プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
マックス・ヴェーバーの著作
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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(プロテスタンティズムのりんりとしほんしゅぎのせいしん、Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus; The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism[1])は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが1904年から1905年に発表した著作。
| プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus | ||
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ドイツ語初版本 | ||
| 著者 | マックス・ヴェーバー | |
| 発行日 | 1904, 1905; 1920 | |
| 発行元 | Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik | |
| ジャンル | 経済史・宗教社会学 | |
| 国 | ドイツ帝国 | |
| 言語 | ドイツ語 | |
| 形態 | 著作物、モノグラフ | |
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プロテスタントの戒律や価値観が西ヨーロッパでの近代資本主義形成と強い親和性を持っていたとする仮説を提出し、20世紀の社会学・宗教学に大きな影響を与えた[2]。
概要
本書は近代資本主義がなぜ西ヨーロッパで発達したのかを、宗教思想と経済活動との関係において説明しようとした著作である。一般に本書は、近代資本主義を単なる経済制度としてではなく、人々の価値観や生活態度に支えられた文化的・歴史的現象として分析した点に大きな特徴があると言われる[3]。
本書の中心的な主張は、とくにカルヴァン派をはじめとするプロテスタント諸派に見られた勤勉・節約・規律・職業への献身といった倫理が、「利益を継続的かつ合理的に追求することを正当な生き方とみなす精神」、すなわちヴェーバーのいう「資本主義の精神(der Geist des Kapitalismus; the spirit of capitalism)」の形成を後押ししたというものである[2][4]。彼によれば、宗教的な禁欲は浪費やぜいたくを戒める一方で、勤労によって得た利益を消費ではなく再投資へ向かわせる傾向を生み、それが近代資本主義の発展と親和的な関係を持ったという[5]。
ヴェーバーによれば、カトリックでは修道生活のような宗教的実践が重んじられることが多かったのに対し、カルヴァン派では日常の職業そのものを神から与えられた「天職・召命(Beruf, calling)」として誠実に果たすことが宗教的義務と理解されるようになった[3]。この考え方は、自らの生活を厳しく律することが神の教えにかなうことだとして計画的・合理的に仕事へ取り組む態度を促したため、これが近代資本主義の労働倫理と結び付いたのだとヴェーバーは論じた[3]。
ただし本書は「プロテスタントが資本主義を生み出した」と単純に主張しているわけではなく、ヴェーバー自身は、歴史は経済的要因だけでも宗教的要因だけでも説明できず、両者を含むさまざまな条件の相互作用として理解すべきであると明言している[3]。また本書の目的は、宗教思想と経済制度とのあいだに見られる歴史的な関連性を明らかにすることであり、一面的な因果論を提示することではないとも述べている[2]。
本書は刊行以来、多くの賛否両論を呼び起こした(⇒参照:後述「本書に対する批判」節)。現実の歴史的要素を概念的に組み合わせて検討する手法は多くの新しい研究を生み出した一方で、ヴェーバーによる統計処理の誤りや、神学的意味の解釈に残る欠陥に対する厳しい批判も相次いだ[3]。
しかし宗教・文化・経済を総合的に結び付けて近代社会を説明しようとした先駆的研究として、本書は現在でも社会学・宗教社会学・経済社会学の最重要古典の一つと評価されている[4][2]。
成立経緯

ヴェーバーは1890年代から長期の療養を余儀なくされていたが、1903年ごろから本格的な研究活動に復帰した。そして1904年に革新主義時代のアメリカを旅行したさいにプロテスタントの諸セクトや近代的組織の姿を観察したことが、本書の研究にも結びついているとされる[7]。
