マイケル・ディー
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マイケルの父リチャード・ディーは競馬の調教師だった。マイケルはホークスベイに拠点を置く調教師のガイ・ローリーとグラント・カレンの下騎手のキャリアを始め、その後ワンガヌイのケビン・マイヤーズの下で騎乗を始めた[2]。
2012年12月31日にストラトフォード競馬場にてデビュー。マイヤーズ厩舎のNegotiate騎乗で、2着に入った[3]。2013年1月17日にニュープリマス競馬場のRating 65 Benchmark 1200mレースにてAdrian Bull産駒のせん馬Bamboo騎乗で初勝利を挙げる[4][5]。
2017年にメルボルンカップ初騎乗を果たすが、最下位に終わる[6]。
2025年に短期免許を初取得し来日。免許期間は4月26日から6月25日までの間で身元引受調教師と契約馬主はそれぞれ国枝栄とDMMドリームクラブである[1]。JRA初騎乗は4月26日、東京1Rのリュクスビスケッツだが、レース中盤で後方に下がり始め、4コーナー付近でディーが止めようとした際に落馬し競走中止となった[8]。5月4日、東京9Rでアスクカムオンモアに騎乗し1着となり、来日35戦目でJRA初勝利を挙げた[9]。6月1日、目黒記念でハヤヤッコに騎乗。レース中に左前脚の腱に部分断裂が生じたことを察知し、即座に馬を止めた。この判断と対応は、獣医師であり競馬記者でもある若原隆宏からも称賛され、中日スポーツ紙のコラムで『担当厩務員にはファンから手紙やお守りが多数届けられ、国枝栄調教師も、馬の脚が守られたことに「無事に引退生活を送れるのはありがたい」と語っている』と取り上げた[10]。期間中JRAでの勝利数は5勝。
2026年3月11日、短期免許を取得し再来日を発表。期間は同月14日から4月12日までで、身元引受調教師は嘉藤貴行、契約馬主は原禮子レーシング(株)[11]。3月15日、中京12Rでカウンティフェアに騎乗し1着となり、昨年6月22日以来となるJRAでの勝利を挙げた[12]。4月15日には同月18日から6月17日まで引き続き短期免許を取得し騎乗することが発表された。