フランク・フレオン
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1986年にフランスのルノー・5ターボ選手権でキャリアを開始し、フォーミュラ・ルノーでジュニア・フォーミュラにも参戦、同年のランキング6位となる。2年目の1987年には初優勝を挙げ、ランキング4位を獲得。1988年からフランスF3選手権に参戦クラスを上げ、1989年にランキング7位、同年はスパ24時間レースに初参戦した。
1990年より国際F3000選手権に昇格したが、ギャラクシー・チームの体制の弱さもあり最初の5戦のうち4回で予選不通過となった。ただし、ギャラクシーでの唯一の決勝進出となったポー・グランプリでは難コースで5位に入り、ポイントを獲得した。同年のF3000ランキングは19位だった。
1991年にアメリカへ渡り、インディ・ライツに参戦しブライアン・ハータと選手権タイトルを争い、1992年、1993年と2年連続シリーズ2位を獲得した。しかしインディカーシートの獲得には苦労し、1994シーズンに3つの異なるチームから出走、ロングビーチ市街地コースで12位・1ポイントを獲得した。1995年も良いチーム体制を得られず、乗ったのは3年落ちのローラ製シャシーだった。この期間、活路を求めてイギリスF2選手権にもスポット参戦歴がある。
ル・マン24時間レースは1994年に初参戦(チーム・アートネイチャーより、マシンはマツダ・RX-7・GTO)、2年目の1995年からは日本のマツダスピードから参戦し、総合7位入賞(WSCクラス3位)。1996年にはLMP2クラス優勝を達成した[1]。
日本でのレース歴もあり、1996年にはマツダスピードのファミリアで全日本ツーリングカー選手権 (JTCC)へフル参戦した。
2003年のアメリカン・ル・マン・シリーズへの参戦を最後にレーサーを引退した。その後自身の経験と知識を活かすべく、1998年よりアメリカ ・フィラデルフィア近郊に設立した「Pumpkin Fine Cars & Exotics」という自動車関連企業の代表を務めている。