本書は最初から単著として刊行されたものではなく、1904年から1905年にかけてヴェーバーが共同編者をつとめる雑誌『社会科学および社会政策アルヒーフ』に2回に分けて掲載された[8]。ヴェーバーが最晩年に宗教社会学関連の著作を『宗教社会学論集』としてまとめたとき、本書がその中に含められたが、そのさいにヴェーバーは相当量の補筆・削除を行っている。そして彼が生前に最終稿を作り印刷へ回していたものが、ヴェーバー死後の1920年に刊行された[8]。
そのような経緯があるため、2016年にドイツで刊行された『マックス・ヴェーバー全集』第1部第18巻では、1920年版を最終稿とした上で、1904−05年初稿を異文として対照掲載し、さらにヴェーバー自身による加筆や修正履歴なども校注として示すという措置を取っている[9]。
全体構想
本書は、その後ヴェーバーが展開した世界宗教の比較研究へと接続され、最終的には『宗教社会学論集』全体の構想のなかに位置づけられた。[6]。本書につづいて教派(セクト)を扱い、さらに儒教やヒンドゥー教、古代ユダヤ教など様々な宗教の経済倫理を論じたうえで、ふたたび西欧社会との比較が行われる計画だったが、ヴェーバーの死によってキリスト教を含む比較研究の構想は実現しなかった。
現在残る刊行部分は『宗教社会学論集』3巻に以下の構成でまとめられている[10]。
- 序言
- プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神(本書)
- プロティスタンティズムの教派と資本主義の精神
- 世界宗教の経済倫理
- - 序論
- - 儒教と道教
- - 中間考察
- - ヒンドゥー教と仏教
- - 古代ユダヤ教
- - パリサイ人
本書の内容
第1章:問題
1:信仰と社会階層分化
まずヴェーバーは、世紀転換期のドイツ社会を見渡して次の疑問を提示する。富裕な実業家や、労働者でも教育水準の高い人々のあいだでプロテスタントの割合が高いように見えるのは、なぜだろうか。さかのぼれば宗教改革が始まった16世紀のドイツでも、やはり富裕な都市がプロテスタンティズムに接近する傾向が強かった。宗教改革当時のプロテスタンティズムはきわめて厳しい戒律と禁欲的な自己節制を信徒に要求していたのに、享楽にふける余裕があるはずの富裕な人々の間でそれが受け入れられたのは、なぜだろうか[11]。
これに対してヴェーバーは、次の仮説を提示する。つまり、禁欲的で信仰に熱心であることと、資本主義のもと営利に励むということとは決して対立せず、互いに親和関係(innere Verwandtschaft; intimate relationship)にあったのではないか、という仮説である[12]。
2:資本主義の「精神」

まずヴェーバーは禁欲と営利追求が両立していた例として、アメリカのベンジャミン・フランクリン『若き商人への助言』 (1748) などの文書に注目する[13]。
この文書でフランクリンは、信用のできる立派な人間になることが理想であって、さらに自分の利益を増やしてゆくことは義務であるという考えを繰りかえし表明している。彼にとって時間を無駄にすることや信用を失うこと、さらには利益を増やさないことは、単なる愚かさの表れではなく「自らの義務を忘れること」であり、決してやってはならないことである[14]。
ヴェーバーがフランクリンの文章で特に注目するのは、そうした自己節制と営利追求というものが自己目的化していることである。金を稼いで楽しむ、その楽しみのためにさらに金を稼ぐというサイクルではなく、働くこと・営利を追求すること自体が目的となっているのである[15]。
金儲けの追求そのものは人類とともに古く、中国にも、インドにも、バビロンにも、古代や中世にも等しく存在した。しかしヴェーバーによればフランクリンのような特有の精神は欠けていた[16]。
フランクリンは人生を通じて非常に計画的・合理的な生き方を送ろうとしており、彼の『助言』でもそれを繰りかえし奨励するが、ヴェーバーは、彼のような発想が個人の幸福という観点からみればきわめて非合理的だという。なぜなら普通なら人は自分の楽しみや生活のために働くのであって、労働のために労働があるのではない。ところが彼の思想は労働のために人間が存在していると主張するのに等しいからである[17]。
フランクリンのそのような態度をヴェーバーは、仕事というものを「天職 Beruf; calling」という義務として理解し、一種の理想主義的使命感を帯びた典型としてとらえる[18]。
ヴェーバーによるとこれは新しい独特な形の観念で、これこそが近代資本主義文化の社会に特徴的なものであり、またその根本的な基礎をなしている[19]。ヴェーバーはそれを資本主義の「精神 Ethos; Spirit」とよび、本書はこれの考察を行うのだと宣言する。
「そこには一つのエートス(Ethos) が表明されているのであって、このエートスこそがわれわれの関心をよび起こすのだ。[20]」
3:ルッターの天職観念

前節で示したような「天職」観念は、どこから生じたのだろうか。ヴェーバーは、宗教改革期にルッターが聖書のドイツ語翻訳事業の中で世俗的な意味での「職業・天職 Beruf」という言葉を初めて使用したと主張する(旧約聖書外典の一つ「ベン・シラの知恵」の翻訳)[21]。
