ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド

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本名 ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド
愛称 ホベ
ラテン文字 ROBERTO Julio de Figueiredo
ホベルト
名前
本名 ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド
愛称 ホベ
ラテン文字 ROBERTO Julio de Figueiredo
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1979-02-20) 1979年2月20日(46歳)
出身地 パラナ州マリンガ[1]
身長 180cm[2]
体重 77kg[2]
選手情報
ポジション MF[3]
利き足 右足[3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2003 ブラジルの旗 ポンチプレッタ 106 (0)
2004-2007 日本の旗 アビスパ福岡 97 (5)
2007-2009 日本の旗 大分トリニータ 45 (1)
2009 日本の旗 サガン鳥栖 13 (1)
2010 日本の旗 横浜FC 20 (1)
2011 日本の旗 FC東京 1 (0)
2012 日本の旗 横浜FC 2 (0)
通算 284 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホベルトことホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド(Roberto Julio de Figueiredo, 1979年2月20日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)

AAポンチ・プレッタでプロキャリアをスタート。

2004年アビスパ福岡へ加入し[4]、豊富な運動量と気迫溢れるプレーで中盤を掌握[5]2005年は度々キャプテンマークを巻いて試合に臨み、J2準優勝及びJ1昇格に貢献した。2006年は正式にクラブ初となる外国人キャプテンを務めた[6][7]2007年も福岡との契約を結び[7]、2月に発表された同年の新体制にも選手として名を連ねていたが[8]、新監督のピエール・リトバルスキーは、キャンプにおいて「(福岡には)左サイドバックをできる日本人選手がいない」と判断し[9]、急遽新外国籍選手の獲得を決め、外国籍選手枠に空きを作るために[9] ホベルトを放出[10]。登録を抹消された[11](この後、オーストラリア人[注 1] DFアルビン・チェッコリを獲得[9])。帰国時には福岡空港に退団を惜しむ100人以上のサポーターが詰め掛け、福岡での人気の高さを示した[6]。その後は無所属のままブラジルで調整を続けていた[7]

2007年7月、守備再建を図る[7]大分トリニータへ加入。MFエジミウソンとボランチでコンビを組み、対人の強さを発揮[12]。ブランクを感じさせず中盤の底からチームを引っ張った[3]。2008年には優れた危険察知とバイタルエリアのスペース管理で[13] バランスの取れるハードワーカーとして[14] チームを統率し[15]、エジミウソンと共に堅守を構築した[13][16]同年のナビスコ杯ではMVP級の働きで[16] クラブ初タイトル獲得に大きく貢献。

2009年も好プレーを見せていたが、同年4月のJ1第6節神戸戦において右膝内側側副靱帯断裂し、治療に専念するため同月末に帰国[17][18]。ホベルト不在の大分は深刻な不振に見舞われ、同年7月にクラブはFWフェルナンジーニョを緊急補強。外国籍選手枠の兼ね合いによってホベルトは籍を大分に残したまま、フェルナンジーニョとの入れ替わりで出場選手登録を抹消された[18][19][20]。この時点では復帰の目処が立っていないとされていたが[19][21] 8月上旬に再訪日し、練習にも参加[18]。同月大分では、FWウェズレイが突如現役引退を表明し[21] 外国籍選手枠に空きが出たことから[22]、ホベルトの再登録を図ったが、Jリーグにおいては登録抹消済の選手について同一シーズン中の再登録を認めていなかったため断念[21]。翌2010年の仮契約を結んだものの[21]、2009年シーズン終了までは他クラブでのプレーを余儀なくされた[18]

2009年8月末にサガン鳥栖期限付き移籍[1][18]、ボランチで攻守の中心として活躍[23]。中盤のバランスを整え攻撃の起点を作る[24] ホベルトの加入によって、鳥栖は守備の安定感と攻撃の力強さを増し、リーグ終盤のJ1昇格争いへ向けて勢いづいた[25]。2010年1月、契約満了により鳥栖を退団[26]。また、大分は経営難に陥っており、人件費縮小のためホベルトとの契約を解除[27]。同年のJリーグ開幕後も無所属となっていた。

2010年5月、前年まで鳥栖を率いていた岸野靖之が監督を務める横浜FCへ加入[28][29]。持ち前の高い守備力[29] に加え、パスの流れを円滑にする絶妙なポジション取りでチームの力を引き出した[30]

2011年、FC東京へ完全移籍[31]。キャンプ中盤までは主力の一角に入り強い存在感を放っていたが[32]、右膝負傷のため同年4月に帰国[33]。その後の再合流には至らず公式戦出場は1試合に留まった。同年11月、契約解除に合意し退団[34]

2012年1月に訪日し、横浜FCの練習に参加[35]。復調が認められたため、2月末になって同クラブへ再加入した[36]。第1節からフル出場したものの[37]、負傷の影響が残っていたために再離脱。懸命のリハビリを続けたが[38]、思うように回復しなかったことから同年6月限りで現役を引退した[2]。そして7月に引退セレモニーが開催された。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1998ポンチプレッタ100
1999170
200050
2001190
2002230
2003320
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004福岡8J2302-22324
2005363-00363
2006J13103011351
2007大分3110-10120
20082919100382
20095000-50
鳥栖28J2131-10141
2010横浜FC3201-20221
2011FC東京1610-0010
2012横浜FC320--20
通算ブラジル 1060||||||||||||
日本J1 76112121903
日本J2 1027-521079
総通算 2848||||||||||||
その他の公式戦
出場歴

タイトル

クラブ

大分トリニータ

個人

  • Jリーグ優秀選手賞(2008年

脚注

関連項目

外部リンク

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