ホセ・オスカル・フローレス
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ホセ・オスカル・フローレス・ブリンガス José Oscar Flores Bringas | |||||
| 愛称 | エル・トゥル | |||||
| ラテン文字 | José Oscar Flores | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1971年5月16日(54歳) | |||||
| 出身地 | ブエノスアイレス | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW (CF) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1990-1996 |
| 153 | (45) | |||
| 1996-1998 |
| 68 | (35) | |||
| 1998-2002 |
| 84 | (22) | |||
| 2001-2002 |
→ | 8 | (1) | |||
| 2002-2003 |
| 12 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 22 | (3) | |||
| 2004-2005 |
| 19 | (4) | |||
| 2006 |
| 15 | (6) | |||
| 2007 |
| 0 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1994 |
| 2 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2014 |
| |||||
| 2015 |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ホセ・オスカル・フローレス・ブリンガス(José Oscar Flores Bringas, 1971年5月16日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手。現サッカー指導者。
母国のCAベレス・サルスフィエルドでプロキャリアを始め、1990年代のクラブの黄金時代を過ごし7つのタイトルを獲得した。UDラス・パルマス, プリメーラ・ディビシオンのデポルティーボ・ラ・コルーニャ等のクラブに所属し、スペインでの8年の間にリーグ戦194試合61得点を記録した。また、アルゼンチン代表で2試合に出場している。
ブエノスアイレスで生まれたフローレスは、1990年にCAベレス・サルスフィエルドでキャリアを始め、1990年代半ばのクラブの黄金時代で大きな役割を果たした。在籍中は、リーグ優勝3回, コパ・リベルタドーレス, インターコンチネンタルカップ, コパ・インテラメリカーナ, スーペルコパ・スダメリカーナを獲得。自身は、1994年にアルゼンチン代表デビューをし、1995クラウスーラで得点王に輝いた。
1996年、スペイン2部のUDラス・パルマスに当時のクラブ記録となる移籍金550万ペセタで加入。2シーズン目の1997-98シーズンは21ゴールを記録し昇降格プレーオフ進出に貢献するも、レアル・オビエドに2試合合計3-4で敗れ1部昇格は叶わなかった。
翌シーズン、同僚のマヌエル・パブロと共に1部のデポルティーボ・ラ・コルーニャに参加。2000年にポルトガル代表のペドロ・パウレタやオランダ代表のロイ・マカーイとコンビを組み、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。
その後、フローレスはレアル・バリャドリード, RCDマヨルカ, 2部のシウダ・デ・ムルシアを渡り歩くも影響を与えることが出来ず、2004年に母国アルゼンチンに帰りCAインデペンディエンテと契約した。
2006年に2部のCAアルドシビと契約。2007年3月、ノルウェーのFKリンに同胞のマティアス・アルメイダと共に移籍[1][2]し、6月に現役引退した。リンでは、ノルウェーカップ1回戦に45分出場しただけだった[3]。
指導者
2009年、フローレスはリカルド・ガレカ監督率いるCAベレス・サルスフィエルドのアシスタントに任命され、古巣に復帰した[4]。