ヘンリー・ハドリー
From Wikipedia, the free encyclopedia
ボストンのニューイングランド音楽院でチャドウィックに作曲を師事した後、1894年から2年間ウィーンにおいて、ブラームスの秘書でハイドン研究家のオイゼビウス・マンディチェフスキに音楽学を師事した。1896年から1904年までロングアイランドで教会オルガニストを務めた後、ミュンヘンにおいてルートヴィヒ・トゥイレに作曲を師事。1909年に帰国してすぐシアトル交響楽団の指揮者に、その後は1911年から1915年まで、創設まもないサンフランシスコ交響楽団の指揮者に任命されるが、1915年からは作曲活動に専念した。1920年から1927年までニューヨーク・フィルハーモニー協会を、1929年から1932年まで自ら創設したマンハッタン交響楽団を指揮。後者では、アメリカ人作曲家の作品を集中的に取り上げた。この間、世界各地で指揮者として客演しており、1930年には来日して現在のN響を指揮し、大成功を収めた。新交響楽団(N響の前身)では10月5日の演奏会で自作「堕天使」を日本初演している。1924年よりアメリカ文芸アカデミー会員。1937年に癌のため他界。