世俗的な日常労働を尊重する態度そのものは中世・古代にも存在していたが、職業における義務の遂行を道徳的実践の最高の形として重視する観念は、ヴェーバーによるとルッターの翻訳においてまったく新しいものとして登場した。ヴェーバーによれば、この天職という観念、ひいては「現世に対する厳粛な関心」「世俗的生活を使命としてとらえる態度」が、以後のプロテスタントのあらゆる教派の中心的教義となってゆく[22]。
現在のドイツ語で Beruf は「職業」という意味で、中高ドイツ語 beruof(評判・名声)に遡る語だが、ルッターが聖書翻訳においてこれを「神からの召命(新約聖書に現れるギリシア語κλῆσις (klēsis) およびラテン語 vocatio)」の意味で用い、さらに世俗的な『身分・職務』を指す意味へ展開したとされる[23]。(そのため本書の英語訳では「calling(神のお召し・召命・召喚)」、代表的な日本語訳でも「天職」という訳語が当てられている。)
ただしルッター自身は、伝統的な職業観念を打ち破ることはできなかった。それが果たされるのは、彼以後に登場してくるプロテスタント諸派においてである[24]。これが第2章の考察内容となる。
(ここでヴェーバーは次節へ移る前に、以後の考察によってヴェーバーが主張するのは宗教改革によって資本主義が生み出されたということ「ではない」と読者に釘を刺し、慎重に問題を限定している。)
(資本主義精神が)「宗教改革の一定の影響の結末としてのみ発生しえたとか、また経済制度としての資本主義は宗教改革の産物だなどというような馬鹿げた教条的テーゼを、決して主張したりしてはならない。」[25]「われわれが確認しようとしているのは…問題の「精神」の質的形成と全世界にわたる量的拡大のうえに宗教の影響がはたして、またどの程度に与って力があったかということ、および資本主義を基盤とする文化のどのような具体的側面がそうした宗教の影響に帰着するのかということだけなのだ。[25]」
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
1:世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
ルッター以後に登場した禁欲的プロテスタンティズムの主な担い手には、次の4つがある。
- カルヴィニズム。16世紀に主にスイスで活躍したジャン・カルヴァンの神学を基礎とする一派。
- 敬虔派(パイエティズム)。17世紀後半にドイツのルター派教会で起こった運動。
- メソジスト派。18世紀イングランドでジョン・ウェスレーらの宗教復興運動から生まれた一派。
- 洗礼派運動の諸信団(ゼクテ)。16世紀スイス・ドイツ語圏で広まった急進的改革運動。
このうち本書の関心にとってもっとも重要なのは、ヴェーバーによれば16・17世紀に資本主義がもっとも高度に発達していた諸国(オランダ、イギリス、フランス)において活動を広げていたカルヴィニズムである。
カルヴァン『キリスト教綱要』(1536-1559) や、後世の改革派信仰を代表する『ウェストミンスター信仰告白』(1648) に示されているカルヴィニズム信仰の教説のうち、ヴェーバーが本書で特に重視するのが「予定説」である。
これはヴェーバーによれば、信徒が死後に救済されるかどうかを含めて全てを神がすでに決定しているとする教えで、その教えのもとでは神の意志を人間が推し量ることはできないし、逆に神に選ばれている人間がその選択をくつがえすことも許されない[26]。
ヴェーバーの対比によれば、カトリックにおいては一つ一つの善行がそれぞれ宗教的価値をもっていて、人は罪を犯せば司祭に告解して贖罪・償いを行い、教会などで償いの善行を積むことでそれを克服する。ところがカルヴィニズムの教説のもとでは、もはや教会による救済や慰めの手立て・典礼は意味をなさない。教会や牧師が信徒に何をしたところで、信徒の救済可否はすでに決まっているからである[27]
そこでヴェーバーは、信徒が「かつてない内面的孤独化 (inneren Vereinsamung; inner loneliness)」[27]を迎えることになるという。「信徒の一人びとりの胸には、私はいったい選ばれているのか、私はどうしたらこの選びの確信がえられるのか、というような疑問」が生じるからである[28]。
ヴェーバーによれば、そうした信徒が自己確信を獲得するための方法として教え込まれたのが、職業・労働に専念することだった。「職業によってのみ宗教上の疑念は追い払われ、救われているという確信が与えられる」のである[29]。
カルヴィニズムにおいては、この傾向が信徒の日常生活・暮らし全般を厳しく律する方向へ展開した。修道院のように現世と隔離された場所で修行・苦行を積むのではなく、あくまで世俗的な暮らしの中で禁欲を実践する、つまり「世俗内的禁欲 (innerweltliche Askese; worldly asceticism)」である。そこでは、「あらゆる時とあらゆる行為にわたって生活全体の意味を根本的に変革することによってのみ」、神からの恩恵のしるしを感じとることができるとされた。そのため現世での生活は徹底して合理化され、生活の組織化はほとんど事業経営に近い性格をもつものとなってゆく[30]。(このような方法的・合理的生活態度が、後に宗教的基盤を失った形で上述のフランクリンの文書にあらわれる[31]。)
