マイク・モンティ

From Wikipedia, the free encyclopedia

マイク・モンティーMike Monty、1936年10月23日 2006年8月4日)テネシー州チャタヌーガ生まれ。本名マイケル・オドノヒュー(Michael O'Donoghue)(同名の脚本家兼俳優は別人)はアメリカ合衆国の性格俳優で、主に1980年代初頭から2000年代初頭に掛けてフィリピンで製作されたアクション映画の脇役として活躍した。製作総指揮、製作管理、脚本、台詞指導を務めた作品も僅かながらある。

後年、芸名をマイク・モンティーに改名。時にはマイク・モンティ(Mike Monti)、マイク・モンテ(Mike Monte)、マイケル・モンティー(Michael Monty)、マイク・モンティー=ブルース(Mike Monty-Bruce)、マイケル・モンタギュー(Michael Montague)とクレジットされることもある。デール・アポロ・クックシンシア・カーンが主演した『エターナル・フィスト』(1993年/未/ビデオ/テレビ放映=WOWOW・1998年)ではミック・モンティー(Mick Monty)を名乗っている。また、片仮名表記の慣用はマイク・モンティだが、『サンドー/地獄の勇者』(1987年/Vシネマ)ではマイク・モンティーとテロップがオープニング・クレジットに打たれている。

渡欧後の動向

元々は米国の俳優だが、スティーヴ・リーヴスクリント・イーストウッドリー・ヴァン・クリーフジャック・パランス等の成功に倣って1960年代にイタリアへ数多くの俳優が海を渡った。彼等すべてがスター・ダムにのし上がった訳では無く、無名のまま燻った連中も少なくなかった。モンティもその様な一人である。

当時ブームだったマカロニ・ウエスタンの端役を皮切りに、マカロニ・コンバットと称される戦争アクション群の一本である『戦場のガンマン』(1968年)での作戦演習中に顔面に野球ボールを受けて痣を作る米軍将校の端役で印象的を残すが、殆どエキストラ同然の日々を過ごす。また、ペプラム物やマカロニ・ウエスタンでスターだった米国俳優のリチャード・ハリスンゴードン・ミッチェルとは当時知り合い、ミッチェルとアパートで同居していたともフランスのインタビュー記事(ナナーランド)に書かれていた。因みに、ハリスン、ミッチェルとは後年『㊙ナチス残酷物語/アフリカ拷問収容所』(1977年/未/ビデオ)でも共演しており、ハリスンとはフィリピンのシルヴァー・スター・フィルム社の『復讐!炎のコマンド』(1983年/未/ビデオ)や『地獄の処刑人』(1984年/未/ビデオ)等でも共演した。

その後はフランス映画や西ドイツ映画にも出演するが、端役ばかりだった。この時期にはユーゴ俳優のゴイコ・ミティック主演の東ドイツ製西部劇にも顔を出している。また、西ドイツで撮影されたテレンス・ヤング監督の『華麗なる相続人』(1979年)にも端役出演した。

フィリピンでの活動状況

鳴かず飛ばずの俳優人生の転機となったのはフランシス・コッポラ監督のベトナム戦争大作『地獄の黙示録』(1979年)以後、戦争映画のロケ地として注目を集めたフィリピンへ渡ったことである。ベトナム戦争を題材にしたアクション物からクライム・アクションまで幅広く脇役出演し、軍人や役人の役が多く、善悪問わずに演じ、時には髪を染めたり、鬘や髭を着けて画面に登場した。始めは禿げ掛かった頭髪と華奢な体格だったが、1990年頃から肉体も筋肉質に変化して行った。『マッド・ソルジャー/裏切りの戦場』(1988年/未/ビデオ)での半裸姿の場面でそれが確認出来る。

出演作品の多くが日本未公開だが、ビデオ発売されたものが約50作品以上あり、2000年代の初頭まで出演活動を続けた。尚、日本では『ファントム・ソルジャー』、『ザ・コマンダー/死からの脱出』(共に1987年)、『バイオレンス・ハンター/黄金の謎』(1988年)、『ブラックコブラ2』(1989年)、『ブルドッグ』(1991年)等が劇場公開された。

