ジェイ・ベル

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生年月日 (1965-12-11) 1965年12月11日(60歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
ジェイ・ベル
Jay Bell
シンシナティ・レッズでのコーチ時代
(2014年9月2日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州エスカンビア郡ペンサコーラ
生年月日 (1965-12-11) 1965年12月11日(60歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1984年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年9月29日
最終出場 2003年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ジェイ・スチュアート・ベルJay Stuart Bell, 1965年12月11日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州エスカンビア郡ペンサコーラ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

現役時代

1984年MLBドラフト1巡目(全体8位)でミネソタ・ツインズから指名され、プロ入り。1985年8月1日にバート・ブライレブンとの大型トレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した。

1986年9月29日の古巣のツインズ戦で9番・二塁手としてメジャーデビュー。この試合の先発で、交換トレードの相手だったブライレブンからメジャー初打席初本塁打を放つ。その後は内野の控えとしてメジャーに残ったが、開幕前の1989年3月25日、デニー・ゴンザレスとのトレードの後日発表選手として、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍。その年の後半から遊撃のレギュラーを獲得。翌1990年からはアンディ・バンスライクバリー・ボンズボビー・ボニーヤらの主軸へつなぐ二番打者として、パイレーツのナ・リーグ東部地区(当時)3連覇に大きく貢献した。

しかし、チームは財政難だったため、主力が相次いで放出して低迷期に突入の中、1993年は稀代の名手オジー・スミスの13年連続受賞中だったゴールドグラブ賞を阻止し、初受賞。さらに、初の打率3割で初のオールスターに選出された。

チームは2年連続最下位と低迷の1996年12月13日、ジョー・ランダら若手選手のトレードで、ジェフ・キングと共に打線強化を目論むカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。21本塁打、92打点と好調だったが、ロイヤルズも2年連続最下位と沈み、さらに財政難だったため、オフにはFAとなった。11月17日、翌1998年から参入のアリゾナ・ダイヤモンドバックスと5年契約を結んだ。

しかし、この大型契約に賛否両論が多く、1年目は低調に終わった。2年目の1999年は長年守った遊撃のポジションをトニー・バティスタに譲り、自身は二塁にコンバートし、打撃では開幕から本塁打王争いの参戦するほどの好調さで、オールスターに6年振り選出され、しかもファン投票ではクレイグ・ビジオヒューストン・アストロズ)を押し退け初の選出となった。打率.289・38本塁打・112打点・132得点の自己最高の成績でチームを創設2年目で初の地区優勝に貢献した。2001年は低迷したが、初のワールドシリーズに出場、16年目にして初のチャンピオンリングを手に入れた。 しかし2002年は故障もあったため、ジュニア・スパイビーにポジションを奪われ、2003年ニューヨーク・メッツと契約したが、その年限りで引退した。

引退後

引退後はダイヤモンドバックス、パイレーツ、シンシナティ・レッズでコーチを務めた。

2017年ニューヨーク・ヤンキース傘下のA+級タンパ・ヤンキースの監督に就任し[1]、以降2019年までヤンキース傘下のマイナー球団(2018年はAA級トレントン・サンダー、2019年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース)で指揮を執った。

2020年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下のAA級ロケットシティ・トラッシュパンダズの監督に就任することになった[2]が、この年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、実際に指揮を執ることは無かった。リーグ再開の2021年に一年間監督を務めて退任した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 CLE 5161435201104000020030.357.438.7141.152
1987 38137125142791244132030801310.216.269.352.621
1988 732362112346512592142122101533.218.289.280.569
1989 PIT 78303271337013329527531021901479.258.307.351.658
1990 15969658393148287721152106396650310914.254.329.362.691
1991 15769760896164328162606710630352149915.270.330.428.757
1992 1597126328716736692425575192550410312.264.326.383.709
1993 1547016041021873299264511610131776612216.310.392.437.830
1994 11048742468117354918745208349138215.276.353.441.794
1995 1385935307913928413214552531551411013.262.336.404.739
1996 1515985276513229313206716466545510810.250.323.391.714
1997 KC 15366057389167283212649210639712410113.291.368.461.829
1998 ARI 1556455497913829520237673553813712914.251.353.432.785
1999 15168858913217032638328112744982241329.289.374.557.931
2000 14964956587151306182476873657003887.267.348.437.786
2001 12950942859106241131714601846534799.248.349.400.749
2002 325649381021511000150192.163.250.306.556
2003 NYM 72142116112110022300112212384.181.319.190.509
MLB:18年 2063852573981123196339467195307686091601595885325571443165.265.343.416.759

表彰

背番号

  • 16(1986年 - 1988年)
  • 3(1989年 - 1996年、2003年)
  • 28(1997年)
  • 33(1998年 - 2002年、2005年 - 2006年)
  • 44(2003年)
  • 49(2014年 - 2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

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