つまりカルヴィニズムの予定説が禁欲的な生活をうながし、それがさらに生活の合理化へとすすんでいった。ヴェーバーはそのように主張した[32]。
「この禁欲的な生活のスタイルは…神の意志に合わせて全存在を合理的に形成するということを意味した。しかも、この禁欲は…救いの確信をえようとする者すべてに要求される行為だった。…このような、来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化、これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ。[32]」
2:禁欲と資本主義精神

ヴェーバーによれば、カルヴィニズムは前節で述べたように人々の日常の暮らしに禁欲的態度を持ち込み、生活を合理化・組織化する強い原動力となったが、それに加えて消費を抑制し、その結果として資本蓄積を促すという思いもつかない帰結をみちびくことになった。
ヴェーバーはカルヴァン派から派生したイギリスのピューリタニズムの思想を検討しながら、このパラドックスが生じたプロセスをたどってみせる。
ヴェーバーが典型例として検討するのは、ピューリタニズムの代表的な牧師・神学者だったリチャード・バックスターである。彼はその著作で「禁欲の手段としての労働」を説いている。彼にとっては、時間の浪費や私的な欲望・怠惰がもっとも重い罪となる。それは定められた神の意志を裏切ることだからである。怠惰や肉欲を追い払う手段として、人々は労働に専心せねばならない。「神の摂理によってだれにも差別なく天職である一つの職業がそなえられていて…それにおいて働かねばならない」[33]。
ここからさらにバックスターは、人々はそれぞれがもつ財産に対して義務を負っており、それを神の代わりに管理している以上、その財産を神の栄光のために維持し増やしてゆくことは信徒の責任だ、と説く[34]。ヴェーバーによれば、禁欲的倫理と天職観念はそのような論理を経て、最終的に現世の利益追求を積極的に奨励する教えへと展開してゆく[34]。
こうしてピューリタニズムに代表されるプロテスタンティズムは、厳しい世俗的禁欲を求めるという教えそのものの延長上に、世俗的な利益の獲得と増進を、伝統的な障害(金を稼ぐことへの忌避感・蔑視など)からついに解き放ったのである[34]。
これがもたらした帰結は大きかった。ヴェーバーによれば、オランダは厳格なカルヴィニズムの支配が7年間にすぎなかったにもかかわらず、人々が質素な生活に甘んじ、またイギリスのように貴族的な奢侈・浪費に向かわなかったために、きわめて巨大な資本蓄積が行われたという[35]。
「ピュウリタニズムの人生観は…どのようなばあいにも、市民的な、経済的に合理的な生活態度へ向かおうとする傾向…に対して有利に作用した。そして、そうした生活態度のもっとも重要な、いや唯一の首尾一貫した担い手となった。ピュウリタニズムの人生観は近代の「経済人 (des modernen "Wirtschaftsmensch"; the modern economic man)」の揺籃をまもったのだった。[36]」
また、こうした心理的起動力は、人々に救いを求めるための手段としての労働を強力にうながす一方で、企業家たちに対しても、そうした労働意欲の搾取を合法化することになるが、こうした教えが「資本主義的な意味での労働の「生産性」をいかに強く促進せずにいなかったかはまったく明瞭だろう」[37]。
かくして本書の議論を総括する一文として、次の一句が書かれることになる。
「近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、天職理念を土台とした合理的生活態度は…キリスト教的禁欲の精神から生まれ出たのだった。[38]」
末尾でヴェーバーは、ここまで述べたような展開が現代世界にもたらす帰結についても、次のような悲劇的な予言を書き記す。
ピューリタンにとって、上述のような厳しい禁欲的な倫理観・職業観は自らのぞんだものだったが、宗教が力をもたなくなった現在でも、資本主義的秩序のもとに生きるわれわれは、同様の働き方を強制されることになった。それは一種の「強力な秩序界(コスモス)」であって、誰もここから逃れることはできないからである[39]。
「そして、この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人— 直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく ─ の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう。」(身体以外のものは本来すぐ脱げるような外衣にすぎなかったはずなのに)「…運命は不幸にもこの外衣を鋼鉄のように堅い檻(ein stahlhartes Gehäuse; an iron cage)としてしまった。[39]」
