ボビー・ウィット
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | バージニア州アーリントン |
| 生年月日 | 1964年5月11日(61歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 205 lb =約93 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1985年 ドラフト1巡目(全体3位) |
| 初出場 | 1986年4月10日 |
| 最終出場 | 2001年10月7日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ロバート・アンドルー・ウィット(Robert Andrew Witt, 1964年5月11日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州アーリントン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
1982年のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから7巡目に指名を受けるが契約せず、オクラホマ大学に進学。1985年のMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。
1986年の開幕から先発ローテーション入りし11勝、174奪三振を記録するが、一方でリーグ最多の143四球と制球が荒れていた。
翌年の1987年もリーグ最多の140四球と荒れて、1990年まで5年連続100四球以上と制球が荒れていた。1987年8月2日には「1イニング4奪三振」の珍記録を達成。また、1987年シーズン終盤に初めて完投するまで、「メジャー初登板から55試合連続で先発しながら完投なし」というメジャーリーグワースト記録を作ってしまった。
1988年シーズン当初は散々な成績でマイナー降格を経験したが、再昇格後は急成長し、9試合連続完投を記録。当時のチーム記録にあと1と迫るものであった。
1990年は17勝・221奪三振と自己最高の成績を残すが、1991年は故障に終わった。
1992年8月31日に、ホセ・カンセコとのトレードでルーベン・シエラ、ジェフ・ラッセルと共にオークランド・アスレチックスへ移籍。
1994年は開幕投手を務め、6月23日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で、14奪三振1安打無四球完封という準完全試合を記録。1994年から1995年のMLBストライキ中断でシーズン終了後フリーエージェントとなり、フロリダ・マーリンズと契約。
1995年は打線の援護に恵まれず、勝ち星がつかなかったが、8月8日に2人の後日発表選手(うち1人はスコット・ポドセドニック)とのトレードでワイルドカード争いに加わった古巣のレンジャーズに復帰。
1996年は防御率5.42ながら強力打線の援護で16勝を挙げ、レンジャーズの球団初の地区優勝に貢献。しかしチームはニューヨーク・ヤンキースとのディビジョン・シリーズで敗退した。
1997年6月30日にはインターリーグの試合で本塁打を放ち、アメリカンリーグに指名打者制度ができた1973年以降で初の「本塁打を記録したアメリカンリーグの投手」となり、その時のバットはアメリカ野球殿堂に贈られた。
1998年は不振により、6月23日にセントルイス・カージナルスへ放出され、それ以降はタンパベイ・デビルレイズ、クリーブランド・インディアンス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスと渡り歩いた。
ダイヤモンドバックスでは目立った活躍が無かったが、ヤンキースとのワールドシリーズに出場、チャンピオンリングを手に入れた。これを最後に現役を引退した。
人物
- 長女ニッキーの夫はジェームズ・ラッセル[1][2]、二女キアナの夫はザック・ニール[3][2]、三女シャーリーの夫はコーディ・トーマスである[4][2]。
- 息子のボビー・ウィット・ジュニアは2000年生まれの遊撃手で、2019年のMLBドラフトで全体2位でカンザスシティ・ロイヤルズから指名されて入団した。