1980年代後半、ギグジーはギターにポール・"ボーンヘッド"・アーサーズ、リード・ボーカルにクリス・ハットン、ドラムにトニー・マッキャロルを迎え、ザ・レインというバンドを始めた。ハットンの解雇後、ギグジーは学生時代の友人であるリアム・ギャラガーをボーカルに誘う。その後、リアムの兄であるノエルがギタリスト、ソングライターとしてバンドに加わり、この時点でバンド名をオアシスへと変更する。ステージ上では優秀なベーシストであったが、バンドの最初の2枚のアルバムにおいては、ギグジーのベース・パートがノエルによって演奏されることもあった。ギグジーは『ディフィニトリー・メイビー』でベースを弾いておらず、初期の2枚のアルバムは彼とボーンヘッドのパートをノエルに置き換えられたという噂があったが、これはバンドのプロデューサーであるオーウェン・モリスによって否定されている[2][3]。他のバンドメンバー同様、ギグジーもツアー中に大量のマリファナを吸ったことがあると語っている。
ギグジーは1999年にオアシスを脱退し、後任のベーシストとして当時ライドのフロントマンでギタリストだったアンディ・ベルが加入した。ノエルは、ギグジーがファックスで脱退を連絡し、その後数週間はバンドからの電話を避けたと主張している。最終的にギグジーに連絡を取ることを諦めたものの、ノエルは恨みは抱いていないと語っている[4]。
ギグジーはDJとしても活動していたことがある。2004年の『ディフィニトリー・メイビー』(DVD)への出演は辞退したが、その理由を説明する丁寧な手紙が隠し特典として付いており、また評論家が彼についての見解を述べる短いセクションもある[5] 。また、2016年のドキュメンタリー映画『オアシス・スーパーソニック』でもインタビューを辞退している。代わりに彼のアーカイブ映像が使用された。
ギグジーは1995年に自分の演奏スタイルについて、「始めたばかりの頃は、ベースの一番上の弦を上下に弾くだけだった。考えてみれば、今もそうしている」と発言している[6]。