「鉄の檻」の訳語

本書の末尾に登場する「鉄の檻」という表現は〈資本主義経済に支配された近代社会の網の目から人々はもはや逃れることはできない〉という強いイメージを喚起するものとして、本書でもっとも有名な箇所のひとつである。
ただしこの表現については、若干の論争がある。まず1988年に刊行された大塚久雄訳で「鋼鉄のように堅い檻」と訳されている部分は、原語では "ein stahlhartes Gehäuse"(鋼鉄のように堅い筐体・外殻)であって「檻」ではない。これは著名な社会学者タルコット・パーソンズによる英訳が1930年に刊行されたさい、彼がこの言葉を "iron cage"(鋼鉄の檻)と翻訳したことを踏まえている(1938年の梶山力訳では「鉄のように堅い外枠」[40])。パーソンズ自身も英訳ではこの箇所にドイツ語の原語を並記しており、意訳であることを自覚していたとされる[41]。
しかしヴェーバーの文脈でこの言葉は、バックスターが現世の財・富などというものが信徒にとって「いつでも脱ぎ捨てることのできる軽い外衣」であるべきだと説いたことを踏まえて用いられている[39]。つまり本来は身にまとうものであり脱ぎ去ることができるはずのものが、歴史の運命によって逃れられない堅い殻のようなものとして身体に一体化してしまった、という指摘である。
そのためハルムート・ティレルやトーマス・エルトマンなどのヴェーバー研究者は、ここを「檻」というトーンにまとめてしまった英訳状況には問題があり、これが有名になりすぎたためにヴェーバーを過度に悲観的に見せている、と批判した[42][43]。
またフリードリッヒ・テンブルックは1970年代に、ヴェーバーの業績の核心は『世界宗教の経済倫理』だとして、この「鉄の檻」のイメージで本書を代表させるそれまでのヴェーバー理解に転換をうながしている[44]。
ただ一方で、ヴェーバーはその後まとめた『宗教社会学論集』の序言においても、現代社会が「専門教育を受けた官僚組織という硬い殻(Gehäuse)」の中に「逃れがたく閉じ込められている」と述べており[6][45]、「殻(Gehäuse)」という表現が、現代社会の本質を機械的・システム的な拘束とみなすヴェーバーの視点の一面を表していることは確かである。
引用
- 今日の資本主義経済は、一つの巨大なコスモスとなっている。その中へ個人は生まれ落ちるのであり、このコスモスは、少なくとも個人にとっては、自らがその中で生きなければならない変更不可能な秩序として立ち現れる。市場関係の体系の中に組み込まれているかぎり、この秩序は個人に対し、資本主義的な行為規範に従うことを強制する。これらの規範に長期的に逆らう企業家は、経済の舞台から必然的に退場させられる。また、それらに適応できない、あるいは適応しようとしない労働者も、仕事を失って街頭へ放り出されることになる[46]。
- …資本主義の「精神」が、何はさておき遭遇しなければならなかった闘争の敵は、ほかならぬ伝統主義とも名づくべき感覚と行動の様式であった[47]。
- 人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。近代資本主義が、人間労働の集約度を高めることによってその「生産性」を引き上げるという仕事を始めたとき、至る所でこのうえもなく頑強に妨害しつづけたのは、資本主義以前の経済労働のこうした基調(ライトモチーフ)だった[48]。
- 近代資本主義の拡大の原動力はなにかという問題は、まずもって資本主義的に利用しうる貨幣が何処から来たかではなくて、むしろ何にもまして資本主義精神の展開ということなのである[49]。
- …経済生活における新しい精神の貫徹という、外観上は目立たないが、しかしこうした決定的な転換を生み出したのは、通常、経済史上どの時代にも見られる命知らずの厚顔な投機屋や冒険者たち、あるいは端的に「大富豪」などではなくて、むしろ厳格な生活のしつけのもとで成長し、厳密に市民的な物の見方と「原則」を身につけて熟慮と断行を兼ねそなえ、とりわけ醒めた目でまたたゆみなく綿密に、また徹底的に物事に打ちこんでいくような人々だったのだ[50]。
- …われわれは、宗教改革の文化的影響の多くが…改革者たちの事業から生じた、予期されない、いや全然意図されなかった結果であり、しばしば、彼ら自身の念頭にあったものとは遥かにかけはなれた、あるいはむしろ正反対のものだった[51]。
- 禁欲が世俗を改造し、世俗の内部で成果をあげようと試みているうちに、世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ[39]。
本書に対する批判
歴史的整合性への批判

最も古典的かつ影響力の大きな批判は、近代資本主義の萌芽は宗教改革以前からイタリア北部やフランドルなどですでに観察されており、プロテスタント倫理を主要因とする説明は歴史的事実と整合しないというものである[53][5]。
