沔州 (湖北省)
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魏晋南北朝時代
隋代
唐代の沔州
唐代以降の復州と沔陽州
622年(武徳5年)、唐により沔陽郡は復州と改められた。742年(天宝元年)、復州は竟陵郡と改称された。758年(乾元元年)、竟陵郡は復州の称にもどされた。復州は山南東道に属し、竟陵・沔陽・監利の3県を管轄した[4]。
宋のとき、復州は荊湖北路に属し、景陵・玉沙の2県を管轄した[5]。
1276年(至元13年)、元により復州は復州路と改められた。1278年(至元15年)、復州路は沔陽府と改められた。沔陽府は河南江北等処行中書省に属し、玉沙・景陵の2県を管轄した[6]。
1376年(洪武9年)、明により沔陽府は沔陽州に降格したが、玉沙県は廃止され、沔陽州に編入された。沔陽州は承天府に属し、景陵県1県を管轄した[7]。