ブリッジウォーターの聖母
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| イタリア語: La Madonna Bridgewater 英語: The Bridgewater Madonna | |
| 作者 | ラファエロ・サンツィオ |
|---|---|
| 製作年 | 1507年-1508年頃 |
| 種類 | 油彩、板(のちにキャンバス[1]) |
| 寸法 | 81 cm × 56 cm (32 in × 22 in) |
| 所蔵 | スコットランド国立美術館、エディンバラ |
『ブリッジウォーターの聖母』(ブリッジウォーターのせいぼ、伊: La Madonna Bridgewater[2], 英: The Bridgewater Madonna[1])として知られる『聖母子』(せいぼし、伊: La Vergine e il Bambino, 英: The Virgin and Child[1])は、イタリア、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンツィオが1507年から1508年頃に制作した絵画である。油彩。『ブリッジウォーターの聖母』という通称は18世紀末に絵画を購入した第3代ブリッジウォーター公爵フランシス・エジャートンにちなんでいる。サザーランド公爵のコレクションからの貸与により、現在はエディンバラのスコットランド国立美術館に所蔵されている[1][2][3][4][5]。またロンドンの大英博物館とウィーンのアルベルティーナに準備素描が所蔵されている[6][7]。
先行作品の影響

ラファエロは暗い背景の前で幼児のイエス・キリストを抱いた聖母マリアを描いた。キリストは母の膝の上で寝そべっており、身体をひねりながら手足を伸ばして動き回るだけでなく、ヴェールをつかみ、母の顔を見上げている。聖母マリアもまた穏やかな表情で静かに息子を見つめている。この作品の聖母子像は非常に調和と均整のとれた群像をなしている。特徴的なのは聖母マリアのヴェールをつかむキリストの腕と、息子の身体に触れる聖母マリアの手という、蛇のような動きを生み出す対立し相違した身振りであろう。暗い室内は聖母マリアが座るベンチや画面右の扉が開いた壁龕以外はほとんど判別できない。しかし強烈で鮮やかな色彩は暗い背景から浮かび上がる絡み合った人物たちに効果的な実体をもたらしている[5][10]。身振りの巧みな組み合わせは特に優美で、どちらのポーズにもコントラポストの優雅な捻りが加えられている[1][4]。特にキリストの身体は彫刻的ともいえる立体感を達成するために慎重にモデル化された。このキリストの彫刻的な堅牢さと二重のねじれは、ミケランジェロ・ブオナローティの『タッデイの聖母子』(Il Tondo Taddei)の影響を受けていると考えられている[3][4]。そして見つめ合う母と子の視線はその優しさを強調する[1][4]。
X線撮影を使用した科学的分析の結果、ラファエロが絵画の場面を風景の中に設定していたことが判明した。背景に風景画を用いるのはラファエロの初期の聖母子画に典型的な作例といえる。しかしその後、ラファエロは背景を暗く塗って聖母子に焦点を当てることを選択した。おそらくそれにより光と影のコントラストが強調され、ボリューム感と記念碑性が高まり、聖母子をより巧みに描くことができると判断したのだろう[1][4]。
おそらく個人的な礼拝用の図像として依頼主の私室に飾るために制作されたと思われる[1]。
制作年代については、フィレンツェ時代とするかローマ時代初期とするかで見解が分かれる[3]。とはいえ一般的に円熟期を過ごしたフィレンツェ時代に制作されたと考えられている[1][11]。
『ブリッジウォーターの聖母』はローマ以前のラファエロの聖母子画の中で最も複雑なアプローチがなされた作品である。ラファエロは初期の頃から聖母マリアの膝の上で横たわる幼児キリストの姿を描いたが、この作品ほどキリストに動きを与えた作例は知られていない[11]。このキリストの図像はミケランジェロの彫刻『タッデイの聖母子』やレオナルド・ダ・ヴィンチの『糸車の聖母』(La Madonna dei Fusi)にインスピレーションを受けたことが指摘されている。ミケランジェロの『タッデイの聖母子』では、聖母の膝の上で横になり手足を伸ばした幼児のキリストが、小鳥をつかんだ幼い洗礼者ヨハネとともに彫刻されている。この彫刻作品はラファエロがフィレンツェに移る直前の1504年頃に商人タッデオ・タッデイのために制作された。タッデオ・タッデイはラファエロの友人かつパトロンであり、ラファエロはおそらくこの人物の邸宅でこの彫刻を見たのだろう[6]。