この立場はヴェーバー存命中からヴェルナー・ゾンバルトやルヨ・ブレンターノによって主張され[53][52]、ヴェーバーの没後もファンファーニらによって批判は継続した[54]。20世紀中葉の代表的批判としてカート・サミュエルソンの1957年の研究がある。彼は商業資本・金融・企業経営・複式簿記など近代資本主義の主要制度は宗教改革以前に成立しており、ヴェーバーは歴史的因果関係を誇張したと論じた[55]。また、ヴェーバー説を支持する証拠には選択バイアスが多いとも批判している[55]。
ただし上述「本書の内容」節で触れているとおり、ヴェーバーは本書において、宗教改革が資本主義そのものを生み出したという単純な因果関係を主張しているのではないと明言している。そのためゾンバルトらの批判に対してはヴェーバー自身による激しい反論が行われている[53]。
教義理解への批判
第二の主要批判は、ヴェーバーは実際のカルヴァン派神学やピューリタンの信仰生活を単純化しすぎているというものである[4]。ヴェーバーは、予定説・救済不安・勤労・禁欲などを一本の心理的連鎖として説明したが、多くの宗教史研究者は、この図式は史料上十分裏付けられないと指摘した[5]。
この系統の議論を代表するものとして、デヴィッド・リトルによる批判がある。リトルは、それまでの論争を総括したうえで、批判者たちは一貫してヴェーバーがピューリタン信仰の原因・内容・社会的意味を正確に把握していないと主張してきたことを整理している[56]。
今日では、理念型的構成として理解し、実証的な宗教史記述と単純に同一視すべきでないという解釈も有力である[5]。
論証手法への批判
第三の中心的批判は、ヴェーバーの仮説が経験的・統計的に十分検証されていないというものである[5]。
代表的な研究としてドラクロワらの検討では、十九世紀ヨーロッパのデータを分析した結果、プロテスタント比率と工業資本主義との間に統計的な対応関係は認められなかったと報告している[57]。また、この問題を総括した研究では、支持・反証の双方とも決定的証拠を提示できていないことが指摘されている[3]。
この系統の批判は、現代社会科学においては「ヴェーバーの議論は重要な歴史的仮説ではあるが、一般法則として実証されたわけではない」という評価につながっている[4]。
東アジアの経済発展とヴェーバー・テーゼ

本書発表当時から始まっていた前節のような批判に加えて、通俗化された強い意味での『ヴェーバー・テーゼ』を再検討する重要な契機となったのが、日本・中国を初めとする東アジアの経済的成功である[59]。
上述の通り本書の中心的主張は、近世西ヨーロッパにおいては禁欲的プロテスタンティズムが労働を宗教的使命として遂行し、消費を抑えて利潤を再投資する「資本主義の精神」の形成に重要な役割を果たしたとするものだった[60]。
そのため1960年代以降、日本などの東アジア諸国がプロテスタントを支配的宗教としないまま高度経済成長を実現すると、「近代資本主義はプロテスタント倫理によってのみ成立する」という強い意味でのヴェーバー理解に対する批判が現れることになった。アメリカの宗教社会学者ロバート・N・ベラーは日本やアジアの経験を踏まえ、ヴェーバーの比較宗教社会学的方法を日本に応用し、プロテスタンティズム以外にも近代化に機能的に類似する宗教倫理がありうることを示した[61]。
同様にインドネシアの社会学者サイード・フセイン・アラタス [英語版] は東南アジアの事例を検討し、ヴェーバーの議論はプロテスタント以外の宗教と経済活動との関係にも適用可能であり、資本主義的行動をプロテスタントだけに結び付ける理解は妥当ではないと批判した[62]。
その後も日本につづいて韓国・台湾・香港・シンガポールなどで経済発展がつづいたことを受けて、「儒教資本主義(Confucian capitalism)」という考え方が提唱された[63]。この立場では、教育重視、勤勉、自己規律、家族責任、貯蓄、組織への忠誠といった儒教的価値が、プロテスタント倫理とは異なる形で資本主義的発展を支えた可能性が論じられている[58]。
そして中国が改革開放以降に達成した急速な経済成長も、儒教文化圏において高度な市場経済と資本蓄積が実現した例として、ヴェーバーの中国論を再検討する契機となった[64]。
しかし日本・中国などの経済的成功によってヴェーバーの議論全体が否定されたと考える研究者は多くない[65]。現在では、ヴェーバーが説明しようとしたのは「なぜ近代資本主義が最初に西ヨーロッパで成立したのか」という歴史問題であり、「その後に非西欧社会が資本主義を導入・発展させられるか」という問題とは区別すべきである、という解釈が有力である[65]。そのため日本や中国の成功は、プロテスタント倫理が近代資本主義の普遍的・不可欠な条件であるという理解には修正を迫る一方で、近世ヨーロッパにおいて禁欲的プロテスタンティズムが歴史的役割を果たしたという限定的命題まで直ちに反証するものではないと考えられている[65]。
