒星を喫した[6]。9月25日のシンシナティ・レッズ戦では、5回を投げ8安打5失点と再び打ち込まれたが、8点の援護でメジャー初勝利を挙げた[7]。この年は5試合に登板し、2勝1敗、防御率7.11だった。

2008年2月27日にアストロズと1年契約に合意。3月19日に右上腕神経痛で15日間の故障者リスト入りした[8]。8月5日にAAA級ラウンドロックで復帰したが、1試合の登板にとどまった。

2009年2月21日にアストロズと1年契約に合意。3月17日にAAA級ラウンドロックへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。AAA級では2試合の登板で、1勝0敗、防御率0.75と好投し、4月18日にメジャーへ昇格[9]。シーズン初登板となった4月19日のレッズ戦では6回を無失点に抑えたものの、その後2試合連続で敗戦投手となり、5月からリリーフに転向。しかし3試合連続で失点したため、5月12日のコロラド・ロッキーズ戦から先発に復帰した。先発再転向後は7試合に登板したが、防御率7.59と振るわず、7月13日にAAA級へ降格した。8月4日に再昇格[10]。しかし同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で4.1回を9安打5失点と結果を残せず、8月8日にAAA級へ降格。8月18日にマイク・ハンプトンが故障者リスト入りしたため、リリーフとして再昇格し[11]、9月から先発に復帰したが、5連敗を喫した。この年は23試合に登板し、3勝11敗、防御率6.27だった。

2010年は開幕ローテーションに加わったが、シーズン2試合目の登板となった4月16日から6連敗を記録し、その後も勝ち星に恵まれず、11試合目の登板となった6月4日のシカゴ・カブス戦でようやくシーズン初勝利を挙げた。6月24日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし[12]、7月31日に60日間の故障者リストへ異動[13]。9月12日に復帰し、リリーフとして5試合に登板した。この年は19試合に登板し、1勝9敗、防御率5.11だった。

ロッキーズ時代

2010年11月18日にクリント・バームスとのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍した[14]

2011年1月18日にロッキーズと79万ドルの1年契約に合意[15]。開幕後はリリーフとして18試合に登板したが、0勝4敗、防御率7.36と結果を残せず、5月21日にDFAとなった[16]

ロイヤルズ時代

カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2012年5月26日)

2011年5月26日に金銭トレードでカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[17]。移籍後初登板となった5月27日のテキサス・レンジャーズ戦では、4.1回のロングリリーフを任されたが、1安打無失点に抑え、6月から先発に復帰。シーズン終了までローテーションを守った。ロイヤルズでは21試合に登板し、4勝6敗、防御率4.11だった。

2012年1月17日にロイヤルズと190万ドルの1年契約に合意[18][19]。4月4日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[20]。5月5日に復帰し[21]、シーズン初登板となった同日のニューヨーク・ヤンキース戦では、6回を4安打無失点6奪三振に抑え、良いスタートを切ったが、6月6日に行われたミネソタ・ツインズ戦の1回表2死の場面で、右肘の痛みを訴え降板。6月9日に15日間の故障者リスト入りし[22]、7月3日にトミー・ジョン手術を受け、7月15日に60日間の故障者リストへ異動[23]。そのままシーズンを終えた。この年は7試合に登板し、3勝1敗、防御率1.67だった。オフの11月29日にロイヤルズと175万ドル+出来高の1年契約を結んだ[24][25]

2013年2月12日に前年の手術の影響で、60日間の故障者リスト入りした[26]。6月にAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズでリハビリを開始し、8月にAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ昇格。AAA級では5試合に登板したが、0勝3敗、防御率8.24と結果を残せず、9月10日に右肩の手術を行い、そのままシーズンを終了した。11月20日にDFAとなり、同日にマイナー契約を拒否したため、FAとなった[27]

ホワイトソックス時代

2013年12月9日にシカゴ・ホワイトソックスと150万ドルの1年契約(2015年・400万ドルの球団オプション付き[28])を結んだ[29]

2014年は開幕ローテーションに加わったが、4月19日に右回旋筋腱板の故障で15日間の故障者リスト入りし[30]、5月にリハビリのためAAA級シャーロット・ナイツで5試合に登板したが、肩の状況は悪化し、7月20日に60日間の故障者リストへ異動[31]。結局シーズン中に復帰することはできず、この年は4試合の登板にとどまり、0勝2敗、防御率11.29だった。オフの10月30日にホワイトソックスが400万ドルの球団オプションを破棄したため、FAとなった[32]

