ブルース・フローミング
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セミプロでの短い期間の選手経験の後、1958年に18歳でプロの野球の審判員として活動し始めた。メジャー昇格前にフローミングは野球だけでなく高校のバスケットボールの試合を裁く審判員も務めていたことがあり、NBAの審判員としての推薦も受けたことがあったという。
1971年にマイナーのパシフィックコーストリーグを経てメジャーに昇格。大きな「ストライク」のコールが特徴で、マイナー時代からその手腕は注目されており、昇格には後に殿堂入りを果たす審判員であるアル・バーリックらの助言もあったという。1975年に初めてオールスターゲームに出場、翌1976年にはワールドシリーズの審判団の1人に選ばれ、第4戦では9回表にニューヨーク・ヤンキースのビリー・マーチン監督に退場を命じている。1988年にはナショナルリーグ審判員のクルーチーフを務めるようになった。自らの審判員としての活動のほかに、フローミングはフロリダ州でジョー・ブリンクマンが1998年まで主催していた審判学校の支援などを行っていた。
メジャーリーグ最長タイとなる37年の在職期間を経て、2006年に出場試合5000試合を達成、翌2007年に退職。同年21年ぶりにオールスターゲームに出場、球審を務めた。レギュラーシーズンの出場試合数が5000試合を超えた審判員は、2007年現在彼とビル・クレムの二人だけである。
2026年2月25日死去。86歳没。前日の真夜中にウィスコンシン州メクワンの自宅で転倒し、床に頭を打ったためミルウォーキーの病院に搬送されたが、回復せずに亡くなった[1]。
審判歴
メジャーリーグ在籍:1971年~2007年(1999年まではナショナルリーグ在籍)
- 出場試合数:
- レギュラーシーズン:5163試合
- ディビジョンシリーズ:37試合(1981,1995,1996,1998,1999,2001-2003,2007年)
- リーグチャンピオンシップ:52試合(1973,1977,1980,1982,1985,1989,1991,1993,1997,2000年)
- ワールドリシーズ:22試合(1976,1984,1988,1990,1995年)
- オールスターゲーム:3試合(1975,1986,2007年)