また上述「本書の内容」で触れているようにヴェーバーは、プロテスタンティズムを近代資本主義成立の唯一の原因とする単線的な因果関係を否定しており、日本や中国の経済発展は、単純化された通俗的「ヴェーバー・テーゼ」への反証にはなるが、ヴェーバー本人の示した命題を直接反証するものではないとも言われる[65]。
現在の比較宗教社会学や経済社会学では、ヴェーバーの問いそのものを維持したうえで、「どの宗教が資本主義を生むか」という単線的な説明ではなく、異なる文明・宗教・文化が、それぞれどのような倫理を通じて市場経済や企業活動を支えるのかを比較する研究へと発展している[65]。
日本での受容
戦前期
日本人では、1886年(明治19年)にハイデルベルク大学へ留学した法学者の金井延が、一歳年上のヴェーバー本人と交流をもったという[66]。1906年(明治39年)に福田徳三が学会誌でヴェーバーの業績について短い報告を行ったのち、1910年(明治43年)に京都帝国大学の河田嗣郞が刊行した『資本主義精神』が日本語での最初の本格的なヴェーバー紹介となった[67]。
1920年代から日本とドイツの交流が活発になり、またエミール・レーデラーやクルト・ジンガー、カール・レーヴィットなど日本に長期滞在するドイツ知識人があらわれると、ヴェーバーへの注目度が急速に高まってゆく。三木清が『社会科学概論』で「理念型」の研究に取り組んでいるほか、法哲学者の尾高朝雄、羽仁五郎、本多謙三らがヴェーバー社会学の摂取をすすめ、1930年代までには主要業績の多くも翻訳された[68]。アメリカでは第二次大戦終結までに刊行された英訳が『経済史』(1927)と本書(1930)の二冊にすぎなかったのに較べて、日本での関心の高さは際立っている[68]。
このように日本で急速にヴェーバーへの関心が高まった理由は、日本でのヴェーバー受容史を詳細に研究したシュヴェントゥカーによると、日本での国粋主義の進展とともに「なぜ中国ではなく、ほかならぬ日本が西洋の資本主義を比較的短期間に摂取し得たのか、という問い」が日本の知識人をとらえるようになり、ヴェーバーがその理論を提供していると考えられたためだった[69][70]。
そのため戦前期はおおむねヴェーバーの経済史家としての業績に関心が集中し、それに付随して社会科学の方法論をめぐる研究がすすむ一方で、宗教社会学の領域への関心は深まらず、阿部勇が本書について1920年代末に短い論考を残すにとどまった[71]。本書の最初の邦訳は1938年である[72]。
大塚久雄の主導

戦争終結後の本書の受容で中心的な役割を果たした1人が、経済史家の大塚久雄である。1927年に東京帝国大学経済学部に進学した大塚は、そこで師事した本位田祥男からルヨ・ブレンターノのヴェーバー批判に触れたほか、当時ドイツ人講師として在籍していたクルト・ジンガーからも学んでいる[74]。
1937年、軍部・政府からの圧力のもと東京帝大経済学部が矢内原忠雄の辞職・大内兵衛の休職などによって壊滅状態となると、帝大卒業後に法政大学で講師をつとめていた大塚がここに迎えられていた。大塚はこの時期から本書へ注目しており、太平洋戦争が始まったのちの論文「経済倫理の実践的構造」(1942)では、本書の「エートス」論を詳細に論じている。齋藤英里によればこの論文で大塚は仮定的な表現をもちいて体制とは距離を置くと共に、「エートス」が西欧近代の生産力の背景となったという本書の中心的主張を探求することで、迂回的に当時の体制への抵抗を示そうとした[75]。
敗戦後の大塚は、専門であるイギリス経済史とともにヴェーバーの研究を進めた。ヴェーバーの著作の中でも本書は大塚にとって重要な位置を占め、戦後まもない1946年に発表した論考では、本書で重要な位置を占める合理化、とりわけ宗教からの呪術的要素の排除(脱魔術化)についての記述を下敷きにしながら、前近代的な日本の伝統を脱却して「近代的人間類型の創造」が不可欠だと説いた[76]。
つまり敗戦によって突きつけられた日本社会の遅れ・前近代性を克服するためには「合理的・近代的な自立した市民」が必要だとする問題意識から、それが生み出されるプロセスを本書の中にさぐろうとする読解だった[77]。
また近代資本主義の担い手が大銀行家や企業家ではなく中層の商人・農民らであったとする本書の主張は、「ヨーマン(独立自営農民)」を重視する大塚のイギリス経済史研究にとっても適合的だったと言われる[78]。
戦後日本の社会科学で大塚が大きな存在となり、またその著作が一般市民にも広く読まれたことから、近代を起動したエートスという解釈は本書に対するスタンダードな理解となってゆく[79]。
大塚と並んで大きな位置を占めた丸山眞男は直接にヴェーバー研究者ではなかったが、やはり本書から重要な示唆を受けたとされ、敗戦後まもない1946年には、学生新聞からの何を読むべきかという問いに答えて本書を推薦している[80]。また法社会学の川島武宣も、『日本社会の家族的構成』1946などにおいて本書やヴェーバーのアジア研究から影響を受けていると言われる[81]。
文献批判の深化・研究の国際化
