マリオ・メンドーサ

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生年月日 (1950-12-26) 1950年12月26日(74歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
マリオ・メンドーサ
Mario Mendoza
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(1974年)
基本情報
国籍 メキシコの旗 メキシコ
出身地 チワワ州チワワ
生年月日 (1950-12-26) 1950年12月26日(74歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1970年
初出場 1974年4月26日
最終出場 1982年5月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2000年

マリオ・メンドーサ・アイスプルMario Mendoza Aizpuru , 1950年12月26日 - )は、 メキシコチワワ州チワワ出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投右打。MLBメキシカンリーグでプレーした。

MLBでは典型的な守備型の遊撃手で、打率は2割に満たないことも多かった。これに因んで、打率2割のラインが「メンドーサ・ラインMendoza Line)」と呼ばれるようになった[1]

渡米前はメキシカンリーグディアブロス・ロホス・デル・メヒコDiablos Rojos del México)でプレーしていた。

1970年ピッツバーグ・パイレーツと契約。

1974年4月26日アストロズ戦で代走として出場し、メジャーデビューを果たした。パイレーツには5シーズン在籍したが、守備固めとしての出場が大半だった。

1978年の12月に自らトレードを志願し、シアトル・マリナーズへ移籍した[2]

1979年には自己最多の148試合に出場したが、401打席で打率は.198だった。「メンドーサ・ライン」という言葉が生まれたのはこの年のことであった。

1980年には自己最高の打率.245を記録した。この年の12月12日ウィリー・ホートンら合計11選手が動く大型トレードでテキサス・レンジャーズに移籍した。

1982年のシーズン途中にレンジャーズを解雇される。

1983年は3Aのハワイ・アイランダーズHawaii Islanders)でコーチ兼任選手としてプレー。

1984年からメキシカンリーグへ戻った。

1990年に現役を引退した。この7年間の通算打率は.291だった[2]

引退後は1994年ビル・バベシの招きでアナハイム・エンゼルスの1A監督に就任し、2000年まで務めた。同年にはメキシコの野球殿堂スペイン語版英語版入りを果たした。2002年にはサンフランシスコ・ジャイアンツの2A、2003年から2008年2010年はメキシカンリーグで監督を務めた[3]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1974 PIT 91177163103612041151132821356.221.259.252.510
1975 565650891001020030300171.180.226.200.426
1976 50979261750022120101410153.185.216.239.456
1977 7086815163001940020300101.198.226.235.461
1978 576255512101163311202139.218.283.291.574
1979 SEA 148401373267410319329301359016212.198.216.249.466
1980 11430527727686328614341111600425.245.286.310.596
1981 TEX 882542291853610612221143701259.231.254.266.521
1982 1218171200020001000041.118.118.118.235
MLB:9年 6861456133710628733943501011284912524621938.215.245.262.507

背番号

  • 11(1974年 - 1980年)
  • 14(1981年 - 1982年)

脚注

関連項目

外部リンク

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