ブクブク茶
沖縄県の茶
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概要
点て方
土壌が石灰岩や珊瑚礁に由来する沖縄では、水は基本的にアルカリ分を多く含む硬水である。その水で煎り米を煮出し、さんぴん茶や番茶とともに「ブクブクーザラ」[2]とよばれる直径25cmほどの木鉢に入れる[3]。これを20cm以上の大きな茶筅で泡立て、茶と少量の赤飯が入った茶碗の上にソフトクリームのように盛る[3]。最後に、炒った落花生を上に乗せる[3]。
茶筅は指2本で持ち、ブクブクーザラの隅(クロックポジションでいう3時と6時の位置)を直線的に振る[4]。ブクブクーザラの中央寄りで振ったり、縁に沿って弧を描くように振ったりすると、泡の量が減る[4]。
ブクブク茶にとって豊かな泡が最も重要とされ、適切な硬度の水を用いることで1時間経っても消えない泡を立てられるという[3]。また、米の焙煎度合いと濃度が泡立ちに大きく影響する[5]。
飲み方
箸やスプーンを使わず、口を大きく開いて泡の上部から吸い込むように飲む[6]。泡が茶碗に残って動かない時は、茶碗の底を叩いて口に流し込んでもよい[6]。
特徴
他の地域の振り茶と比べると、大きな鉢で人数分の泡をまとめて立てるのが特徴である[7]。正月の期間中の誕生祝や旧暦9月の年日などに振る舞われる点など、徳之島の振り茶である「フイチャ」と共通点が多い[7]。
歴史
一説によれば、天正15年(1587年)の北野大茶会で茶の代用として用いられた「こがし」(炒った米粉)が琉球に伝わり、王朝でブクブク茶の原型が作られたという[8][9]。冊封使の接待などに使われたブクブク茶が広がり、首里の士族などの間で飲まれていた[9]。1757年に漂着した琉球船から聞き取った『大島筆記』によれば、当時の琉球では年配の女性が煎茶を振り茶にして飲んでいたという[10]。那覇や首里を中心に伊計島など琉球各地で近世後半まで飲まれていたと推測される。明治時代に入るとブクブク茶の習慣は下火になった[10][注釈 1]が、それでも若き日の尚順(最後の琉球国王・尚泰王の四男、男爵)が那覇を訪れるたびにブクブク茶を立て続けに飲んだ[11]という話が伝わるなど、那覇の庶民の間ではなお親しまれた飲み物だった[12]。
第二次世界大戦後は那覇市内の市場で一部の行商人が予約制で販売していたものの、習俗は一時途絶えていた[10]。1950年代後半から復元の動きがあり、有志の研究によって1980年頃に復元された[3]。平成4年(1992年)には沖縄伝統ブクブクー茶保存会が発足している[3][13]。復元後は茶の儀式としての文化面も研究が進められているほか、沖縄らしさの象徴として同じ冠言葉の「ブクブクコーヒー」が商品化される、などの動きも見られる[7]。
旧琉球王家の代21代当主尚昌の長女井伊文子(1917生- 2004没)は社会奉仕団体「佛桑花の会」(彦根市)の会長、「NPO法人琉球の茶道ぶくぶく茶あけしのの会」(浦添市)の「初代総裁」などをつとめ[14]、婚家のある滋賀県彦根市から滋賀県ほかで「ぶくぶく茶」の普及活動を行なった。
令和7年(2025年)3月には、「ブクブクー茶」として文化庁の「100年フード」(令和6年度「伝統の100年フード部門」)に認定された[15][16]。


