ボブ・ネトリッキー
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| 引退 | |
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| ポジション | PF/C |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1942年8月2日(83歳) |
| 出身地 | カリフォルニア州サンフランシスコ |
| 身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
| 体重(現役時) | 100kg (220 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | ドレイク大学 |
| ドラフト | 1968年 18位 |
| 選手経歴 | |
| 1967-1972 1972-1973 1973-1975 |
インディアナ・ペイサーズ ダラス・チャパラルズ/サンアントニオ・スパーズ インディアナ・ペイサーズ |
| 受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ロバート・ネトリッキー (Robert Netolicky, 1942年8月2日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長206cm、体重100kg。ポジションはパワーフォワード及びセンター。ABAのインディアナ・ペイサーズなどで活躍した。
サンフランシスコ出身のネトリッキーはドレイク大学に進学し、4年間で平均13.3得点9.6リバウンドを記録した。1967年のNBAドラフト全体18位でサンディエゴ・ロケッツに指名を受けたが入団せず、この年創設されたABAのインディアナ・ペイサーズと契約した。
ネトリッキーは1年目から平均16.3得点11.5リバウンドの好成績を残してオールスターに選出され、オールルーキー1stチームにも名を連ねた。2年目の1968-69シーズンは平均18.9得点10.2リバウンドで2年連続のオールスターに選ばれ、ペイサーズを初のファイナルに導いたがオークランド・オークスに敗れた。ネトリッキーはチームトップのシリーズ平均26.4得点と活躍した。
3年目の1969-70シーズン、ネトリッキーは自己最高の平均20.6得点に10.7リバウンドを記録し、3年連続のオールスターに加えてオールABA2ndチームに選ばれた。ロジャー・ブラウン、メル・ダニエルズ、ネトリッキーらを擁したペイサーズはファイナルに進出し、ロサンゼルス・スターズを4勝2敗で破って初優勝を果たした。ネトリッキーはいずれもチーム2位となるシリーズ平均20.3得点12.7リバウンドで優勝に大きく貢献した。
1970-71シーズン、ネトリッキーは4年連続となるオールスター出場を果たしたが、翌1971-72シーズンは新人のジョージ・マクギニスの台頭により個人成績に低下が見られた。ペイサーズはこの年のファイナルでニューヨーク・ネッツを下して2度目のリーグ制覇を達成したが、ネトリッキーはシリーズ平均4.3得点に終った。シーズン終了後、ネトリッキーはダラス・チャパラルズにトレードされた。
チャパラルズでの1年目となる1972-73シーズン、ネトリッキーは3年ぶりに平均ダブルダブルを記録するなどエースセンターとして活躍したが、チームはプレーオフを逃した。シーズン終了後にチャパラルズは移転してサンアントニオ・スパーズと改称した。翌1973-74シーズン途中、ネトリッキーはスパーズで19試合に出場した後トレードでペイサーズに復帰した。
ペイサーズでは主にベンチプレーヤーとしてチームに貢献した。1975年にはファイナルに進出してケンタッキー・カーネルズに敗退したが、ネトリッキーの出場機会はなかった。翌1975-76シーズンに4試合に出場した後、ネトリッキーは現役を引退した。
ABAでの成績は、618試合の出場で通算9,876得点5,518リバウンド(平均16.0得点8.9リバウンド)であった。ABA通算5,518リバウンドは史上5位の記録である。
1997年、ネトリッキーはABAオールタイムチームに選出された。