フリードリヒ・ユーベルヴェーク
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1826年1月22日、ドイツ・ライン地方のライヒリンゲンにルター派の牧師であった父ゴットリープ・フリードリヒ・ユーベルヴェーク(Gottlieb Friedrich Ueberweg)の元に生まれ、少年時代はデュッセルドルフの学校に通った。大学はゲッティンゲン大学やフンボルト大学で学び[2][3][4]、1850年にマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクで博士号を修得した。

1852年よりボン大学で私講師の職についた。1862年、ケーニヒスベルク大学で員外教授として務めはじめ、1868年に正式な教授職に就任。哲学を教授した[2][3][4]。1662年から1866年にかけて代表作『哲学史綱要(ユーベルヴェーク大哲学史)』を執筆する。1871年6月9日、ケーニヒスベルクで死去した。
研究内容・業績
哲学史綱要
- 『哲学史綱要(ユーベルヴェーク大哲学史)』の著者として知られる。これは、1862年から1866年にかけて記され、哲学史家として偏りのない正確な記述がなされた書と評価されている[2]代表作『哲学史綱要[5]』。この『哲学史綱要』は出版当時は全3巻から成り立っていたが、多くの哲学史家が編集に携わり[3]、改訂や版を重ねて最大で全5巻からなる大著になった[4]。
思想
- ユーベルヴェークは哲学史家として偏りのない正確な記述がなされた著作『哲学史綱要』を著しているが、哲学史家としての業績の他、師フリードリヒ・アドルフ・トレンデンブルクや同国出身の哲学者・神学者フリードリヒ・シュライアマハーの影響を受けて実在論的立場に立ち、実在論的認識論を説いて[6]ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの思弁的観念論の恣意的な構成を批判した[2]。
- 晩年には自然主義の考えに傾倒し、唯物論者でもあった[7]。