ブレイク・オチョア
From Wikipedia, the free encyclopedia
| バレンシア・アストロズ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | アラグア州マラカイ |
| 生年月日 | 1985年9月5日(40歳) |
| 身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 2005年 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
| 国際大会 | |
| 代表チーム |
|
| WBC | 2013年 |
この表について
| |
ブレイク・スティーブンズ・オチョア(Blake Stevens Ochoa、1985年9月5日[1] - )は、ベネズエラのアラグア州マラカイ出身のプロ野球選手(捕手)。現在は、ディビシオン・デ・オナーのバレンシア・アストロズに所属している。
プロ入りとマーリンズ傘下時代
2005年に、フロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)と契約を結んだ。 この年は、まず傘下ルーキーリーグのガルフコーストリーグ・マーリンズでプレーした。ここでは、37試合に出場し、打率278、2本塁打、17打点、32安打を記録した[2]。その後、傘下アドバンスAのジュピター・ハンマーヘッズでプレーした。ここでは、1試合に出場した[2]。
2006年は、傘下ショートシーズンAのジェームズタウン・ジャマーズでプレーした。この年は、41試合に出場し、打率211、1本塁打、13打点、28安打を記録した[2]。
2007年は、まず傘下Aのグリーンズボロ・グラスホッパーズでプレーした。ここでは、33試合に出場し、打率191、2本塁打、6打点、17安打を記録した[2]。その後、傘下AAのカロライナ・マドキャッツでプレーした。ここでは、3試合に出場した[2]。
マーリンズ傘下時代
2007年シーズン途中に、シアトル・マリナーズへトレードされた。移籍後は、まず傘下ショートシーズンAのエバレット・アクアソックスへ異動した。ここでは、17試合に出場し、打率250、2本塁打、8打点、11安打を記録した[2]。その後、傘下Aのウィスコンシン・ティンバー・ラトラーズでプレーした。ここでは、7試合に出場した[2]。
2008年は、傘下Aのウィスコンシンでプレーした。この年は、63試合に出場し、打率251、3本塁打、23打点、48安打を記録した[2]。
オフには、母国ベネズエラのウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのブラボス・デ・マルガリータでプレーした。ここでは、16試合に出場し、打率256、2本塁打、6打点、10安打を記録した[2]。
2009年は、傘下Aのクリントン・ランバーキングスでプレーした。この年は、54試合に出場し、打率318、5本塁打、31打点、55安打を記録した[2]。
オフには、前年同様にマルガリータでプレーした。ここでは、5試合に出場した[2]。
2010年は、まず傘下AAAのタコマ・レイニアーズでプレーした。ここでは、3試合に出場した[2]。その後、傘下アドマンスAのハイデザート・マーベリックスでプレーした。ここでは、7試合に出場した[2]。その後、傘下Aのクリントンでプレーした。ここでは、33試合に出場し、打率279、8本塁打、25打点、29安打を記録した[2]。同年限りでマリナーズを退団している。
オフには、3年連続でマルガリータでプレーした。ここでは、3試合に出場した[2]。
独立リーグ時代
2011年は、独立リーグであるフロンティア・リーグのワシントン・ワイルドシングスと契約を結んだ。
この年は、79試合に出場し、打率190、6本塁打、27打点、47安打を記録した[2]。同年限りで、退団している。
スペイン球界時代
2012年からは、スペインの国内リーグであるディビシオン・デ・オナーのバレンシア・アストロズでプレーしている。
2013年3月には、第3回WBC本戦のスペイン代表にも選出された[4]。
2014年は、32試合に出場し、打率278、7本塁打、33打点を記録した[5]。
また、8月30日に、第6回イタリアンベースボールウィークと第33回ヨーロッパ野球選手権大会のスペイン代表が発表され[6]、代表入りした。
2015年2月17日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表にフェルナンド・マルティネス、レスリー・ナカル、オスカー・アングロと共にスペイン人として選出された事が発表された[7][8][9]。3月11日の第2戦に「8番 捕手」で先発出場し、2安打を記録している[10]。