大塚の強い影響下に、やや年下の住谷一彦、内田芳明、安藤英治らも1950年代から本格的なヴェーバー研究を開始している。本書がその一部をなす宗教社会学の著作も翻訳またはドイツ語版の国内リプリントが進められ、1960年代には日本国内でヴェーバーの重要な業績はほぼすべて入手可能となった[82]。
とくに安藤英治は大塚の「エートス」論につづいて「カリスマ」概念を本格的に日本へ紹介し、さらに本書が最初に公開されたときの版と1920年版との詳細な比較を行って、これは世界的にみてもヴェーバー文献批判として先駆的な業績となった[83]。
安藤は戦時中にヴェーバーと出会ったときの衝撃を「カルチャー・ショック」だったと表現し、大塚と同様に日本社会、とくに天皇制を理解するための鍵を本書を中心とするヴェーバーの業績に見て取ったという[84]。
1964年には大塚らの呼びかけでヴェーバーをテーマとするシンポジウムが東京大学で開催され[85]、1972年には大塚・内田・丸山らが「ヴェーバーの会」を発足している[86]。またこの時期にはヴェーバー伝記の翻訳もすすんだ。これらの活発な活動によって、本書は一般メディアでも言及されるようになり広く読まれてゆく[79]。
1980年代頃からは折原浩、中村貞二らが厳密な校訂批評にもとづく新しいヴェーバー研究を開始しているほか、牧野雅彦らによるヴェーバー政治思想の研究も進んだ。
近代主義批判と研究の多様化

1990年代後半以降、様々な領域で「近代化」に対する懐疑の声があがるようになると、「近代主義と発展の秘密を解き明かしたヴェーバー」という従来の本書への理解も批判にさらされるようになった。
哲学者の三島憲一が国際シンポジウム(2001)で、日本の研究者がヴェーバーの著作から近代社会の規範となるモデルを選択的に読み取り、彼の著作に含まれている世界の非合理性に対する視点を見落としてきたと主張したほか[88]、国際的にはすでに始まっていた、本書におけるヴェーバーの史料操作手法に対する批判も日本へ導入されるようになった[89]。
近代主義的なヴェーバー理解を強く批判した研究者の一人が、社会学者の山之内靖で、彼は大塚門下として出発したが次第に大塚流のヴェーバー解釈から遠ざかり、とくにニーチェを視野に入れることで「近代批判者としてのヴェーバー」の姿を描き出そうとした[90]。
山之内は従来の日本で本書が「西欧近代の合理化過程を賛美する書物だと読まれてきた」のは「読者の側の主観的欲望」にすぎず、ヴェーバーの本来の意図とは「まったくのすれ違い」になっていると主張した[91]。
山之内によれば本書の主題は、純粋に宗教的な意味しか持っていなかった教説・言説が、説教者たちの意図を越えたかたちで経済行為に影響を及ぼすというプロセスをたどることにあった[92]。そして山之内は、近代的な従来賞賛されてきた合理的・計画的な人間像が、古い伝統からの人間の解放を導く一方で、鋼鉄の檻のような厳格な官僚的秩序の中に人間を封じ込めることになってしまった、そうした「予期せざる結果」を描くことがヴェーバーが本書を書いた意図だったと述べる。山之内にとって本書のヴェーバーは、「宗教改革の精神によって支えられた社会的なエートスの中から、資本主義という支配と搾取の機構が生まれてきた」というパラドックスを描こうとした思想家だった[93]。
この観点からは、本書がヨーロッパ近代の合理性を賛美したという読み方は「およそ、ヴェーバーの真意にそぐわない」ものとなる[94]。山之内はそのように述べて、本書に対する大塚の解釈が「歴史の根源的な不確実性、運命性に対する感受性が欠けて」いると厳しく批判している[95]。
2000年代以降は従来の日本型ヴェーバー理解に対する反省・批判に加えて[96]、原資料の文献踏査にもとづく本書の議論の再検討も進められた。本書の翻訳は長く読まれてきた戦前の梶山力訳・80年代の大塚訳に加えて、新しい翻訳が複数刊行された[97]。橋本努など戦後生まれの研究者も本書の読解に新しい視点を取り入れ、さらにフーコーやアガンベンとの比較を試みるなど研究の多様化が進んでいる[98]。
そのほか
- 本書の題名は、しばしば『プロ倫』と略称される[99]。
- 1997年に国際社会学会が会員を対象に実施した「20世紀に社会学者へ最も大きな影響を与えた本」の調査では、本書はヴェーバーの『経済と社会』、C・ライト・ミルズの『社会学的想像力』、ロバート・K・マートンの『社会理論と社会構造』に次ぐ第4位に選ばれた[100]。
- 羽入辰郎は『マックス・ヴェーバーの犯罪』において、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での記述の資料引用の恣意性や手抜きを指摘し、「『プロ倫』はでっち上げであり、ヴェーバーは詐欺師である」と激しく批判した[101]。この著書によって羽入は山本七平賞を受賞した。ヴェーバー研究者の折原浩はこれに対して、羽入の指摘自体に多くの錯誤があるなどの問題点を指摘し、「学術書ならぬキワモノ本」と強い批判を加え、『ヴェーバー学のすすめ』をはじめ[102]とする複数の反論書を出版した。