フォッカー F.VII

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スイス航空のフォッカー F.VIIb/3m

フォッカー F.VII(Fokker F.VII)は、1920年代にオランダのフォッカーおよびフォッカーのアメリカ合衆国子会社であるアトランティック・エアクラフト社や多くのメーカーでライセンス生産された旅客機である。単発の原型機フォッカー F.VIIは1924年に初飛行し、翌年三発のF.VIIa/3mが開発された。

三発(トライ)の発動機(モーター)を備えることにちなんでフォッカー・トライモーター(Fokker Trimotor)とも呼ばれる。なお、同じ名を持つ航空機はもう一機種存在し、それはフォードが製作したフォード トライモータである。

1924年、ヴァルター・レーテル(Walter Rethel)の設計で単発高翼単葉の原型機が開発された。アンソニー・フォッカーはエンジンを2基追加して Ford Reliability Tour に出場させ、その後の生産型のF.VIIa/3m、F.VIIb/3m、F.10は三発の構成が採用された。乗客数 8~12の旅客機として、ヨーロッパやアメリカ合衆国の航空会社で多く使われた。1920年代後半のアメリカの旅客機の市場で優位に立ち、多くの記録飛行に用いられた。またアメリカ陸軍や海軍などで輸送機として採用された[1]。構造は1920年代における一般的手法で、鋼管フレーム外部に合板羽布張り、木製主翼であった。

1931年に有名なフットボールチームのコーチ、ニュート・ロックニーの乗ったTWAのF.10が事故を起こしたが、その後の調査で木製機の耐久信頼性が疑われるに至り、ボーイング 247ダグラス DC-2のような近代的な全金属製旅客機登場のきっかけになった[2]

フォッカー F.VIIによる記録飛行

  • 1926年5月9日 - リチャード・バードがF.VIIa/3m、「ジョセフィーン」で北極圏を越える飛行に成功した。
  • 1927年6月28日-29日 - アメリカ陸軍のレスター・メイトランド(Lester Maitland)とアルバート・ヒーゲンバーガー(Albert Hegenberger)がアトランティック・エアクラフト社製の軍用型(C-2)「バードオブパラダイス」で、アメリカ本土からハワイまでの3,862 kmの飛行に初めて成功した。
  • 1927年6月29日 - リチャード・バードがC-2の民間仕様「アメリカ」で大西洋横断に成功し、7月1日、フランスの海岸に不時着した。
  • 1927年8月31日 - 'Dan' Minchin、Leslie Hamiltonおよびアン・サヴィルがF.VIIa「セント・ラファエル」でヨーロッパからアメリカへの大西洋逆横断を企てたが行方不明となった。
  • 1927年9月7日 - ジェームズ・デウィット・ヒル(James DeWitt Hill)、ロイド・バートード(Lloyd W. Bertaud)の搭乗したF.VIIa 「オールド・グローリー」がニューヨークからイタリアのローマまでの飛行を企てるが、失敗した。
  • 1928年6月 - チャールズ・キングスフォード・スミスがF.VIIb/3m「サザンクロス」でアメリカ合衆国からオーストラリアまでの太平洋横断飛行に成功した。9月にはオーストラリアからニュージーランドまでの往復飛行に成功した。
  • 1928年6月17日 - アメリア・イアハートが同乗したF.VIIb/3m 「フレンドシップ」が、女性を乗せた最初の大西洋無着陸横断飛行に成功した。
  • 1929年1月1日-7日 - ロサンジェルスでアメリカ陸軍のC-2A「クエスチョンマーク号」が空中給油による長時間飛行記録、150時間を記録した。

派生型

仕様(F.VIIb/3m)

脚注

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