カブス傘下時代

第1回WBSCプレミア12ベネズエラ代表
2015年11月7日

2015年1月29日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶが、3月31日に放出され、5月3日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[33]。11月には第1回WBSCプレミア12ベネズエラ代表に選出された[34]。オフにFAとなった。

インディアンス傘下時代

2015年12月1日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。

2016年5月20日、埼玉西武ライオンズとの入団交渉が合意に至ったため、インディアンスは保有権を放棄し、解雇とした[33]

西武時代

2016年5月29日に埼玉西武ライオンズとの契約合意が発表され[35]、31日付で支配下選手登録された[36]。同日に入団会見が行われ、背番号は4に決まった[37]

6月18日に出場選手登録され[38]、同日の対東京ヤクルトスワローズ戦に9番・投手で来日初出場・初先発し、5回を投げ被安打4、奪三振2、与四球1、失点2(自責点0)で勝敗はつかなかった。また、2回に初打席に立ち、結果は見逃し三振だった[39][40]。8月20日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、6回表に2番手で登板。救援としてマウンドに上がるのは来日後初であった。ただ、0回1/3を投げ3失点と打ち込まれ[41]、翌21日に出場選手登録を抹消されると[42]以後一軍の試合に登板することはなかった。

11月1日、ウェイバー公示の手続きがなされたことが発表された[43]。しかし譲渡を希望する球団は無く、11月8日に自由契約公示がなされた[44]

西武退団後

2017年3月29日に独立リーグ・アトランティックリーグシュガーランド・スキーターズと契約。5月26日にメキシカンリーグサルティーヨ・サラペメーカーズへ移籍するが、7月25日に解雇となる。7月30日にシュガーランド・スキーターズに復帰。

2018年もシュガーランド・スキーターズに所属し、チームのクローザーを務めた。

2019年シーズンも抑えとしてシーズンを過ごしていた。6月17日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び、AAA級ラウンドロック・エクスプレスに配属された[45]。8月29日にアストロズとの契約を解除しシュガーランド・スキーターズに復帰した。2020年限りで退団。

選手としての特徴

  • 2013年に肩を故障するまでは93~98mph(約149.7~157.7km/h)の速球を計測していたが、以降は平均で93mphにまで球速が低下した。フォーシームと平均86.5mph(約139.1km/h)のスライダーを主体とした速球派で、他にはツーシームカーブチェンジアップを投げる[46]。制球力と球威はメジャー平均レベルを大きく下回っており、ストライク率も大半の球種で60%以下となっている[47]
  • 西武入団時の体重122kgは、当時のNPB所属の投手では最重量[48]。アメリカでは「ジャンボ」というニックネームをつけられていた[49]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 HOU 530002101.6678519.0225710111015157.111.53
2009 231700031100.21444897.2126203724935073686.271.67
2010 19140001901.10041191.29544643836163525.111.54
2011 COL 1800000402.0006814.2233700141012127.362.05
KC 21200004600.400531124.21231048281196162574.111.37
'11計 392000041002.286599139.11461355281337174694.461.44
2012 770003100.75015637.231315003910871.671.22
2014 CWS 440000200.00010318.135612111420242311.292.56
2016 西武 980000600.00020344.044325-2324031234.701.57
MLB:6年 9765000133404.2771802403.24555117210163732222572345.221.55
NPB:1年 980000600.00020344.044325-2324031234.701.57
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



投手(P)












2007 HOU 541001.000
2009 23313001.000
2010 1961021.889
2011 COL 1801001.000
KC 2181833.897
'11計 3981933.900
2012 736001.000
2013 CWS 410001.000
MLB 97254954.937
  • 2019年度シーズン終了時

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録
  • 初打席:2016年6月18日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、2回表にカイル・デイビーズから見逃し三振

背番号

  • 55 (2007年 - 同年途中、2011年 - 同年途中、2014年)
  • 52 (2007年途中 - 2010年)
  • 39 (2011年途中 - 同年途中)
  • 59 (2011年途中 - 2012年)
  • 4 (2016年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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