実際にパリのルーヴル美術館にはラファエロによる『タッデイの聖母子』の研究が残されており、その中でラファエロは茶色のペンとインクでミケランジェロが彫刻した聖母子像を忠実にスケッチしている[6][12]。これに対して暗い背景の前でコントラポストの姿勢をとる聖母子のモチーフはレオナルドに由来する。ラファエロはこれらの図像を左右反転して用い、レオナルドを思わせるひねりを加えた構図を作成したのである。ラファエロは同時期の『アレクサンドリアの聖カタリナ』(Santa Caterina d'Alessandria)でも、レオナルドに倣って身体をねじったポーズの聖カタリナを描いている[13]。ロンドンの大英博物館とウィーンのアルベルティーナに所蔵されている準備素描は、ルーヴル美術館のミケランジェロの研究と本作品との間の空白を埋めるだけでなく、ラファエロがキアロスクーロの効果によって特徴づけられる絵画的特徴と、聖母子の生き生きと絡み合った描写を特徴とするミケランジェロやレオナルドといったフィレンツェの作品に部分的に影響を受けていたことを示している[14]。
保存状態
もともとは板絵であったが、オルレアン・コレクションに所蔵されていた18世紀にキャンバスに移された[3]。保存状態は良好とはいえず、多少の損傷が確認されるものの、聖母マリアの顔と衣服の状態は良好である[3]。
来歴
準備素描
大英博物館所蔵の素描は複数の聖母子像が描かれているが、その中でも画面中央に大きく描かれたものは明らかに本作品の準備素描と見なされている[6]。そのほか、右の素描はベルリン絵画館所蔵の『コロンナの聖母』(La Madonna Colonna)、中央上部の素描はアルテ・ピナコテーク所蔵の『テンピの聖母』(La Madonna Tempi)およびナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵の『カウパーの大聖母』(La Grande Madonna Cowper)と関連し、左上の幼児のキリストは同美術館所蔵の『カウパーの小聖母』(La Piccola Madonna Cowper)と似ていることが指摘されている。これらの素描はもともと各絵画のために準備されたものというよりは、聖母子の主題に取り組む過程で生まれた様々な構想を描いたものだったと思われる[6]。一方、アルベルティーナ所蔵の素描はそこから一歩進み、雑多な構想の中から1つを選んで推敲したものと言える。しかし両素描ではキリストは本作品のように聖母の膝の上に寝そべっているのではなく、聖母の膝にまたがっており[6][7]、構図を練るためにさらなる習作が描かれたことが想定される[6]。
複製
本作品は模写による複製が現存している。古いものとしては、主にナポリのカポディモンテ美術館や、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されているバージョン、ナショナル・トラストが所有するヨークシャー州のノステル小修道院にあるバージョンが知られている[11][16][17][18]。また19世紀の模写も複数知られている[19]。これらのうちナショナル・ギャラリー版は16世紀後半のものと思われ、画面のサイズや色彩が類似しているだけでなく、ラファエロの作風を忠実に踏襲しているため、よく知られた画家の作品であったとしてもそれを特定するための特徴を見出すことは困難である。全体的に精巧に描かれているが、キリストの裸体を覆う薄い布は明らかに品質が異なっており、おそらく19世紀に加筆されたと考えられている[11][16]。その他の複製でもキリストの身体は布で覆われていることが多い[17][19]。ノステル小修道院版は17世紀のものと思われ、楕円形の画面に描かれている[17]。版画による複製も知られている。最古の版画は絵画がオルレアン・コレクションに所蔵されていた時代にフランスの版画家ニコラ・ド・ラルメッサン3世(Nicolas de Larmessin III)が制作したものである。この版画は1729年に出版された初代シャテル侯爵アントワーヌ・クロザの版画集のために制作された[16]。
ギャラリー
- 準備素描
- 同時期のラファエロの作例
- 『カウパーの大聖母』1508年 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵[23]
- 複製
- おそらく16世紀の複製 カポディモンテ美術館所蔵
- 17世紀の複製 ナショナル・トラスト所蔵[17]
- 19世紀の複製 ナショナル・トラスト所蔵[19]
- 19世紀の複製 聖ヨハネ騎士団博物館所蔵