ボオシ個人については、『清實錄』に「章佳ジャンギャ[注 1]地方に住んだ」[2][3]とある外に記述はみられない。同じく『清實錄』に拠れば、五人の兄と合わせて「六祖」または「寧古塔貝勒ニングタ・ベイレ」と呼ばれ、当時近隣地域で武を誇っていた他部族を滅ぼしてからは、その勢力も次第に伸長したという[5]。
その後、ニングタ・ベイレ勢力が衰頽する中、姪孫にあたるヌルハチの勢力が勃興すると、ボオシの子孫はニングタ・ベイレの他の子孫とともにヌルハチ勢力と反目したが、ヌルハチの建州部統一、女真統一の過程でその勢力の中に組み込まれ、清代には清朝宗室の傍系 (紅帯子・覺羅) として区別された[6]。