多国籍の作品に起用される

この時期にはフィリピンのシリオ・H・サンティアゴエディー・ロメロ、イタリアのアントニオ・マルゲリーティルチオ・フルチブルーノ・マッテイロマーノ・スカヴォリーニ、ドイツのクルト・ラーブ、香港のテディー・チウ(テディー・ページ、ジョン・ロイド、アーヴィン・ジョンスン、テッド・ジョンスン、テッド・ヘミングウェイの変名も使用する)、日本の渡辺ケン室賀厚など様々な国籍の監督作に出演した。室賀が監督したVシネマ『ブローバック2/夕陽のギャングたち』(1992年/Vシネマ)では竹内力と対決する傭兵のボスを貫禄をもって演じた。

出演作品が多いことからフレッド・ウィリアムスンクリストファー・コネリーサム・ジョーンズボー・スヴェンスンマイルズ・オキーフ等のB級ながらも国際的に名の通ったスターとの共演の機会にも恵まれた。

クレジットの有無

出演作品は数多いが、名前がクレジットされないことも度々で、イタリアのフランコ・ガウデンツィ製作の『ストライク・コマンドー(地獄のバトル・コマンドー)』(1986年/未/ビデオ/テレビ放映)では『ランボー』シリーズに於けるリチャード・クレンナ演じるトラウトマン大佐を下敷きにしたハリマン少佐の大役だったが、やはりクレジットされていない。因みに、本作の未使用フッテージが『サイゴン野獣刑事』(1988年)にも流用されている。この時のモンティの声をアテレコしたのがマカロニ・ウエスタンで鳴らしたオーストリア俳優のウィリアム・バーガーだった。

晩年

かつて香港系のシルヴァー・スター・フィルム社作品で共演歴のある渡辺ケンが監督したベトナム戦争物『ブルドッグ』(1991年)を境に、フィリピンで製作された戦争アクション映画は減少の一途を辿っていた。これにはフィリピン経済の低迷と米軍基地の撤退等の社会的な背景もあった。

1990年代初頭にはイタリアの多作のベテラン作家であるジョー・ダマート(アリスティーデ・マッサチェーシ)監督がフィリピン・ロケで『マルコ・ポーロ』(1994年/未ソフト化)等のポルノがかった作品を数本撮っており、モンティーは『愛の迷宮』(1994年/未ソフト化)に脇役出演した。当時のダマート作品にはニック・ニコルスンスティーヴ・ロジャースレオ・ガンボア等、かつてフィリピン産アクション映画の名脇役だった俳優も参加している。

この後出演履歴が途絶え、モンティーは半引退状態になるが、2004年には『ストライク・コマンドー』等で組んだブルーノ・マッテイ監督作品『食人族2』(未/ビデオ)で、久々に映画出演を果たした。因みに、マッテイは先述のダマートの弟子筋に当たる人物で、『エマニュエル/異国の情事』(1977年/未/ビデオ)等、数多くの作品でフィルム編集者を経て一本立ちした。

マッテイ監督作品の『墓』(2006年/未ソフト化)では脚本と製作管理、『プリズンアイランド/拷問地獄女刑務所』(2006年/未/DVD)では台詞指導、『アイランド・オブ・ザ・デッド』(2007年/未/DVD)では脚本監督を務めるなど精力的に働き、製作年は不明(インターネット・ムービー・データベースによる)だが、製作総指揮を務めた『東洋脱走』(未ソフト化/ブルーノ・マッテイがピエール・ル・ブラン名義で監督の由)もある。しかし、2006年にマッテイ監督作品のポスト・プロダクション作業中に心臓発作で倒れ、現場であるイタリアのローマで死去した。『アイランド~』はモンティーの生前の功績に捧げるとエンドロールにクレジットされた。

フィルモグラフィー

引用

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI