ポポサウルス
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イェール・ピーボディ自然史博物館に展示された全身復元骨格 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 地質時代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 後期三畳紀カーニアン - ノーリアン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Poposaurus Mehl, 1915 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| タイプ種 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Poposaurus gracilis Mehl, 1915 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| シノニム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 種 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポポサウルス(学名:Poposaurus)は、アメリカ合衆国南西部と東部の上部三畳系から化石が産出している、偽鰐類に属する絶滅した主竜類の属。ポポサウルス科のタイプ属である。化石はワイオミング州、ユタ州、アリゾナ州、テキサス州、バージニア州で発見されており、頭骨を除き大部分の骨格が知られている。タイプ種P. gracilisは1915年に命名され、第二の種P. langstoniはLythrosuchus属のタイプ種として記載されたのちに再分類された。原記載以降、本属は恐竜、植竜類、そしてラウイスクス類と、様々に分類が変遷してきた。
獣脚類の恐竜と同様にポポサウルスは二足歩行性の動物であったが、恐竜よりも現生のワニに近縁である[1]。初期の主竜類はハイウォークが可能であり、ポポサウルスの移動運動様式はこれに起源を持つ可能性がある。

ポポサウルスの最初の化石は1904年にワイオミング州のランダー (en) 付近で発見された。1907年に古生物学者J. H. LeesがPopo Agie層 (en) から産出した腸骨を記載し、植竜類のPaleorhinus bransoniのものとして同定した[2]。1915年に古生物学者M. G. MehlはPopo Agie層から産出したより完全な骨格に基づいてPoposaurusを命名しており、当該化石には椎骨・骨盤・四肢の骨が含まれていた。Mehlはホロタイプ標本を[Walker Museum] 602として引用したが、実際にはUR 357である。MehlはLeesにより記載された腸骨UR 358もポポサウルスのものであると結論した。腸骨の形状が植竜類と異なること、またより多くの仙椎が骨盤に癒合している点から、Mehlはポポサウルスを植竜類としては分類しなかった。Mehlは同じくワイオミング州の三畳系から産出しているDolichobrachiumとポポサウルスとを比較し、Dolichobrachiumの化石が歯と上腕骨および肩帯の一部しか知られていないことから、ポポサウルスの化石とDolichobrachiumの化石が同一の動物のものであると結論した。またMehlは後肢の骨が中空であることや寛骨臼が深いことなどポポサウルスと獣脚類との類似性を指摘したが、ポポサウルスの個々の仙椎が1個の仙肋しか持たないことから、本属を獣脚類に分類しなかった(獣脚類は通常、各仙椎から複数の仙肋が突出する)[3]。
その後、ポポサウルスは数多くの異なる爬虫類のグループに分類されてきた。ハンガリーの古生物学者フランツ・ノプシャは1921年に本属を鳥盤類の恐竜として分類し、イグアノドン類やカンプトサウルス類との類似性を見出した。1928年にノプシャはポポサウルス科(Poposauridae)という科とPoposauroideaという亜目を新設し、Poposauroideaを鳥脚目(Ornithopoda)を構成する3つの亜目の1つとした。この分類は数多くの古生物学者によって支持された。例えばドイツの古生物学者Oskar Kuhnはポポサウルスを独自の鳥盤類の亜目に分類し、その亜目をPoposauriaと呼称した。1930年にアメリカの古生物学者Oliver Perry Hayはポポサウルスを竜脚形類のアンキサウルス科に分類した。1950年にドイツの古生物学者フリードリヒ・フォン・ヒューネは本属を非常に初期の剣竜類と考えた[4]。
1961年にアメリカの古生物学者エドウィン・ハリス・コルバートは既知のポポサウルスの試料の広範な記載を行い、本属を獣脚類の恐竜として分類した。ただし、コルバートは中空状の後肢の骨と複雑な椎骨からポポサウルスがより基盤的な主竜類である可能性があるとも指摘した。コルバートは本属をカルノサウルス類に配置したが、腸骨が他の全ての主竜類のものと異なることを踏まえてポポサウルス科という独自の科に配置した。同論文においてコルバートはテキサス州ハワード郡のドックム層群から産出した腸骨を記載し、P. gracilisのものと同定した[4]。
1977年に出版された後期三畳紀の竜盤類の研究において、ピーター・ガルトンはポポサウルスを槽歯類の偽鰐類として再分類した。1915年にMehlはポポサウルスのホロタイプ標本の「遠位大腿骨」とされる骨を記載したが、ガルトンはこれを癒合した恥骨の先端部と解釈した。ガルトンはポポサウルス、アリゾナサウルス、ブロムスグロヴェイア、ポストスクス、テラトサウルスの骨盤の類似性を指摘し、これら全てをポポサウルス科としてまとめた。以前の古生物学者と同様に、ガルトンは腸骨の独特な形状に基づいてポポサウルスを識別した[5]。

1995年に古生物学者Robert LongとPhillip Murryはアリゾナ州のチンリ層に属するプラケリアスの化石産地から産出したポポサウルスと新たな化石を記載した。この新しい化石は後肢の一部であり、脛骨と踵骨が含まれていた。彼らはかつてポポサウルス科に分類されていたポストスクスの標本が他の分類群の化石の混ざったキメラ標本であると指摘し、ポストスクスを本科から除外した。ポストスクスのものと解釈されていた恥骨は実際にはポポサウルスのものであり、それゆえに誤った分類が導かれていた。LongとMurryはポポサウルスやブロムスグロヴェイアのようなポポサウルス科を区別し、またポストスクスに似たLythrosuchusを命名してこれらをラウイスクス科としてまとめた[6]。

2007年には、テキサス州のTecovas層とアリゾナ州の化石の森国立公園から産出した2標本のポポサウルス化石が記載された。LongとMurryのLythrosuchus langstoniはポポサウルス属の新種P. langstoniとして再分類された。P. langstoniはより大型である点、寛骨臼の後側に稜が存在しない点、腸骨とはめ込まれる坐骨の孔が存在しない点から、P. gracilisと区別される[7]。2011年にはほぼ完全なP. gracilisの標本YPM VP 057100(イェール標本)がユタ州のグランド・ステアケース=エスカランテ国定公園のチンリ層で発見された。当該標本には四肢と骨盤、肋骨、胴椎、および尾椎の大部分が含まれる[1]。アリゾナ州から産出したもう一つの標本PEFO 34865は体骨格の試料のみならず頭骨も含まれており、ポポサウルスが超肉食性の捕食動物であったことが確かめられた[8]。
2022年にはP. gracilisの未成熟個体に由来する断片的な胸椎と右上腕骨の一部がバージニア州に分布する下部カーニアン階のDoswell層から記載され、北アメリカ大陸東部における本属の最初の産出例となった[9]。当該化石はDoswelliaと同一の産地から発見されており、1980年の記載論文で初めて言及されていたが、当時は暫定的に未同定のラウイスクス類の化石として扱われていた[10]。



