ホセ・ボナパルテ

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José Fernando Bonaparte
ホセ・ボナパルテ
1964年撮影
生誕 José Fernando Bonaparte
(1928-06-14) 1928年6月14日
アルゼンチンの旗 アルゼンチン サンタフェ州 ロサリオ
死没 (2020-02-18) 2020年2月18日(91歳没)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス州 メルセデス
研究分野 古生物学
プロジェクト:人物伝
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ホセ・フェルナンド・ボナパルテスペイン語: José Fernando Bonaparte1928年[注 1]6月14日 - 2020年2月18日)は、アルゼンチン古生物学者であり、多数の南米産恐竜を発見しアルゼンチンにおける新世代の古生物学者たちを指導した。古生物学者のピーター・ドッドソンは彼に関してこう記述したことがある:”ほとんど独力で…恐竜の種類数においてアルゼンチンを世界で6番目の産出国に伸し上げた”[2][3]

ボナパルテは行商人エクトル・エリアスとスペイン系移民のマルガリータの次男として生まれた。ドイツ系アメリカ人の曽祖父エドガー(のちにウィリアム、ギリェルモ。Frederick Augustus de Zengの子)が船員としてアルゼンチンに渡って帰化した際にボナパルテ姓を名乗ったとされ、ナポレオンボナパルト家と特に関係はない[1]。アルゼンチン・サンタフェ州のロサリオで生まれ、ブエノスアイレス州のメルセデスで育った。小学校もまともに卒業できなかったと伝えられるが[4]、幼い頃から独学で古生物学を学び、かつて18世紀にメガテリウムの化石が発見された地点でもあるルハン川 (Luján River) 河岸で化石を採集していた[5]。多くの友人と共に化石を収集し、それらの化石標本を基として19歳の時(1947年10月)有志と共に "カルロス・アメギノ人民自然科学博物館 (Museo Popular de Ciencias Naturales Carlos Ameghino)" をメルセデスに設立した[6]。博物館の名前はフロレンティーノ・アメギノの弟で共同研究者でもあったカルロス・アメギノ (Carlos Ameghino) の名からとられている。設立当初は標本数も少なく、社会党の ”人民の家” の2階に間借りしていた。この博物館はその後市立博物館となり、今に続いている[7]

ボナパルテはトゥクマン国立大学 (National University of Tucumán) とハーバード大学で地史学・古生物学・比較解剖学を学んだ[5]。彼のキャリアはトゥクマン大の技術者として始まり、同大の O. A. Reig により研究者に転向することを促された[4]。トゥクマン国立大学で Reig(地史学・古生物学)と Konstantin Gavrilov(比較解剖学)の無料講座を履修し、ハーバード大学では、エルンスト・マイヤー(進化論)、アルフレッド・ローマー(原始的脊椎動物)などの教えを受けている[5]。1959年、トゥクマン国立大学のミゲル・リジョ財団 (Fundación Miguel Lillo) に加わり、1960年から1979年まで古脊椎動物部門の所長を、1975年から1979年までは教授も務めた[8]。1978年からブエノスアイレスのアルゼンチン自然科学博物館 (Museo Argentino de Ciencias Naturales) に移りそこで上級研究員となったが、1980年から1984年までトゥクマンでの授業は続けた[8]

1974年にトゥクマン国立大学から名誉博士を授与され[8]、その後2011年にはコマウェ国立大学 (National University of Comahue) からも名誉学位を与えられた[9]。ボナパルテはグッゲンハイム・フェローを都合2回受賞し[10]、1970年代以降はナショナル ジオグラフィック協会から定期的に資金提供を得ている[2]。伝えられるところによると、彼は仕事熱心で頑強で強い個性を持っており、時には激情的ですらあった[11]

ボナパルテの最後の論文は2017年、89歳の誕生日を迎えた1週間後に発表された[4]。彼は2020年2月18日の明け方に眠ったまま91歳で亡くなった[12]

経歴

南半球多様性の発見

1975年から1977年にかけて、ボナパルテは Martín Vince や Juan C. Leal らと "El Brete" 農場においてサルタサウルスの発掘に従事した[13]。共著者の Jaime Powell と共にサルタサウルスを研究し生前には皮骨板として知られる装甲で覆われていたとした。この発見を基にさらに南米で発見された20点の Kritosaurus australis 標本と1点のランベオサウルス亜科恐竜標本と合わせて、ボナパルテは中生代の終わりの両アメリカ大陸間で大規模な種の移動があったという仮説を立てた[14]。ボナパルテはまたアベリサウルス科というクレードを提案し、これはケラトサウルス類の1グループで白亜紀を通してゴンドワナ大陸で支配的な肉食動物だった[15]

パンゲア超大陸ジュラ紀に北方のローラシア大陸と南方のゴンドワナ大陸に分裂した。白亜紀に入ると南アメリカ大陸はゴンドワナ大陸の残りの部分から引き離された。この分裂により北方の生物相と南方の生物相に相違が見られるようになり、南方の動物たちは北方の動物相を見慣れたものにとっては奇妙に映るようになった。ボナパルテの発見はこの相違を説明し、それを受けてロバート・バッカーは彼に「中生代の達人」というあだ名をつけた[16]

発見

研究法

脚注

外部リンク

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